Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

モラル・ハラスメントの手法 (上)

2007年09月09日 | 一般







モラル・ハラスメントとは、定義によると
「ことばや態度で繰り返し相手を攻撃し、人格の尊厳を傷つける精神的暴力のことである」ということです。(「モラル・ハラスメント」/ マリー=フランス・イルゴイエンヌ・著)

モラル・ハラスメントは人間関係においてはごくあたりまえのイジワル程度にしか認識されていませんでした。時には道徳、教育、しつけという名目によって奨励さえされていたのです。そうした「つらいこと」を耐えて、人間は成長すると受けとめられてきました。

しかし、ベトナム帰還兵にPTSDという症状が認められるようになってから、精神的な傷という概念が市民権を得はじめました。これによって、犯罪を犯してしまう人間の心理や動機、テロリストの精神分析などの研究が徐々に行われるようになり、現代では少年非行や少年による重犯罪などの分析もよりわかりやすくなりました。

精神的な傷は決して個々人の心の持ちようでは処理できないものなのです。今回は、精神的な傷をあえて与えようとする異常なコミュニケーションであるモラル・ハラスメントの手法について、ごく一部を紹介してみようと思います。




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1.モラハラ加害者は直接的なコミュニケーションを拒否します。(以下、「モラル・ハラスメント」より)


▽家庭では不機嫌でいることが多く、むっつりしている。何を話しかけても無視してむっつりしている。古典的な日本型亭主に見られる、「めし」「風呂」「寝る」の3語だけしかしゃべらない、など。会社やご近所では愛想がよく、「よく気のつく人」という評判をとっている場合もある。


▽うれしいこと、つらかったこと、思ったことなどの感情や考えを共感し、共有しようとしない。そういったことを話そうとすると、「疲れている」「くだらない」というようなことしか話さないし、顔も向けようとしない。しかしご近所の人とか、上司とかを相手にするときは真摯に聞くそぶりを見せる。

▽こちらが真剣に話しているのに、冗談っぽく茶化す。または「さっぱりわからない」「おまえの考えすぎだ」「おまえのほうが悪い」、「くだらん」「うそをつけ」と、こちらを責めたてる返答をする。
 

 「冗談で茶化す」というのは、エホバの証人問題系の掲示板の書き込みでたまに見られます。深刻なこともジョークにしたり、笑いのネタにすると、それは「たいしたことじゃない」というコンセンサスを形成します。現役のエホバの証人のアクセス者が、問題の本質に迫ろうとする追求の手をかわすのによく使います。お笑い番組などではなんでも笑いのネタにしますね、タケシや所ジョージ、さんまやタモリ(いまは森田に変わっている?)の番組などでは。問題を正面から取り組もうとしないで、自分に関係がなければネタにしてしまえ、自分たちが今笑って楽しく過ごすことが何にもまして大事なことだとでもいうように。

 
 深刻な問題を悲観的に考えてさらに想像の中で深刻にしてゆく、という思考パターンはたしかに問題解決を困難にしてゆきます。何がどう深刻なのかを正面から冷静に見極めるのは、問題を乗り越えてゆくのに大切な手順です。深刻な事態の全体をはっきり見渡すことができれば、むしろ一息つけるのです。安心が少し見えてくるからです。ですから深刻に考えすぎず、なるようになれ、死ぬことに比べて重い問題というのは存在しないという覚悟に立ち返れば、深刻な問題も対処可能な範囲に照準が定まるのです。しかしそのためにはまず、感情的な動揺を鎮めなければなりません。感情的な動揺を鎮めるのは、「あんまり深刻に考えすぎなさんな」というような理性的な助言ではなく、感情的な共感なのです。
 
 問題を乗り越えてゆくのは個人の責任です。他人が代わって負うべきものではありません。他人に何とかしてもらおうとする人は、未熟な人です。未熟さに対してははっきりかかわりを持つべきではありません。しかし、ショックな出来事が起これば成熟した人でもやはり動揺するのです。周囲の人にできるのは、本人に代わって問題の処理をしようとすることではなく、本人が問題に立ち向かってゆけるよう、本人の心の準備を整える手伝いだけです。つまり、感情的に共感してあげて、本人が悲しみ、悔しさ、情けなさの感情を吐き出してしまう手伝いをすることです。感情の動揺というのは誰かに共感してもらえれば落ち着いてゆくものなのです。泣くだけ泣いたら、気持ちが軽くなるじゃないですか。

 問題によってはそれまでの期間が長くなる場合もあります。身内や友人との死別という問題がそうです。でもどんなつらい経験でも、対処できれば必ず「過去のこと」、問題の種類によっては「笑ってすませてしまえること」に変わってゆきます。でもそうならせるのはあくまで本人の仕事であって、周囲が勝手に笑ってしまうことじゃないのです。それは思いやりがなく、自己中心的な態度でしかありません。子どものこと、自分の悩み、夫に対する要求、組織に対する不満、そういう悩みを話したのに、常識論で一蹴されたり、ジョークのネタにされ続けるというのは、自分を蔑ろにされたように感じます。事実蔑ろにすることなのです。そういう反応は孤独感を深めます。相手の人への親しい気持ちに水を差します。

 モラル・ハラスメントは、加害者による被害者への専制支配が目的なのです。ですから被害者を孤立させ、侮辱し、プライドを貶めるのは加害者にとっては常套の手段でしかないのです。そして被害者本人の心情を笑いのネタにしてしまうのは、被害者を侮辱し、軽んじ、貶める絶大な効果を発揮する、ということです。ハラスメントを加えるつもりはなくても、こうした態度は相手との親密さを破壊し、人間関係に格差を設けてしまいます。通常の人間関係を営んでゆくのに、タケシやさんまやタモリを真似るのは決してしてはいけないことなのです。できればああいう番組とは接しないようにするのがいちばんいいとわたしは思います。



▽顔をこちらに向けない、あるいは目を合わせない。
 うちの会社の物流センターのほうで働くセンター長ですが、事務方の若手が伝言に行くと、その若手さんの方は一切見ず、返答もせず、若手さんが話し終わるまでしばらく黙ったまま。と、いきなり事務所のほうに頭を向け、詰め所にいる自分の取り巻き一人の名を呼んで、「○○く~ん、ちょっと話を聞いてやって」と言い、それからうんともすんとも言わず、黙っています。その間一切若手さんの顔は見ないのです。そしてその若手さんが自分の背中に一生懸命していた話をもう一度、呼ばれた○○さんに話させるのです。一言も発せず、顔すら向けず。

 こういう態度は相手を低めようとする態度です。自分としてはおまえと対等の関係を持つつもりはない。対等の人間としてはおまえを自分の人間関係から排除する、というメッセージの表明です。

 わたしは父親とは、生前目を合わせることができませんでした。話をするときも。母親ともそうです。目を合わせると気持ち悪いのです。これは憎みあって離婚する夫婦と同じものだとわたしは考えています。人間関係を深めたいという自分のがわの努力やメッセージをことごとく蹂躙されてきた人間は、相手の人に生理的な嫌悪感を覚えるようになるのです。ちょっと前に、父親の衣類とまぜて自分の衣類を洗濯機にかけられるのを忌避する女子学生のことが話題になったことがありました。こういうのがそうです。自分の気持ち、自分プライバシー、自分の意向というものにまったく共感されず、大切にしてくれない人間に対しては、わたしたちは生理的な嫌悪感を感じるのです。マスコミは女子学生の方を問題視していましたが、本当の問題は親のほうにあるのです。親のほうがそれとは知らずにモラル・ハラスメントを加えてきたのです。



モラル・ハラスメントを駆使する人はコミュニケーションによって人間関係を深めようとしないのです。力であるいは心理操作で相手を自分に服従させることによって、人間と関わろうとするのです。つまり「人を傷つけずにはいられない」、傷つけることで人間と関わろうとするのです。怖ろしい人たちであり、悲しい人たちであり、哀れな人たちです。愛というものを知らず、知ろうとせず、愛を嫌悪する人たち、なのです。



2.モラハラ加害者は曖昧な態度を示したり、曖昧な言いかたをします。

…あるいは、わざと曖昧な言いかたをしたうえで、説明を拒否することもある。たとえば、義母が女婿にちょっとしたことを頼んだときのこと…。
「だめよ、そんなこと」
「どうして?」
「言わなくたって分かるでしょう?」
「わかりませんね!」
「じゃあ、考えてごらんなさい」
この会話には悪意がひそんでいる。その口調が落ち着いていて、「普通」のものだったりしたら、相手の方は、自分が怒ったりすることが見当違いのような気がしてくる。こういう言いかたをされると、言われたほうは、「自分はどんな悪いことを言ったんだろう(or したんだろう)」と罪の意識を感じるのが普通だからだ。このやりかたが失敗することはめったにない。





(「モラル・ハラスメント」/ マリー=フランス・イルゴイエンヌ・著)




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こういう会話には相手を翻弄する効果があります。決して加害者の意図が分からないのです。これではコミュニケーションを深めて親密になることはできません。事実、モラル・ハラスメントの加害者は、被害者と親密になろうとはしないのです。いえ、なんとかしてそれを避けようとします。相手にどうしてほしいのか、それをはっきり伝えません。それは相手に対する自分の希望を提案して、もし相手が譲歩できることであればこちらの要望を飲んでもらい、自分のほうでも相手の要望に譲歩を持って可能なかぎり相手に近づく、これがコミュニケーションによる人間関係の深化です。ところが、モラル・ハラスメントの加害者は、自分の相手への要望を隠すのです。なぜでしょうか。それは相手を非難し、矯正することを目的にしているからです。モラハラ加害者の目的は、相手を傷つけること、なのです。モラハラ加害者にとって、人間関係とは傷つけあうことなのです。


相手をひどく傷つけ、侮辱する異常なコミュニケーションに「ダブル・バインド」があります。



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ダブル・バインドにおいては二つの矛盾する提案が同時に存在する。そしてあなたはそのふたつに同時に、かつ完璧に応えなければならない! もちろん、それは不可能なことである。


たとえば、ある夫婦において、妻が夫に文句を言っている場面を考えてみよう。

妻が、「わたしたち(妻と子どもたち)があなたと一緒に過ごせる時間が短すぎるわね。あなたは働きすぎよ」と言い、その一方で妻の夢である大きな家を買うための、あるいはカネのかかるレクリエーションのためのお金が足りないと、ぶつぶつ執拗に不平を言ったとする。この場合、もし夫が妻と子どもたちと一緒に過ごすために仕事を減らせば、それだけ稼ぐお金も少なくなって、家を買ったり、レクリエーションを楽しんだりすることができなくなる。いったい、どうすればいいのだろう?

倒錯的でない夫婦の場合は(共依存的でない場合、の意)、筆者は、この二重のメッセージを受けたほうの人に、どちらの選択肢も選ばないと相手に告げるように助言する。そうすることによって、現実的な交渉を行うための議論が始まる。そして問題の解決というのは現実的な交渉のための議論があってようやく端緒につけるというものなのである。





(「こころの暴力・夫婦という密室で」/ イザベル・ナザル=アガ・著)


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このダブル・バインドを親子の関係でやられると、子どもはつらい。しかしこのダブル・バインドは、むしゃくしゃした時の親がよくやるハラスメントなのです。こうすることによって、子どもは自分の弱さ、知恵の足りなさを決定的に思い知らされることになります。こういうコミュニケーションが通常的に行われていれば、子どもは自分で筋道を立てて考えてゆく能力を発達させずに大人になってしまうでしょう。それがその子どもの人生に有利に働くことは決してないのです。


アダルトチルドレンの親は、それで子どもが失敗して自分の元に返ってくることが実はうれしいのです。加藤諦三先生によると、彼らは「自分が必要とされていること」を必要としている人たちなのです。自分で自分の目的を見つけることができず、自分の人生を生きていくことができず、子どもにかまうことで自分の存在価値を見いだそうとする人たち、だから子どもは愚かであったほうがいいのです、彼らは。自分がかまって上げれるし、自分の偉さというものを確認することができるからです。残酷な親たちです。子どもが自立して人生を切り開いていけるようにするのが親の愛というものなのに。自分の価値を確認するために、子どもを大人になりきらせないのです。

ダブル・バインドがモラル・ハラスメントとして使われる場合、それは「おまえはダメなやつだ」という暗黙のメッセージを相手に徹底的に思い知らせる意図があるのです。



3.モラハラ加害者は、被害者の評判を落とそうとします。

何人かが談笑しているときでも、モラハラ被害者に話題が向けられると、加害者は被害者のミスとか弱点とかいたらなかった経験とかばかりを持ち出してきて、こっけいに話す。人前で子ども扱いにする。




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被害者をバカにした紹介の仕方をする、辱めるようなことばかり披露する、嘲弄するしかたで人々に披露する、ひどいあだ名、小ばかにしたようなあだ名で呼ぶ、性格的・肉体的な側面を「欠点」として披露してからかう。またひそかに相手を中傷するうわさを流し、そのうわさが被害者の耳に入るようお膳立てをする。被害者のほうにはそのうわさの出所が分からないようにして、困らせる。これによって被害者の周りの人々も被害者を軽視するようになる。とくに権威者がこれを行うと、被害者は確実に軽視されるようになる。


そういう周囲に満ちた「空気」を読まざるを得なくなり、被害者は心理的に萎縮するようになり、自分に自信を失ってゆく。こういう雰囲気に飲み込まれてしまい、被害者がその空気に反応してしまって、ふてくされたりとげとげしくなったり、動揺から仕事などでミスを犯すようになると、加害者のハラスメント言動が正当化されることになってしまう。「ほら、言ったとおりだろう」というわけだ。被害者はますますあわてて動揺する→さらに失敗を起こしやすくなる→滑稽さをさらに増してゆく…という悪循環に陥ってゆく。





(上掲書)


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小中学生たちはこういうことの常連ですよね。女の子のことをブスといったり、ペチャパイと言ったり、デブって言ったり。いじめでおこなわれるハラスメントは侮辱の言葉を習慣的に投げかけます。「臭い」、「汚い」、「トロい」、「ドン(どんくさい=鈍い、トロい、の略)」。人間としての弱点をニックネームにしたりすることもあります。「デブ」、「ペチャパイ」もそうですし、わたしが小学生のとき、公園でウンチをしたというので、小学校を卒業するまで「野ぐそ」と呼ばれ続けた男の子もいました。でも成長して、人間として対等の友人関係ができあがるにつれ、こういうことはなくなってゆきます。なくならない場合はいじめがあるのです。こういうことは小中学生社会だけのことではもちろんありません。大人の社会でもりっぱに存在します。


事実これはエホバの証人社会ではよく起こるのです。長老という権威者に目をつけられた人、長老のさらに「上」の巡回監督に睨まれた人などは、たとえば会衆のだれだれを最初は褒めて、いかにも「出世」を意味する「奉仕の特権」への昇格を匂わせておきながら、実際には任命しない。エホバの証人の社会では「奉仕の特権」を獲得することだけが「一人前」また「円熟」の基準なので、男性がいつまでたっても奉仕の特権に任じられないことは、ちょうど戦前の農村における不妊の嫁と同じように、悪い者、ダメな者、ちょっとおかしい者、半端者とみなされるので、その仕打ちはかなりキツイ。「問題のある人」という扱いになります。

実際それが続くと、その被害者の人は会衆内で縮こまった存在になってゆき、軽視される者としての役割が確立してしまいます。掲示板などで怒りを爆発させる人の中にはこのような仕打ちを受けてきたと思われるケースがたまにありました。可哀想に、そういう書き込みをすることで、今度は掲示板の中でも説教され、叩かれ、小ばかにされる。モラル・ハラスメントが人間性を破壊する、というのはこういう面が顕著にあるからです。

会社でもこういうことはよく見られるのではないでしょうか。とくに競争が激しい大企業などでは。とくにリストラしたい人を自発的に辞めさせようとするときなどは。管理職にあった人をいきなり窓口係に配置転換された銀行員をわたしは知っています。みなさんがその銀行員だったらどんな気持ちになるでしょうか。いままでその銀行員を知っていた人は、その人を見てもすぐに目をそらすようになるのです。JR西日本の日勤教育などは組織的モラル・ハラスメントの見本市でした。(4)で紹介する人格の否定と関連があることですが、個々人が培ってきた熟練技術を無視してわざと初級の仕事をさせる、本来なら各個人がしなければならない掃除とかを専門的にやらせる、など。エホバの証人時代にこういうことがありました。主宰監督が有能な若手の兄弟を侮辱するために、その兄弟と同じ大会でバプテスマを受けた別の兄弟は事務系の仕事に割り当てて、その兄弟だけは、演壇から「○○兄弟はトイレ掃除を行ってください」という。このときはさすがに会衆はシーンと凍りつきました。

権威者にこういう侮辱的なレッテルを貼られてしまうと、被害者はとことん追い詰められてゆくでしょう。行き着く先は欝に陥ったり、攻撃的になったり、ふてくされてレッテルがさらに追認されたりするのです。残酷な仕打ちです。なぜならそういう仕打ちは法で裁けるものではありませんし、大抵の場合は被害者のほうの「心の持ち方」として放置されてしまうことだからです。とくに最後の、エホバの証人の例では、掃除は誰かがやって当然のことですし、謙遜さを試すとかいう口実があるので、「なぜ自分がこんな待遇なのですか」と抗議できないのです。



4.モラル・ハラスメントの加害者は、被害者の人格を否定します。


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【相手を認めない態度をとる】


これは「おまえはダメだ」と思わせるようなことを繰り返し言って、相手の長所を認めず、最後には自分でもダメな人間だと相手に思わせてしまうことである。

この方法は最初、軽蔑した目で見たり、大げさなため息をついたりと、言葉によらない形で行われる。それから、言葉でもそれが行われるようになり、悪意のほのめかしや当てこすり、冗談の裏に隠した不愉快な指摘や “批判” という形をとる。

これらの方法の特徴は間接的なので、被害者のほうはそれが攻撃だとはっきり思うことができず、したがって身を守ることができない。そのうちに、言葉はもっと直接的な形を取ってくるようになる。だが、被害者のほうに自信がなかったり、また被害者が子どもだったりすると、その言葉が真実だと思ってしまうことになる。「おまえはどうしようもない」とか「おまえはダメな(あるいは、ぶさいくな)人間だから、誰も一緒にいたいとは思わないだろう。そんな奇特な人間は私だけだ。私がいなければおまえはひとりで生きることになるのだ」とか、そんなことを言われているうちに、被害者本人がほんとうにそのとおりだと信じてしまうのだ。このとき、「どうしてダメなのか」と、被害者が自分の心のうちで加害者の言葉を問い直し、検討されることがない。

こうして、被害者は直接、間接に言われた「おまえはダメだ」というメッセージを自分の中に取り込み、そしてほんとうに自分で自分を「ダメな人間」につくりあげてゆく。ここは重要だ。被害者はもとからダメな人間であったわけではない。加害者がダメだと決めつけ、被害者がそれを受け入れたから、被害者はダメな自分になっていったのだ。

また、相手を認めないというこの攻撃の対象は本人だけでなく、その家族や友人、知人など、まわりの人間にまで広がることもある。「あいつのまわりにはろくな人間がいない」というわけだ。

加害者がこういったことをする目的はただ一つ、相手を貶めることによって、自分が偉くなったと感じることである。





(上掲書)


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相手の願望、夢、意欲、または日常の会話における個人的な見解、個人的な感想をいちいち鼻先でせせら笑ったり、「しょうもない」、「ふん、いっぱしの口を利いちゃって」、「おまえが一人前のことを言うんじゃない」、などとけなす。あるいは人前で被害者が自分の見解や感想を言ったとき、「こらっ! 何を言うんだ! おまえは黙っていなさいっ。みっともない!」(←これ、うちのオヤジが母にわたしにしょっちゅう言っていました)と叱る。こうして加害者は被害者を世間に出すのが恥ずかしいみっともない存在だと考えているのだ、という超辛辣で超非道なメッセージを叩きつける。または「はい、はい。よくがんばって言えたね~」とまるで幼児をあやすように扱う。子どもが自然現象から受けた自分の感動を目をきらきら見開いて話すと、「うそつけ」と突き放す。


エホバの証人は科学(科学的手法で研究される一切のこと。自然科学だけでなく、経済学や心理学、哲学、歴史学etc...など全部を含む)に関心を持つと、そういった意欲を罪悪視する。エホバの証人は特に精神医学や心理学、哲学を侮蔑します。それらの研究がマインド・コントロールの手法を明らかにし、エホバの証人のような宗教のあり方を暴露するからです。エホバの証人の機関紙では心理学は科学ではないと主張されています。それどころか、一般向けに書かれた教養小説や歴史書などを読むことは時間のムダ、むしろ「世の哲学」(エホバの証人の教理を否定する内容があるから)に接してしまう危険な行為と繰り返し教育されます。こうしたことへの意欲を否定し、侮辱し、非難します。現役さんの掲示板では、輸血拒否を書き込んだエントリーを意図的にスルーする。つまり直後からまったく関係ない話題を振ってそれを発展させてゆく。都合の悪い情報を否定するのに、その意見を言う人の存在そのものを否定してしまうのです。

歴史を改ざんしようとする人々の論調も同様です。いわゆる「自由主義史観」を否定する歴史学を法律によって抑えこんでゆく。「愛国心」という感情的なものによって、科学的歴史研究を罪悪と見なすよう報道し、論じ、日の丸掲揚に起立しない教師を罰するといった脅迫行為によって、否定してゆく。

モラル・ハラスメントは人間に精神の自由を認めない。むしろそれを拒否することによって、一方が他方を服従させる。モラル・ハラスメントの奥にはファシズムが見え隠れします。そしてモラル・ハラスメントが行われる目的に「相手を貶めて、自分が偉くなる」というものがあることからすると、ファシズムは究極的にはファシストの心理的不安によって立てられるものと言えるのかもしれません。





(下)につづく




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