ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

役所での経験

2016年11月02日 23時19分49秒 | いろいろ
役所で7年間働いた。

前職、前々職の人が専門性を強く打ち出す中で、役人と折り合いがつかず、結局最後は意見すらあまり聞いてもらえなくなる…という話を聞いていた。あいつらは本当に分かっていないと。もちろん、この手の話はだれが話すかということで、全然見え方は違ってくるので、それだけが真実とは言えないと思う。

中に入ってから、役人サイドは役人サイドで「あいつらは本当に分かってなかった」みたいな話をしていたから、結構深い溝があったんだなって感じた。

そんな中、役所に入ってしばらくしてから、自分は役人になるんだと決意する。専門家として、そっちの立場や知見を強く打ち出して、役人を論破するんではなく、専門領域を持つ役人として中から話を組み立てていくことを考えた。外部から来た人間としてたたかった結果、だめだったという歴史があるのであれば、たたかいかたを変えようということ。

そのことは、結果として、いいところと悪いところと両方あったと思う。

いいところとして、中からはずいぶんと信頼されたと思う。ずいぶんといろいろな仕事を任せられたと思うし、いろいろな場面にも立ち会わせてもらえた。いろいろな素案を作らせてもらえる機会もたくさんあった。一度出来上がった案をひっくり返すのは大変やから、最終決定でないにしても素案を作れるかどうかというのは大きい。そんな仕事をさせてもらったし、いい方向に進められたことも多いと思う。

でも、いつのまにか、「役人」として振る舞うというスタンスから、自制することを覚えた。最初は頭で考えて自制していたのが、徐々に自然にできるようになっていくと、より役人としては優秀になっていく。今の施策から思いっきり飛び出たとんがったことはできないけど、現実的に今の役所にできるぎりぎりの場所を攻めるというスタンスを取った。それは現場からすれば、ずいぶんを控えめにしか見えないし、ひよったように見える部分もたくさんある。でも、実際にはたたかってもできないことはできないんだから…ということで、確実に取れるものを取ろうとしたわけやけど、そんなたたかい方をする中で、自分の感覚もちょっとずつ変わっていったんだなって思う。最初は意識的にやっていたことでも、それが何度となく繰り返される中で、染みについていったものがあったし、元々のものもずいぶんと削られていったんだなって思う。もちろん、中にいるときにはそんなことに気がつかないけど。

今、現場に戻って、そこをどうやって戻していくかが大事だなって思う。正直言うと、「もうすでに自分は現場の感覚に戻って仕事をしている」と思っているのに、それが周りと全然違うということ、時々驚くということ。

感覚ってコントロールしたり、切り替えたりできるようなもんではないってことやねんね。だって、何にどう感じるか、どう思うか、何が見えるかってことやから。でも、そんなところも含めて、自分のことをきっちりとコントロールできるなんて思うことが違ってたんかもなって思う。

今の根無し草?ふわふわした感覚のときがあったということも、そのうち忘れるかもな。おもろいもんやな。
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