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間宮林蔵

2011年11月15日 19時58分36秒 | 面白い歴史・時代小説を探せ
あえて小説家としての想像力や主観的な感情表現を排し、緻密な準ノンフィクションを書き続けた大作家吉村昭の「間宮林蔵」を読んだ。
まず感じたのはビタミン欠乏症の恐怖。北の厳寒地では冬に野菜や果物が食べられないため、水腫病=脚気(ビタミンB1欠乏症)、壊血病(ビタミンC欠乏症)で探検隊のメンバーがどんどん死んでいく。みんな〜野菜をもっと食べようよ。
ちなみに脚気は、江戸時代までは、玄米ではなく白米を食する上流階級の日本人が多く罹患したため、江戸患いなどと呼ばれていた。さらに陸軍軍医総監森鴎外は、「脚気の原因は細菌である」と主張し、オカズが少ないのに白米食を続けたため、日露戦争時の帝国陸軍では約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が亡くなったという。(麦飯だった海軍の患者は皆無だった)しっかりしてよ〜。

ところで間宮林蔵だが、1809年大変な苦労をして(先住民族の人たちの絶大な協力を得て)樺太を探査し、本人名の「間宮海峡」を越え、数々の危機を乗り越えながらも沿海州まで行った。その性格は几帳面にして忍耐強く、強固な意志と強靭な脚力を持つ人物ということになろう。1807年のフォボストフ襲撃事件に遭遇した経験から、常に用心深く、執念深く、外国船の来航には決して妥協せず、厳しい姿勢を崩さなかった。これが当時の幕府の海防方針と一致したため、後半生はその名声にもかかわらず、公儀隠密としての活動を行う。その結果1811年のゴローニン事件、1828年のシーボルト事件に深く関わることとなる。
それにしても1800年前後には、なんと多くの外国船が日本に押し寄せていることか。ロシアの軍艦、米国の商船、英国の捕鯨船団と。フランス革命とナポレオン戦争の影響か? 多くは薪や水、食料の補給が目的だが、中にはステーキ食べたさに農耕用の牛を奪い去るようなマナーの悪い者もいたため、鎖国中の日本としては、強硬な異国船打払令を1825年に出す。ただしアヘン戦争(1842年)までね。
日本国内における外国人への恐怖も相当なもので、通信未発達の時代にもかかわらず、情報の伝播力は速く、外国船が打ちそろって攻撃してくるという類の流言飛語も想像以上にあったようだ。本番の黒船来航の時にはさぞかし混乱したことだろう。

いずれにしてもこの時代(文化文政)を扱った作品は決して多くはなく、テレビドラマも戦国と幕末が中心だから、興味を深めるためにも、次は大長編「ふぉん・しいほるとの娘」でも読んでみましょうか。
ジャンル:
小説
キーワード
異国船打払令 ナポレオン戦争 1825年 アヘン戦争 テレビドラマ 1842年 フランス革命 1800年 1807年 1809年
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