Review Review

 書籍・映画・音楽等、メンバーがあらゆる作品をPEGメンバーが独断で斬っていきます。

[Review No.62] 惜春

2005-02-20 00:59:11 | 音楽

 惜春
 山本サヤカ (2005.2.16 Release)



 山本サヤカは歌う。
 過ぎ行く春を惜しむように、他のCDに交換することをためらう僕。 
 自然と指はまたプレイボタンを押す。
 山本サヤカは歌う歌う。 
 僕はその歌声に包まれ、いまだ白い風の中にいる。



 

解説:鮎川直樹



 惜春とは、俳句の季語で、過ぎ行く春を惜しむことである。単純に、季節の春を惜しむ意味でも使われるが、春を人生の最良の時に置き換え、その瞬間を惜しむという意味で使用することが多い。夢を追いかけ東京で暮らす中で、ふいに郷里の彼女を思い出す「東京だより」。甲子園を目指し、夢破れた瞬間に、彼のこれまでのひたむきな努力に愛しさがこみあげ、スタンドでただ彼を見つめ続ける「地区予選」。母親が出て行ってしまい、家庭崩壊してしまう重いテーマを扱った表題曲「惜春」も、押し寄せる悲しみの中で幸せだった遠き日を心にしまい、戻らない春を惜しんでいる。
 作詞の川村サイコの世界は映像が見える。どの歌詞にも、四季それぞれの持つ美しい情景が丁寧に描かれている。そこに上京、高校野球、クリスマスなどの季節感のある題材を盛り込み、”惜春”な短編小説が広がっていく。日本のどこにでもありそうな情景とストーリー。彼女の歌詞は、そこに細心の注意を払っているように感じる。
 プロデューサーであり、作曲を担当する長尾大(D・A・I)は、今回、ポップなミディアムテンポの曲を揃えた。奇をてらうことなく、純粋にメロディの良さを追求した曲が並べられている。自身の所属するDo As Infinityとはまた違ったサウンドがここにはある。翳りある雰囲気が漂う「惜春」と歴史の趣を感じさせる「斑鳩」はメロディが特に際立っていて好きだ。

 長尾大は、山本サヤカを率先してプロデュースしたというよりは、”惜春”というコンセプトアルバムを作るにあたり、最もふさわしいボーカリストとして山本サヤカを選んだのではないだろうか。それは、作詞家の川村サイコ、アレンジャーの菊地圭介、フォトグラファー、デザイナーに自身がプロデュースするAmasia Landscapeのクルーを起用したことも同様で、全て長尾大がイメージする”惜春”を伝える上で、最高の人選をした結果、このメンバーになったのだろう。

 僕が感心したのは、ブックレットの歌詞の隣に添えられた山本サヤカの写真である。本アルバムの写真は、どのページも日本なら至る所でありそうな田舎の風景に、マフラーが印象的な冬の装いの山本サヤカが佇んでいる。しかし、不思議なことに「クリスマス行進曲」なら、クリスマスの夜、これから彼の元に駆け出しそうな恋する彼女。「僕らは弥生の風の中」なら、卒業を迎え、心分かり合えたよね、と彼が想いを寄せる彼女に見えてくるのである。これは単に山本サヤカのビジュアルをアピールする写真ではない。”惜春”というコンセプトを引き立たせるために撮影された写真だ。

 それでも、やはり最も際立っているのは山本サヤカである。このアルバムは彼女でしか成立しない、そう思わせてくれる存在感。彼女のまっさらなピュアボイスは曲に込められた”惜春”を純度100%のまま伝え、ビジュアルでちょっと垢抜けない郷里の女の子を表現することで、歌詞に登場する春を惜しむ女の子のイメージを聴き手の心へと投影させている。まるで山本サヤカと知り合いかのような、ちょっとした錯覚まで起こしてしまいそうだ。彼女は完璧にアルバムの世界に溶け込んでいる。

 このようにアルバム「惜春」は、”惜春”という明確なコンセプトに沿って作り上げられているが、その中で異彩を放つ曲が一曲だけある。それが「斑鳩」である。笛の音とピアノの旋律が美しい古風なアレンジ。切ない調べからサビで突如、激しく力強くなるメロディを歌い上げる山本サヤカ。この曲には他の曲にない強い主張を感じる。
 歌詞の舞台は、”斑鳩(いかるが)の丘で見下ろす”、”ここに都が在りし頃”とあるように、法隆寺・中宮寺などがある奈良県北部、生駒郡の斑鳩町であることがわかる。歌詞では、”惜春”という共通テーマを、都があった頃の隆盛とそこで起こった小さな恋物語を名残惜しく思う気持ちで表しているが、この曲はそれだけに留まらない。
 では、”斑鳩(いかるが)の丘で見下ろす”のは誰か? それは斑鳩(いかる)である。ブックレットのローマ字表記に間違いがなければ、「斑鳩」のタイトル名は”いかるが”でなく”いかる”だ。斑鳩(いかる)とは、日本各地の山林に一年中見られる小鳥で、澄んだ美しい声でさえずることが特徴である。実際にどのような声なのか、僕にはわからないのだが、澄んだ美しい声となると山本サヤカにピッタリである。これはあくまで僕の推測だが、この曲では、山本サヤカは斑鳩(いかる)という鳥になり、斑鳩(いかるが)の地の栄枯盛衰を見つめ続けるという設定なのではないだろうか。そして、アルバム各曲がそれぞれに春を惜しむ中で、「斑鳩」では、歴史という時間軸を用いることで、”惜春”は繰り返し訪れ、また春は来ると信じさせてくれる重要な役割を担っている。川村サイコの才能を一番強く感じる歌詞だ。
 アルバムの代表曲となると、やはり、歌詞、サウンドで訴えかける力の強い表題曲「惜春」だが、アルバムの核となっている曲は「斑鳩」と思う。この二曲の甲乙はちょっとつけられない。

 曲と詞とブックレット。アルバムを構成するこれらの質を追求し、”惜春”というコンセプトに皆が足並みをそろえることで、「惜春」はここまで完成度の高いアルバムになった。僕はただ感動するばかりだ。アルバム「惜春」はこの6曲でなくてはならない。そう断言できる。多くの方に自信を持ってお勧めできるアルバムだ。

 dreamでの山本紗也加とソロでの山本サヤカ。僕はこの2人を分けて考える必要はないと思っている。dreamの活動においても、メンバー加入当時には天使のコスプレをしたり、ミュージカル「ID」においても、性格の清らかな”信じる”美月を演じたりと、彼女のキャラクターはやはり何にも染まらぬ白である。その鮮やかな白がdreamでは元気で都会的なイメージに、ソロでは”惜春”のイメージに一瞬、染まっただけだ。どこまでもピュアな本質は何も変わらない。dreamでもソロでもどちらでもいい。彼女の澄み切った歌声がこれから多くの人に届くことを願って止まない。
 今後の彼女の活躍がとても楽しみだ。そして、また長尾大とのコラボレーションも期待したい。

[2005/2/27追記]
 「斑鳩」のタイトル名だが、ブックレットのローマ字表記の「いかる」は単純なミスで、「いかるが」が正しいようだ。
 このレビュー公開後に、オフィシャルHPの本人による曲解説で、”いかる”という鳥には全く触れずに、平城京、すなわち”いかるが”を舞台にしたという記載があった。また、インストアライブにて本人が「いかるが」とタイトル紹介していたという情報を頂いた。
 ブックレットの表記ミスとはいえ、このレビューで「斑鳩」=”いかる”と誤解された方には、心よりお詫び申し上げます。そして、発売元の方にはブックレットの早期の修正をよろしくお願い致します。

 これにより、本来は、このレビューの「斑鳩」=「いかる」説は余計な誤解を生むので、修正しなければならないのだが、ブックレット表記ミスで思わぬダブルミーニング説を生んでしまった記録として残しておこうと思う。
 改めて書くが、「惜春」が素晴らしいアルバムであることは何も変わらない。ただ、人一倍丁寧にアルバムを作り上げているのが分かるだけに、画竜点睛を欠いた惜しむべきミスだったかもしれない。