海辺の山の唐変木

芝居関係の何かが中心だけれど、方針模索中

3/16 舞夢踏ライブ

2008-05-05 13:08:44 | Weblog
早稲田大学パントマイムサークル舞夢踏のライブに行ってきました。

マイミクさんが出てまして、お誘い頂きました。東京都のヘブンアーティストとして活躍している人も多い老舗サークルです。

公演はショートのオムニバスで休憩挟んで10編ほど。


パントマイムというと、壁があったりみたいな貧困なイメージしか出てこない自分ですが、ちょっとイメージが変わりました

なんというか、無声劇で。


声を使わない分、1つ広がりを持つ分野なんだなぁと認識新た。


むしろ身体だけでここまで表現出来るんだ!と驚きつつ。

あと発想が面白いなぁと思ったりしたマリオネット拳法やらIt's show time!な「MASK」

内容も盛り沢山でした

3/15 ぷろだくしょんA組 「第一回新人試演会」

2008-04-21 00:22:08 | 観劇記
ちょっとした縁がありまして、声優プロダクションであるところの「ぷろだくしょんA組」の…何と言いますか、発表会に行かせていただきました。

三遊亭園窓師匠がなんだかプロダクション内の学校(?)落語を教えているそうで、落語をちょっと立ち芝居っぽくしてみたり、問答をやったりっていう公演(?)でした。

まぁ、プロダクションのどういったポジションやランクの人が出てるのかは分かりませんが、一番面白かったのが師匠の前説だったというのは何となくショックな感じではありました。なんとなれば、何の為の公演だこれは、という。

確かに落語はすばらしいものだとは思いますが、無理に演劇仕立てにしたり、所属声優を全員使うところをみると、何となく何のための公演かが見えてきます。演技が出来るところをみせるならば、ダブルキャストなりで一本つくればいいわけですから。

そういう観点からすれば、成功なんだろうなぁ…と思いつつ、これで所属なら俺だって…と思ってしまうわけで。中身に関しては特に触れない…というか、小さな演目がたくさんありまして触れ切れません。

あ、円窓師匠の本が受付で売ってまして、購入したら…あら面白い。
いい本を買いました。

3/9 劇団リトルスクエア「再会~12年前の君へ~」

2008-04-17 02:35:34 | 観劇記
 えっと、mixiの方に開演直前まで書いてしまったのでその辺はmixi参照で。


 話の筋を説明します。タイトルの解題はしません。芝居の内容とタイトルが繋がる感じがしないからです。話の流れは、魔法少女が願い事をかなえてくれるらしい→魔法少女を捕まえて、その力で学校一のモテ男と体を交換する→そのままの自分が一番いいんだという結論に至る

 てな具合で、汎エロゲー・アニメを混ぜたような話になっています。
 

 実は(いや、知っている人は知っていることですが)アニメ研究会とかに在籍していた自分としてはこういうモノは大好きなのですが、果たして芝居・演劇としてはどうだったのか。さきごろ「オリジナリティ」とは何かというコラムがミクシーにあった気がします。その記事では「模倣無しのオリジナリティは無い」という感じでした。結局「オリジナリティ」は色んなところから持ってきたモノの構成の仕方だと思うのです。今回の場合、どこかで見たことのある光景がかなり続きます。恐らく「あぁ、こういうのはよくある設定だな」と思うものが多かったわけです。
 そういった設定を持込むのはいいのですが、「何かこういうのあるな」という曖昧な状態のまま舞台に上げると、そういったものを見慣れているせいもあるのでしょうが、「アニメオタク」が作った「アニメ的な芝居」という風に感じます。
 以前、オムニバスで「m.o.eプロジェクト」という劇団を拝見しましたが、もうありとあらゆる「萌え」の詰め合わせでした、15分なのに。そこまで濃密なら
「ここまでやるとは」と拍手ものなんですが…。要するに、その設定や役作り・展開にあまり必然性を感じなかったのでしょうね、自分が。

 一箇所でもいいから「おッ」と思わせてくれればよかったのですが、前述のステレオタイプな設定と展開に終始してしまったので消化不良でした。曖昧なもっともらしい言葉で雰囲気を作ろうとするのはアニメやゲームの特徴かもしれません。それはもちろん、数時間・十数話を経て理解されるモノですが、1時間半ではなかなか難しい気がします。

 そう、どこかで作演の人に見覚えがある気がしたのですが、ドラえもんを舞台でやって「my friend in my heat」と言っていたジャイアンの方でした。好きなようにやっている分、それだけ受け入れられない部分があるのだということは非常に勉強になりました。正直な感想としては「上智ってこういう芝居するんだ」という驚きでしたから。   


3/8 劇団スワンキーライダー「ホーテッドアパート」

2008-04-14 23:25:39 | 観劇記
 回顧録と化していますが、観劇記です。中野ポケットにて劇団スワンキーライダー「ホーンテッドアパート」を観てきました。

 「何かオススメの舞台ありませんか?」

  と聞いたところ

 「こんなのいかがですか~?うふふ~」

  みたいにオススメ頂いたので行って来ました。リアルにこんな話し方する方なので悠星は癒されっぱなしです。

  お話は、よくある幽霊もの…と言いますか、夫婦の旦那の方が雪崩れで行方不明になって幽霊化→捜索にお金がかかる→奥さんTVの取材を入れて、そこからお金を出すことにする→見つからない→インチキ霊媒師登場→霊媒師が幽霊の声を聞ける事が発覚→旦那は頑張ってお別れを言う→実は旦那は雪崩れの中で生きていること発覚→めでたしめでたし

 みたいなお話です。


 合間にダンスがあって、ダンスチームがおります。

 
もう1月も前なんだなぁと思うのですが、観劇時は夜勤明けでかなり眠かったように思います。役者さんで1人面白いひとがいるなぁと思ったのと、長井秀和っぽい人が居たのを覚えています。

 で、この公演を観て感じたことですか。何だか幽霊の話になると、絶対恋人とか嫁さんがいるよなーと。大概死ぬのは男で、女がいるか、友達以上恋人未満みたいな相手が居ます。羨ましい…じゃないくて、ステレオタイプだなーと。
 幽霊を「この世に遣り残したこと・思い残すことがある存在」と規定しているので、物語の盛り上がりも考えてそういうことになるんだと思いますが、短期間に見ると何だか萎えてしまいます。「またか」と。別に、同じテーマを同じように描くのはよくあることなので、なんとも無いのです。でもそこで、他劇団の公演との差別化を図らねばいけないのかなと思います。
 たださえ、毎日どこかで何らかの公演が行われている東京。埋もれないために何かをしなければいけないでしょう。劇団として、役者以外の部分で。今のところ最大公約数としては「恋人(嫁)がいる」「幽霊の声を伝えることの出来る人間がいる」ということでしょうか。ここをひっくり返せば、面白くなるなぁと思って、なんとなく構想中だったりします。

観劇記録:劇団扉座研究生公演「LOVELOVELOVE11」

2008-03-02 05:52:42 | 観劇記
2月10日:新馬場、六行会ホールにて、劇団扉座研究生公演「LOVELOVELOVE11」を観劇。


 劇団扉座の公演も初めてなら、研究生公演も久しぶり。声優勉強会の先輩が出演するということで、観に行ってきました。内容はショートストーリー&ダンス&ロミオとジュリエットという内容。

 ショートストーリーは以前山の手事情社の発表会で見たのと同じような形式で作られていた様だった。あるテーマにそってエチュードないし、個人の実話を芝居に仕立てて、その中から選ばれたものが上演されるという。役者が持っている力というのが出てくるものでもあるけれど、それに付随するのかな、実話の持つ力というのは凄く説得力のあるものだった。地に足の着いた話と地に足の着いた演技、たまにぶっとぶ。ショートストーリィの中にはあるていど練られた脚本形式のものもあり、こちらは練られたものならではの面白みとバカ加減が良かった。
 ダンスは扉座のメインがどうもタップダンスらしく、前面(全面?)に押し出してきた。大人数で広い場所で踊る迫力というのは凄いなぁ…と感心していたら、どうもタップダンスの踊り方としては「?」な感じらしい。踊りの方法にしても劇団ごとの特色があるのだなと思ったりもした。

 問題なのはロミオとジュリエットで、私はこれが余計なのではないかと思った。R&J→ウェストサイド→R&Jと展開?していくのだが…なんだか、地に足が着いていない感じがした。台詞が流れて行き過ぎている様に。なんでかなーと思って考えてみると、果たしてシェイクスピアの時代の台詞回しと実際の演じ方(立ち振る舞いも含めた)は現代とどれほど違うのだろうかと。旨く合致しないと、齟齬を生ずるのではないかと思ったが、演劇学者でも何でも無い自分には分らない。

 そういった内容で上演された「LOVELOVELOVE11」は何が良かったか。力が、パワーが前に出てきたことだと思う。人間の迫力が、この公演で進むか落ちるかという瀬戸際が生み出すのか、とても魅力的だった。

 こういう魅力を持つ人間にならなきゃいけないんだ。役者はそういう人間であるべきなんだ。人に非ず、人を憂うと書いて俳優だと芝居にしたのは電動夏子さん。人の力と心を持ちながら、人でない、そういう存在になれるだろうか。

漫画語録1「音楽は人を殺れる」

2007-12-05 06:11:25 | 漫画語録
出典:デトロイトメタルシティ4巻
発言者:デスレコーズ社長

デトロイトメタルシティは、今人気の音楽ギャグ漫画。
同名のバンドの迷走を描きます。

さて、その主人公であるところの根岸改めヨハネクラウザーⅡ世(通称:クラウザーさん)の鬼気迫る演奏を見て社長の一言。

この時サタニックエンペラーというデスメタルイベント中で、相手バンドとの対決中に会場は大炎上。阿鼻叫喚の炎の中、クラウザーはギターを引き続ける…そんなシーンです。


今までギャグ漫画としてしか見ていなったDMCを、音楽が好きな人が書いた漫画なんだと思い直した一言。

舞台百箇條 伍之段・解 「長に至る」

2007-11-27 14:10:13 | 古典芸書
最近、アンケートを書きづらくなりました。特に舞台関係で。面白かった、良かった時はいいんですが、そうで無かった場合どうしたものかなと。

ちょっと前までは「ここがツマラナイ」と書いていたんですが…
そういう事は、書いてて意味あるのかな…と思ったりするようになりまして。まず、アンケート書いてて果たしてどの程度反映されるか…というか、届いているのかという不安。そして、自分ごときが何を言ってるんだろうと。

そんな事を言ってる暇があったら精進しないと、と思うわけで。その一方で客(金を払った)なのだから、言うべきは言わないと気がすまない、なんて事も。

それでかどうか、後で個人的にメールでやりとりが多い。知り合いが出ている場合だけですが、感想やらなんやら。



此の段の後半は稽古方法についてですね。師匠について勉強せよと。独力では勉強し難い事はやはり多く、師事する人物は必要と思います。どこで、どのくらいというのは色々あるかと思いますが。そうして価値観・演技、学んでいくことは引き出しを増やす意味でも大事。
しかし、接穂の如く、とあるように、あくまで幹は自分であり、得ていくものを接いでいく様にしないと本末転倒。色々な池に飛び込んだとしても、自分を見失わないのが成長の秘訣ではと思います。




役者論語より舞台百ヶ條 伍之段「長に至る」

2007-11-21 01:43:07 | 古典芸書
本文

芸者其の一人となれば。至らぬ芸者をそねみ。あしざまにいふ事は。たとへていはば。数百の蟻の蚯蚓をせせるに似たり。甚だあさましき事也。其長に至るものは。おのれが心をみがきて。其品に応ずる妙をあらわせり。甘柿の木に渋柿をつぎて。はやく実のるをたのしまんとするゆゑ。却って渋柿の悪名を取る。渋柿の木に甘柿を接合せ。生いたつ時は本の味をうしなわず。萬物も実ばえより善悪しれがたければ。役者も物になれたる人にたより。接穂のごとく修行せば。名誉の名を得べし。


語句

品:人柄・品位
接穂:接木をする時に、つぐ方の枝


現代語訳

芸に関わる者の中で、大成しない者は、発展途上の者を見て妬み、悪く言う。これは例えれば数百の蟻がミミズを笑う様なもので、とても嘆かわしい。大成する者は、芸を磨いて、今出来る最高の表現をする。柿で例えると、早く実がなるのを楽しみして甘柿の木に渋柿を接木すると、結果的に渋柿となってしまう。渋柿の木に甘柿を接げば、柿本来の味を失うことが無い。何事も見ただけでは善し悪しが分からないのだから、役者も既に役者として認められている人の下で、木を接ぐ様に修行すれば、役者として大成するのである。



今回は役者として成功するには、という話です。
前半は芸事全般です。
考察や雑感は別途アップしますが、いやはや耳の痛いお話です。

舞台百箇條 四之條「心」 &解

2007-11-20 23:52:50 | 古典芸書
原文

狂言をするは。心一杯にするをほむべし。

単語
心:知識・意思・感情の総称、趣き


訳文

芝居で大事なことは、感情を表現することである。



短いので、解も込みこみで

喜怒哀楽なんていいますが、兎に角感情を表現するのが第一。そこを褒めるべきなんだよ。っと言ってます。台詞も立ち振る舞いも、その人物の感情(心)を表現するためのものなんですな。「心一杯」が相手に伝わるように最適な方法を探す。これが役者の一側面ではないでしょうか。今も昔も、舞台の上に生きているのです。

舞台百箇條 三之條 解

2007-11-20 23:52:08 | 古典芸書
舞台百箇條 三之條「実」


ここで、舞台における実=事実=目に見えるもの、とはどうあるべきかということが言われているわけです。同時に「面白い」ものはどうあるべきか…ということも。

なんで舞台を見に来るのか?ということです
それはとりもなおさず「芝居の実」が「虚」であるからではないでしょうか。

「虚」は「事実でないこと」と辞書にはありましたが、訳では「現実の日常でありえないこと」としました。日常でありえる事ばかりを見せるなら、「舞台」という時間・空間に身を置く必要はなく、ただ日常生活を過ごせばよい事になります。
日常ありえない話だからこそ「どんな話だろう」とか「こんな話かな」と想像しながら、その空間・時間を共有するために劇場へ足を運ぶのだと思います。
キャラクターの形成などもここに入るでしょう。「日常ありえない」からこそ、輝きを放つこともあります。

しかし、そういった「虚」を見せる場でありながら、あまりに現実からかけ離れすぎていてもまた観客の興味を惹くことは難しいのではないでしょうか。自分と全く異質な空間・時間・人物…そんなものばかりならば、感情移入をするのはなかなか出来ないことです。そのために「現実と地続きな部分」が必要になってきます。それが「をかしき事は実より」という言葉になるのだと思います。

どこにでもいそうなサラリーマンが…という「現実」に存在する立場やキャラクター

もし○○が××だったら…という「現実」を「ちょっとずらした」設定などなど

特に後者は「IF」の部分以外は多くが「現実と同じ」になります

その「現実と同じ部分」を辿って、観客は「芝居の虚」へと至るのだと考えます

芝居独特の動作…例えば見得を切ったり…は、周囲が日常の動作を主体にしているからこその見得と言えるでしょう


書けば書くほど深みにはまって、支離滅裂になっていく様が感じられるのでここまで。


何事にも例外はありますが。