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★東京書籍の年表スキャンを認めた「つくる会」の墓穴

「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社版中学校歴史教科書が自虐教科書(東京書籍)から年表を盗用した問題で、当時の編集担当者の松本謙一氏が「自分は盗用に関与も関知もしていない」と主張した回答書に対し「つくる会」は17日、「反駁」書を会員に送りました。公正を旨とする当ブログは全文を紹介します。
 
「反駁」書は会長の杉原誠四郎(本名・平田誠四郎)の責任で出されたのですが、「杉原氏が年表の『担当執筆者』であり、その『主任』であったとしたら、杉原氏の性格からしても実績からしても、その仕事を無責任に放棄することはあり得ません」などと自惚れた文言があります。
 
そして「『つくる会』側の調査では、鈴木事務局長の指示で事務局員の一人がスキャナーで東書14年版の年表の文字を読み取り、テキストファイルでフロッピー・ディスクに入れ、松本氏の事務所に送ったことが確認されています」と、東京書籍の年表をスキャンして松本謙一氏側に送った事実をあっさり認め、墓穴を掘っています。
 
松本氏が年表を作成するための下書きに利用できると考え、松本氏の作業の手間を少しでも軽減してあげようという善意の支援策として行った行為」だそうです。「下書き」とはどういう意味でしょうか。小山常実という聞いたことのない短大の聞いたことのない教授が育鵬社を中傷するときに使っている「リライト」をしろということでしょうか。他社の教科書をスキャンすること自体が異常な行為です。参考資料ならスキャナーで読み取ってテキストデータにする必要はなく、本のコピーを渡せばいいだけのことです。「うまくリライトしろと言ったのに、そのまま使いやがって」ということでしょうか。
 
「つくる会」と松本謙一氏の最大の争点は「そのデータが東京書籍からスキャンしたものだと松本氏が知っていたのか知らなかったのか」というわけです。冷笑するしかありません。どうぞ両者で争ってください。
 
松本謙一氏が知っていて使ったのだとしても、後で気付いた事務局長の鈴木尚之やスキャン実行役の事務局員はなぜ黙っていたのでしょうか?
 
年表流用問題の真相
-編集担当者松本謙一氏の回答文書への反駁-
                 平成23年12月17日
               新しい歴史教科書をつくる会
年表流用問題について、当会は、11月29日付け福地惇副会長(教科書採択推進委員会委員長)名の書簡で、当時の編集担当者(自由社教科書編集室長)であった松本謙一氏に対し、流用に至った事情を照会しました。これに対し、松本氏は12月8日付けの書簡で回答すると同時に、その文書を報道機関を含むかなり広範囲の関係者に当方に無断で郵送しました。 しかし、その内容は自己の責任を一切認めず、「つくる会」側の、しかも故人に責任を転嫁したものであり、その論旨は破綻しています。松本氏がこのように、調査中の事案について、「つくる会」の社会的信用を著しく貶める文書を一方的に公開したため、インターネット上でも「つくる会」のイメージダウンを狙って悪意をもって流布されています。「つくる会」としては松本氏の名誉を慮って、今まであえて編集担当者の名前に言及することを避けてきましたが、ことここに至ってはやむを得ず、以下の通り年表流用問題の真相を明らかにし、松本氏の責任を公にする必要に迫られることになりました。これを機会に、会員や支援者の皆様におかれましては、以下の事実関係をよくお読み取りいただき、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
(1)教科書編集の基本方針と年表の作成担当者 平成19年秋、「つくる会」の趣意書に基づく歴史教科書を新たに自由社から発行し、『新編 新しい歴史教科書』として平成20年4月の文科省検定に提出する方針が固まりました。代表執筆者は藤岡信勝会長(当時)がつとめ、編集担当者の役目を、前つくる会東京支部長で、定期雑誌を編集・発行してきた松本謙一氏に委嘱しました。
日付けは今のところ特定できませんが、編集の基本方針と執筆の分担を確認する会合が開かれました。その場で、
①本文及びページ単位の大型コラムの大部分の執筆と仕上げ、及び他の執筆分担者の原 稿とりまとめの責任は代表執筆者である藤岡会長が引き受ける
②本文周辺の教材及びその他のページは、自由社教科書編集室長である松本氏の責任に おいて制作する
③松本氏には、編集担当者としての職務とは別に、文化史など個々のページについては、 本文及び大型コラムの執筆者としても委嘱する
との方針が決定・確認されました。従って、年表の作成担当者は編集担当者である松本氏となります。年表については、各社教科書の年表の構成などを調査した上で、自由社独自のものをつくることを確認しました。
ところが、松本氏は回答文書の中で、「当該年表の担当執筆者に藤岡氏が指名したのは、主任は杉原先生、補佐は福地先生」だったと書いています。これは全くの虚偽であり、編集会議でそのような決定をおこなったことはありません。もし松本氏の言う通り、杉原氏が年表の「担当執筆者」であり、その「主任」であったとしたら、杉原氏の性格からしても実績からしても、その仕事を無責任に放棄することはあり得ません。それだけではなく、この嘘が成り立たないことは、松本氏の回答文書の中で、杉原氏が担当執筆者であったという松本氏の主張との矛盾が生じていますので、該当箇所で指摘することとします。
(2)年表の流用が生じた経過
さて、東京書籍平成14年度使用開始供給本(以下、「東書14年版」と略称)の歴史教科書から日本史の部分の文字情報が殆ど丸写しの形で流用された経過について、松本氏は、回答文書の冒頭で「結論」として、次のように述べています。
【当該年表の原稿は担当執筆者であった杉原誠四郎先生(現貴会会長)の指示により当時の貴会本部事務局長、鈴木尚之氏が事務局員(氏名不承知)に作成させ、私ども当時の「自由社臨時教科書編集室」にフロッピー・ディスクに記録した電子情報で送達したものをそのまま使用したもので、内容の製作経緯に関しましては、当方は一切関与も関知もしていません。】
そして本文では、さらに詳細に次のように経過を述べています。
【平成20年3月末に至って、「つくる会」鈴木事務局長から思いがけず私の事務所(当時、自由社の臨時教科書編集室として提供)に電話があり、「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」といわれました。】 【フロッピー・ディスク(だったと記憶しますが)で「つくる会」本部から私ども「臨時教科書編集室」に届いた原稿は、その時点ですでに年表の枠組みデザイン(新規に作成)を用意して文字原稿の入稿を待ち焦がれていた図表担当の下請けデザイナー須藤氏に直ちに転送してページ組みの体裁に整えました。他の分担執筆者からの入稿と全く同様に、原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません。】
「つくる会」側の調査では、鈴木事務局長の指示で事務局員の一人がスキャナーで東書14年版の年表の文字を読み取り、テキストファイルでフロッピー・ディスクに入れ、松本氏の事務所に送ったことが確認されています。そのデータは「つくる会」事務所に保存されており、「教科書ーー年表」と名付けられたフォルダーにワードで作成された文字が「1、2、3、4」というナンバーをつけて4分割されて入っていました。保存日は平成20年2月27日です。松本氏が「3月末」としているのは記憶の間違いと思われます。データをA4の用紙に打ち出すと11ページになります。そのうちの最初の1ページは別紙の通りです。
しかし、言うまでもないことですが、鈴木氏が東書14年版の年表の文字データを事務局員に指示して入力し松本氏に送ったのは、教科書の制作作業に追われていた松本氏に同情した鈴木氏が、松本氏が年表を作成するための下書きに利用できると考え、松本氏の作業の手間を少しでも軽減してあげようという善意の支援策として行った行為であることは疑う余地がありません。ですから、松本氏はその文字データを入力の手間を節約するために利用しつつ、独自の年表として仕上げる作業をした上でデザイナーに渡すべきであったのに、その作業を怠ったということになります。この点で松本氏の責任は免れません。
ついでに言えば、松本氏の回答文書でも言及されているとおり、鈴木氏は各社の歴史教科書を取りそろえて松本氏の事務所に送りましたが、それは松本氏が年表などを作成するための参考資料であり、鈴木氏は各社の教科書の年表の構成などを調査した上で自由社独自の年表を作成するという当初からの基本方針に基づいて行動しているのです。
松本氏は、鈴木氏が「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」と電話で語ったとし、鈴木氏の行為が杉原氏の「指示」によるものだったとしています。この点について、杉原氏に確たる記憶がありませんが、「つくる会」事務所での鈴木氏との会話で、松本氏の作業を支援するため年表用に使う文字群の電子データを入力して松本氏に送ってあげればよいかもしれない、という類の話をした可能性はあります。確定的なことは言えませんが、それを鈴木氏は「杉原先生の指示」として松本氏に伝えたとも考えられます。しかし、杉原氏のこの件での関わりはそれ以上でも以下でもありません。杉原氏は、出来上がった年表を見て、当然ながらそれは松本氏が独自に作成したものであると信じていました。この点は、他のすべての「つくる会」関係者の共通した認識でした。
それよりも、もし、松本氏が本当に杉原氏が年表の「担当執筆者」の「主任」であると信じていたのなら、送られてきた原稿は杉原氏の原稿であると考えるのが当然であるのに、なぜか松本氏は、「つくる会」の事務局員が作成したものと想像しています。このことからも、松本氏は杉原氏の役割について、虚偽を述べていることはあきらかです。
(3)松本氏の弁明の矛盾
松本氏の弁明のポイントは、<鈴木氏から受け取ったフロッピーの文字情報を、松本氏は東京書籍14年版の年表の文字情報を入力しただけのものとは知らず、「つくる会」側が独自につくった年表の完成原稿だと思い込んだ>と要約できます。松本氏の言葉を引けば、「歴史に素養のある事務局員の誰かがそれら[つくる会事務所にある歴史資料を指す-引用者注]から必要事項を拾って新規に編成した原稿であろうと想像していました」、「原稿執筆者の権威と専門知識を信頼して、私および私の配下のスタッフは、その内容には一切手を触れていません」などと書いていることから松本氏の主張がわかります。
鈴木氏と松本氏の間でどのようなやりとりがあり、フロッピー・ディスクのデータについてどのような確認のもとにデータの受け渡しが行われたのか、一方の当事者である鈴木氏が死去している現在、確かめようがありません。しかし、松本氏の弁明が成り立たないことは、松本氏が引用している鈴木氏の発言や前後の事情から十分に論証できます。
第一に、松本氏の回答文書によれば、鈴木氏は「年表の原稿は杉原先生の指示で事務局員に入力させたので、直ちに送るからこれを使ってください」と言ったとのことです。もし、事務局員が年表を作成したのなら、「入力させた」という言い方をするはずがありません。年表の「作成」のほうが「入力」よりも重要な作業ですから、鈴木氏は「事務局員に作成させた」と言うはずです。「入力」という言葉は、すでにある文書を電子情報に転換したという意味になることは当然です。鈴木・松本両氏の間では、文字データが東書のものであり、下書きに利用するためのものであることは当然了解されていたはずです。
第二に、それでも松本氏は、鈴木氏から受け取ったフロッピー・ディスクの情報を「つくる会」側の作成した独自の原稿だと思い込んだ(錯覚した)という弁明は成り立ちそうに見えます。しかし、残念ながらその弁明は根本的に矛盾を含んでいて成立しません。
松本氏の回答文書によれば、図表担当の下請けデザイナー須藤氏は、原稿が到着する前に、予め「年表の枠組みデザイン」を「新規に作成」して、「文字原稿の入稿を待ち焦がれていた」とのことです。ところが、その「新規に作成」したと称する「年表の枠組みデザイン」は、新規でも何でもなく、東書平成14年版の年表と殆ど同じです。出来上がった自由社版の年表の枠組みは、「日本のおもなできごと・朝鮮・中国・世界のおもなできごと・西洋」という欄から成っていますが、この構成は東書14年版と全く同一で、各欄の横の幅のサイズまでもほぼ同じなのです。予め、東書14年版をまねるという意思が無ければ起こり得ないことです。
さらに奇妙なことがあります。年表の原稿は、松本氏の説明によれば、「思いがけず」かかってきた鈴木氏からの電話ののち送られてきたとのことですから、それが東書の教科書の年表であることは事前には知り得なかったはずです。それなのに年表の原稿が東書14年版の年表のデザインに対応するものであるということが、松本氏と須藤氏はどうしてわかったのでしょうか。要するに、「つくる会」から送られた文字データが東書14年版のものだとは知らなかったという松本氏の説明は完全に破綻しています。
第三に、つくる会の事務局で出来ることは、文字データの入力に限られます。実際、別紙をご覧いただければわかるとおり、「つくる会」側が提供したデータは、東書14年版の年表の文字情報だけを列挙した形式のもので、各欄のタイトルさえ入力されていません。この文字情報を年表の形にくみ上げるのがデザイナーの仕事になりますが、その場合、デザインすべき設計図や組み方の実物モデルがなければ、どんなデザイナーも作業を進めることは不可能です。従って、東書14年版年表の現物またはコピーを須藤氏は参照しながら、文字の配置や空間を決めていったものであることは疑いなく、その行為はもちろん松本氏の指示のもとに行われたのですから、東書14年版と同じようにデザインすることを須藤氏に指示した松本氏は、その作業が東書14年版の流用であることを十分に認識していたことになります。松本氏は「もちろん私は鈴木氏から年表の出典はまったく聞いておりません」と強弁していますが、これは虚言というほかはありません。
さらに、自由社の年表には、東書14年版で「●」印であらわされている「このころ」を表す約束事の記号を、「このころ」という文字にした独自のロゴがあります。これも、松本氏が指示しない限り須藤氏が勝手につくるはずもなく、松本氏は東書14年版からの流用であることに気付きにくいように、一種のカモフラージュとして新しいロゴを作成したと考えられます。松本氏は、「私および私の配下の技術スタッフは、その内容には一切手を触れていません」などと書いていますが、それは事実に反します。
(4)その他の論点 
以上で問題の要点は尽きていますが、松本氏の主張に見られるその他の論点について、いくつか補足しておきます。
第一に、松本氏は、年表の原稿の作成が自分の仕事ではなかったかのように説明していますが、基本方針の項で述べた通り、本文とページ単位のコラム以外の部分は、編集担当者として自由社から給与を受け取って仕事をしていた松本氏がなすべき業務でした。松本氏は、教科書の作成を自分に任せて欲しいと強く希望し、実際、本文とページ単位のコラム以外の部分はすべて仕上げました。当然ながら、年表も松本氏が担当すべき業務でした。
このような認識が、当時関係者に十分に共有されていたことは、松本氏の回答文書自体が証明しています。松本氏によれば、つくる会の鈴木事務局長がデータを松本氏に渡す際に、鈴木氏の電話は「事務局から松本さんへのプレゼントです」という冗談めいた挨拶から始まったとのことです。もし、松本氏の言う通り「つくる会」側に原稿作成の責任があるのなら、単にやるべき作業を実行しただけのことで、鈴木氏は「プレゼント」という表現をここでするはずがありません。「プレゼント」という表現は、年表作成は松本氏の仕事だが、その一部を肩代わりして作業をして差し上げた、ということを意味します。
第二に、平成21年7月1日に各執筆者の印税配分を決めた際、年表は松本氏の配分に入らなかったことを理由にして、松本氏は「代表執筆者の藤岡氏も年表は私の作成ではないと認識していた」と主張しています。これも、全く当たりません。では、年表のページは誰に印税配分されたかというと、誰にも配分されていません。これは「著作権確定のための原則」という同日配布した文書に、「表紙、目次、扉、地図、索引、などのページについては、自由社の編集部として行った作業であり、著作権の対象から除外する」と明記されていることによるものです。年表も著作権の対象から除外されているので松本氏の作成にかかるものであっても印税が発生しなかったのです。印税が発生していないということは、かえって年表が編集担当者の責任において作成されたことの明白な証拠です。
第三に、9月12日付けの自由社加瀬社長の照会に対する松本氏の9月18日付けの回答文書でも、今回の「つくる会」あての回答文書でも、松本氏は、東書の教科書が自分の事務所にはない、ということを盛んに強調しています。しかし、現実には東書14年版の年表のデザインを引き写して自由社の年表はつくられているのですから、松本氏及び須藤氏が東書14年版の年表を十分に参照したことは上記の説明のとおり疑いの余地はなく、教科書が手許にないという弁明には何の説得力も証拠価値もありません。
第四に、松本氏は、なぜ年表流用が発覚した5月の時点で自分に問い合わせをしなかったのかと問い詰めています。理由は、当時は教科書の採択期間中だったからであり、採択が終わった直後の9月12日に、上記のように自由社側が調査を開始しています。もし採択期間中に松本氏への問い合わせをしたなら、氏が自由社教科書の採択を挫折させるための妨害行動に出ることは明らかでした。現に今回、当方から質問状を出しただけで、しかも、12月10日に杉原会長が調査が完了するまで外部への公表を控えたいとの趣旨で松本氏に電話したことをも無視して、一方的に文書を公表し、「つくる会」を攻撃し、会の「清算」まで勧告するという異常な行動をとっています。この松本氏の行動そのものが、採択期間中にこの問題の究明をあえて避けた当方の対応が正しかったことを示しています。
松本氏は、「つくる会」の教科書運動にこれだけの損害を与えながら、一片の謝罪もなく、松本氏の多忙を見かねて善意で支援の手を差し伸べたことを悪用して「つくる会」側に全面的に責任を転嫁し、「死人に口無し」よろしく故人である鈴木事務局長を「キーマン」に仕立て上げて自己の責任を免れようとしています。松本氏のこのような道義に悖る態度は、かつての仲間として残念でなりません。
なお、年表流用問題についての松本回答文書への反駁は以上で完結しておりますので、当会としては、この先、これ以上議論する必要を認めません。今後、さらにこの件で「つくる会」の信用を毀損する行為がなされた場合は、法的措置も視野に入れて対応いたしますので、松本氏及びこれに加担するネット関係者に予め警告しておきます。 以上
 
*事務局注記 12月8日付け松本謙一氏の回答文書の全文は、「つくる会」のホームページに掲載します。
 
別紙
  ●このころであることを示す。
  ■日本と外国との関係をあらわす。
 ●採集や狩りによって生活する
 ●稲作,金属器の使用が始まる
 ●各地に小さな国ができる
57■倭奴国の王が後漢に使いを送る
239■邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る
  大和国家の統一進む
 ●このころ,倭,高句麗と戦う
478■倭王武が中国の南朝に使いを送る
  ■百済から仏像・経典がおくられる
 ●物部,蘇我氏ら豪族が勢力を争う
593聖徳太子が摂政となる
607■小野妹子を隋に送る
630■第1回遣唐使を送る
645大化の改新
  ●公地・公民の制
  ●改新政治が進展する
701大宝律令
710都を奈良(平城京)に移す
743墾田永年私財法
  ●荘園ができ始める
784都を京都(長岡京)に移す
794都を京都(平安京)に移す
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縄文文化
縄文士器
弥生文化
弥生土器
銅鏡
銅剣
銅鐸
銅矛
古墳文化
古墳 鏡・玉・はにわ
大陸文化の伝来
漢字
仏教
儒教
飛鳥文化
法隆寺
百済観音像
天平文化
「古事記」
「風士記」
「日本書紀」
東大寺の大仏完成(52)
正倉院「万葉集」
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