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国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

京都・奈良とは何か:小浜市のお水送りと東大寺のお水取りに見る畿内を守る五芒星の結界とその中心軸

2017年12月24日 | 京阪奈学研都市への遷都
●観光スポット詳細:お水送り(おみずおくり)|観光スポット | 若狭おばま観光協会公式サイト





 3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。

 奈良のお水取りが終わると春が来る。関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は全国にも有名な春を告げる行事ですが、その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。(両市は、この天平時代からの1,200年の歴史の輪廻により、昭和46年より姉妹都市盟約を締結しています。)

 「お水送り」は午前11時、下根来八幡宮で営まれる山八神事から行事はスタート。神宮寺僧と神人がカシの葉に息を吹きかけ、手を交差させて後ろに投げます。これは、体内に宿った悪霊を振り払うためです。それから赤土をお神酒で練ったものをご祈祷してからなめて、残り土で柱に「山」と「八」の字を書き込みます。

 午後1時からは神宮寺境内において弓打神事。紫の装束に身を包んだ氏子代表が古式にのっとり、30メートルほど離れた的に向けて弓を放ちます。

 午後5時半ごろ、白装束の僧がホラ貝を吹きながら山門をくぐり入場します。

 午後6時からお堂で修二会を営み、「だったん」の行へ。7メートルもあろうかと思われる巨大松明を「エイッ、エイッ」とのかけ声とともに振り回します。
 いよいよ大護摩に火がともされると、炎が水面に燃え広がったようになります。住職が送水文を読み上げ、邪気払いをし、香水を遠敷川に流す。香水は10日後、奈良東大寺の「お水取り」で汲み上げられます。

<松明行列について>
・午後7時30分頃からの約2kmの松明行列には、市民、観光客の皆さんも手松明を購入して参加することができます。
・手松明はできるだけ事前にご予約ください。(当日ご購入用も若干ご用意しています。)

※注)お水送り準備等のため、2月15日から3月5日まで若狭神宮寺の拝観はできません。
http://wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?64






●若狭彦・若狭姫神社
若狭彦神社(上社)には若狭彦神が祀られている。
若狭姫神社(下社)には若狭姫神が祀られている。
境外社の白石神社は東大寺(奈良)の二月堂で行われる「お水取り」の水源。
http://ookuni.info/19_fukui/002.php



●鵜の瀬と白石神社  :福井観光Web

神宮寺から遠敷川の上流に向かって1.5km行った所に鵜の瀬があります。奈良時代に若狭神宮寺から東大寺へ行かれたインド僧実忠和尚が大仏開眼供養の指導の後、二月堂を創建し2月初日に全国の神々を召集するものの、若狭の遠敷明神だけが遅れて2月12日に参列されたことより、そのお詫びをかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送ることを約束したのがはじまりで鵜の瀬で3月2日にお水取りの行事が行われるようになりました。鵜の瀬の水中洞窟から奈良の二月堂はつながっており鵜がもぐって行ったとの伝説が残っています。鵜の瀬の水は名水100選に選ばれております。川の水を飲むのはちょっとという方には、近くの鵜の瀬公園に給水場が設けられています。ポリ容器1個に300円、ペットボトル4個に300円のステッカーを購入することで利用できます。
鵜の瀬公園に隣接する白石神社には、天然記念物の椿が群生しています。
http://echizen.info/kankou/unose.html





●5分でわかる熊野本宮大社 - 熊野本宮大社 | 公式サイト



・熊野三山はどんな神社なの?
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。

・熊野本宮大社の歴史まとめ
当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。
歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、飛鳥時代(615年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。
明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。
今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。
平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。

・3本足のカラスのマークは何?



八咫烏
当社のいたるところに見られる3本足のカラス。日本サッカー協会のシンボルとしても有名な、八咫烏やたがらすです。八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場します。
これは神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。

一番大きなお祭は?
大斎原境内が桜色に染まる美しい季節、4月13日~15日にかけて行われる例祭です。15日は、当社の神々が旧社地大斎原へ、年に一度の里帰りをされます。また農業神事としての側面もあり、祭典を通じて一年の豊穣をお祈りします。
http://www.hongutaisha.jp/digest/




●橿原神宮について|橿原神宮



建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。
日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神あまてらすおおかみの血を引く神倭伊波禮毘古命かむやまといわれびこのみこと(後の神武天皇)が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。

御祭神

神武天皇
第一代神武天皇と、皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りしています。

橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみことです。神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊ににぎのみことより四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと」と申し上げます。皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方です。
http://www.kashiharajingu.or.jp/about/




●祭典・行事|橿原神宮
神武天皇祭(3日):神武天皇が崩御された4月3日に執り行われる神武天皇祭は、古くから「神武さん」と親しまれ、地元はもとより近郷、他府県からの参拝者で、社頭は終日賑わっています。
また境内地では橿原市・橿原市観光協会を中心とした実行委員会によります「春の神武祭」が開催され、各種イベントが執り行われています。
http://www.kashiharajingu.or.jp/event/





●北朝系皇族の菩提寺である御寺泉涌寺とその西隣の東福寺と五芒星正中の南北軸




●東大路通り・八坂神社・清水寺・御寺泉涌寺・東福寺・伏見稲荷大社・伏見桃山城付近を通る五芒星正中の南北軸



●鞍馬寺と五芒星正中の南北軸



●秋篠寺と五芒星正中の南北軸



●精華町と五芒星正中の南北軸


●五芒星正中の南北軸





●ゾルゲ市蔵‏ @zolge1

イマジナリーラインについては自分も以前から気を使っている。特に近畿の逆五芒星と出雲からの波動が大事だと思う。最近のクリエイターはこれがわかっていない。
https://twitter.com/zolge1/status/453547132872450051/photo/1



●こんなしうちってw@100baigaeshi55
三重の伊勢神宮、和歌山の熊野本宮大社、岐阜の伊吹山、京都の外宮豊受大神社、兵庫淡路島の伊奘諾神宮っていう重要な神社と霊山を一緯度の長さで結ぶと都を護る大五芒星ができるらしい。すげぇ
https://matome.naver.jp/odai/2140023535006039601



●☺空☻ネット保守連合@tyo21sky



日本有数の五大パワースポットを線で繋いでみた… ・伊弉諾神宮 ・熊野本宮大社 ・伊勢神宮内宮 ・元伊勢内宮 ・伊吹山 その線のクロスポイントが奈良であることに気づきました 平城宮跡は~大地に描かれた巨大な五芒星~の中心地でもあるのです
https://twitter.com/tyo21sky



●神武東征とレイライン | ハムレットの水車小屋

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1207.html





【私のコメント】
畿内には五芒星がありその中心に平城京がある。五芒星の頂点は伊吹山・伊勢神宮内宮・熊野本宮大社・伊弉諾(いざなぎ)神宮・元伊勢内宮皇大神社である。この五芒星はほぼ東西対称形となっており、伊弉諾神宮と伊勢神宮内宮、元伊勢内宮皇大神宮と伊吹山は緯度がほぼ等しい。

また、五芒星の正中線上には平安京・飛鳥京・若狭彦神社・若狭姫神社があり、経度がほぼ等しいため。南北に一列に並んでいる。

長岡京・恭仁京・難波京・平安京・平城京・飛鳥京は全てこの五芒星の中心の五角形の中にある。その周囲の五個の二等辺三角形の中には大津京・信楽京・福原京・南北朝時代の吉野の南朝政府などの宮殿所在地があるがいずれも短期間の首都にとどまっている。信楽京を除くと壬申の乱・源平合戦・南北朝の対立など複数の天皇を擁する勢力が五芒星中心の五角形の中にも存在し並立して激しく争うという内戦の時代であった。東京はこの五芒星から遠く離れた場所にあるが、南朝系の明治天皇・昭和天皇・今上天皇・浩宮などと北朝系の大正天皇・三笠宮・秋篠宮・悠仁親王などが並立している点は類似している。ひょっとすると真の北朝系の皇族は東京では無くこの五芒星の中に住み続けており、秋篠宮や悠仁親王は影武者に過ぎないのかもしれない。

いずれにせよ古墳時代から明治維新までの日本の首都は全てこの五芒星の中にある。驚くべきことだ。第二次世界大戦では平安京・平城京・飛鳥京はいずれも空襲を逃れている。五芒星の結界に守られていたのだろう。

この五芒星の五角形の中心点は京阪奈学研都市内部の京都府精華町のオムロン京阪奈イノベーションセンターから南方に数百メートル離れた山林にある。この場所が今後どのように利用されるのか注目すべきだろう。私が秋篠宮の新天皇としての即位場所として予想する国営平城宮跡歴史公園の復元大極殿や、その名前の由来である秋篠寺は間違いなくこの五芒星の中心付近にある。秋篠寺は敷地の東の端を五芒星の正中線が通過している。正中線は私が新皇居建設地と予想し続けている祝園分屯地と京奈和自動車道の間の山林地帯を通過しており、新皇居もこの正中線付近にあるのだ。

神武天皇が即位した橿原神宮や大和三山も正中線の近傍にある。正中線は京都市では東山の山麓を通過しており、鞍馬寺・岩倉実相院・京都大学キャンパス付近の東大路通り・平安神宮・八坂神社・清水寺・御寺泉涌寺・東福寺・伏見稲荷大社・伏見桃山城・明治天皇陵・乃木神社が近傍にある。正中線は平安京の東端をかすめ、新皇居の東端をかすめ、平城京の西部を通過し、飛鳥京の西端をかすめているのだ。

古都奈良に春を告げる行事として、東大寺二月堂で3月12日に行われる「お水取り」は有名である。この10日前の3月2日に小浜市神宮寺で「お水送り」が行われ、そこで流される「香水」が3月12日に二月堂の「若狭井」に届くというのだ。この行事は天平時代から1200年間続いており、二月堂のある奈良市と神宮寺のある小浜市は姉妹都市になっているという。お水送りの水源は神宮寺の上流の白石神社にあるがここは若狭一宮の若狭彦神社の境外社であり、「お水送り」はこの白石神社の近くの鵜の瀬で行われる。この白石神社や鵜の瀬も正中線の近傍にある。

お水取りの約10日後に春分の日、つまり春が到来する。その約10日後の4月3日は神武天皇が崩御された日で、神武天皇の即位場所である橿原神宮では神武天皇祭が行われる。また、天皇陛下が皇居で行っているのと同様に、この橿原神宮でも11月23日に新嘗祭が行われている。

神武天皇祭の10日後の4月13日から15日まで熊野本宮大社では最も重要な祭りである例祭が行われるが、この神社は神武天皇が日向の国の高千穂から奈良の橿原に移動する際に通過した場所であり、熊野から橿原までの道案内を行った神の使者である八咫烏がこの神社のシンボルとなっている。

このように、小浜市の若狭彦神社と神宮寺から京都市・精華町・奈良市・橿原市を経て熊野本宮大社に至る南北の線は日本の真の中心軸であり、それを防衛するために結界が作られているのだと思われる。お水送り・お水取りはこの結界を外敵から守るために行われているのだろう。北陸新幹線(山陰新幹線も)が小浜を経由するのもこの結界を守る祈祷者らの交通の便のためではないかと思われる。従って、北陸新幹線は間違いなく小浜から京都駅を経て新皇居の建設される京阪奈京に至るルートで建設されると確信する。京阪奈京の先は天王寺から関西新空港に向かうルートだろう。

北陸新幹線の京都駅は恐らく東海道新幹線の京都駅とともに現京都駅の東側の崇仁地区に建設されると予想する。この場所は新今宮駅近くのあいりん地区と同様に低所得者が集中して居住しておりそれ故に開発されずに来たが、最近になって再開発計画が進んでいる。

社会学者の網野義彦は京都で皇室が被差別階層であるの演劇を鑑賞するなど交流を有しており、日本では社会階層の頂点と底辺が繋がることでピラミッド状では無く輪廻状の社会構造になっていると指摘している。崇仁地区・あいりん地区はそれによく合致する例だろう。大日本帝国亡命政権の北朝鮮政府の日本国内での代理人として活動する朝鮮総連も同様であろう。崇仁地区やあいりん地区の居住者、朝鮮総連の構成員の中には皇族関係者を含めた日本の中枢階層の人々と密接な関係を有する人々が間違いなく存在するのだと思われる。

もう一つ注目すべきなのは、日向から熊野を経て奈良盆地に至った神武天皇とは何者かということだ。熊野三山のうち本宮大社は内陸の熊野川沿いにあるが、残る二つは新宮市街地と那智勝浦町という海岸地帯にある。そして新宮市街地は徐福の上陸の場所としても知られている。紀元前200年頃の徐福と、紀元250-350年頃かと想像される神武天皇は同一視すべきではないが、揚子江下流域の稲作地帯から鹿児島県付近に移住した人々が熊野を経て奈良盆地に移動したのだと思われる。当時の奈良盆地や大阪平野は出雲と同様の銅鐸文化圏であり、大阪湾から上陸して敵の銅鐸文化圏と激突することを避けるために熊野から奈良盆地に至ったのかもしれない。大阪湾の守りを固めていた銅鐸文化圏は背後を突かれて敗走・壊滅した可能性がある。





【2017年12月26日コメント追記】
畿内を守る五芒星の中心軸は東大路通りを通っており、京都大学キャンパスの中心を貫いている。最近話題のABC予想の望月教授のいる数理研や、ノーベル賞を受賞した山中教授のiPS細胞の研究所は中心軸から至近距離(1km以内)にある。第二次世界大戦中に原子爆弾の開発を行った湯川秀樹教授もここで研究していたと思われる。
ひょっとすると、日本という国家の命運を握る最も有能な科学者は京都大学キャンパスに集められて、結界に守られて研究を行っているのかもしれない。常温核融合=核変換の研究の中心地である北海道大学のキャンパスにもこのような結界があるのだろうか?

原田武夫氏も以前facebookで「京都で宿泊するときはいつも鴨川の東側のホテル」と言っていたが、結界の中心軸を意識してのことではないか。




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528 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-24 20:37:59
>社会学者の網野義彦は京都で皇室が被差別階層であるの演劇を鑑賞するなど交流を有しており、日本では社会階層の頂点と底辺が繋がることでピラミッド状では無く輪廻状の社会構造になっていると指摘している。

ここが日本の最大の謎。と皇室が一本でつながる。だから朝鮮人の特権も不可触なものとして残る。差別されるものが最大の権力を得、一方、最高位にあるはずの天皇が籠の鳥の様に何の権限も、人権すら奪われた最低の状態に置かれている。転倒した構造によって安定が保たれている。

それは兎も角として、日本と北朝鮮が同盟を結びアメリカの日本での影響力が下がると、ロシアの利益が最高になることに気が付いているか?一方、日本と北朝鮮が同盟し中国に対抗すれば米国の利益にもなる。ここに落とし所があり、それを阻止するために動いている米中同盟派の動きがある。米中同盟派を破壊するのが金正恩の最大の狙いであり、それは日本の利益でもある。よって、日本は北朝鮮を助ける事によって、最大の外交的利益が得られる。
熊野については (釘抜地蔵)
2017-12-24 22:13:20
公式見解は眉に唾つけて見ることが大切です。
今がこうなっているのでそれをどうこうするのは命がいくつあっても足りませんが、熊野はそれが熊野と言われる前から聖地であり、それを隠す為に後付けで熊野とした。これ以上は書けません(長生きしたいので。)
熊野を絡めてものを考える際には少し念頭に置いていただけたらなと思います。

あと、八幡宮については、応神天皇、神功皇后はブラフであり、祭神ではなく初代司祭と考えていただくと物事がすんなりと理解できます。
八幡宮の真骨頂はそのお二方ではない。
Unknown (Unknown)
2017-12-24 22:50:50
2017-12-24 芳村思風一語一会 vol.3129
☆☆☆☆☆
感動と感動させる力
☆☆☆☆☆

感動こそが人を変える。
人は感じた時に動く。
「理動」という言葉はない。
なぜなら人間の本質は感性であり、感性の実感はまぎれもない真実であり、
その真実から発せられた言葉こそが人の胸に突き刺さり、人に影響を与えるからである。
理性は説得の論理。感性は納得の論理である。
人は深く全身で納得できたときに行動が変わっていくのである。
感動よりも大切なものは、感動させる力。
感じさせることで、人は動く
感じさせなければ、人は動かない。
理性で説得しても、人は動かない。
感動させる力を持ち、感動させうる人間となる。
何が人を感動させうるか
1.不撓不屈の意志
2.深い愛。理屈を超えた人間愛。他者中心的な愛。
3.作為を超えた人間の姿。一所懸命な姿、真剣な姿。
4.人間の高さ・深さ・大きさ。
  高さ・・・・高貴さ
  深さ・・・・より根源的、より本質的な意味や価値を感じ取る感性。
  大きさ・・・器の大きさ、度量、包容力、統率力
5.ユーモアのセンス 状況をプラスの方向に導けるような感性。
人は、感じさせたら、動かせることができるのである。
Unknown (Unknown)
2017-12-24 23:35:32
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171224/Recordchina_20171224019.html
中国、インドに「一帯一路」参加要請するも断られる―米華字メディア
中国のアジア覇権と日豪の未来 (princeofwales1941)
2017-12-24 23:43:24
◆中国のアジア覇権と日豪の未来 田中宇の国際ニュース解説

 【2017年12月24日】 豪州政府は、アジアにおいて米国の覇権が退潮し、中国が米国に取って代わるでないかとの懸念を強めている。米国覇権の先行きに悲観的な豪州の学者ヒュー・ホワイトは、米国が中国との対決しても勝てないと悟って戦わずにアジアから出ていく傾向だ、豪州は強い同盟相手がいなくなり独自に核武装するしかないかも、と言っている。日本でも、権威ある分析者たちの間で、米国が日本を守らなくなるという懸念が強まっているが、日本政府はまだ対米従属一本槍の「シャバに出たくない囚人」を続けている。日豪でうまく組めるよう、早く努力を強めた方が良い。



【私のコメント】
オーストラリアは国家滅亡を覚悟したと思われる。核武装したとしても人口の少ない白人国家が膨大な人口を有する繁栄するアジアに独力で対抗できるはずが無い。かつてユーラシアに大帝国を建設したモンゴル族が帝国崩壊後の辺境に残留して迫害を受けたのと同様、英語圏白人国家も大英帝国ないしパックスアメリカーナの崩壊後に周辺民族から迫害されるのだと思われる。
Unknown (Unknown)
2017-12-25 00:59:02
京都・奈良とは洪門・弥生勢力の本拠地。
そう。即ち天皇家とは洪門である。

これに対置されるのが東北安倍一族でありアイヌを包含した縄文・ケルト勢力である。

日本を含む極東・ユーラシアの歴史は、洪門・弥生勢力とた縄文・ケルト勢力の内戦しと見做す事ができる。

国家が対立するのではなく、その内部の諸勢力が国歌を利用して騒乱し、自勢力の覇権を高めるのだ。その為には国家を敗北させたり、自派と無関係な諸人民が殺戮される事も感知しない。それが内戦というものだ。
Unknown (Unknown)
2017-12-25 07:46:37
オーストラリアは疾うの昔に白豪主義を捨て今では多民族国家になっている。その傾向は今後も続くと思われる。
Unknown (Unknown)
2017-12-25 07:55:16
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171225/k10011270261000.html
首相 来月中旬バルト3国と東欧3か国歴訪で調整

安倍総理大臣は来年最初の訪問先として、来月12日から6日間の日程で、エストニア、ラトビア、リトアニアの、ロシアと国境を接するバルト3国と、ブルガリア、セルビア、ルーマニアの東欧3か国を歴訪する方向で最終調整を進めています。これらの国々を日本の総理大臣が訪れるのは初めてです。
Unknown (Unknown)
2017-12-25 09:24:56
http://www.k2o.co.jp/blog4/2017/12/post-536.php
「お客様は神様です」...三波春夫さんは舞台でこの言葉を誰に向かって言っていたのか?
Unknown (Unknown)
2017-12-25 09:25:32
https://jp.sputniknews.com/science/201712254414694/
ヒトラーのパレード用ベンツがオークションに【写真】

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