行ったり来たり

日本やブラジルについて感じたことを書きます。

戦う体制

2009年05月31日 | 経済
近年、日本でも大きく取り扱われるようになったサッカーのヨーロッパチャンピオンズリーグ。先日行われた決勝戦は欧州どころか世界各国から集まったスター選手ばかり。その昔、「チャンピオンズカップ」と呼ばれていた時代、自分はブラジルで試合のハイライトを見ていて、ああ、欧州でやってる大会だろ、くらいの感覚しかなかったものでした。今でも自分は技術的なことがよく分からず、強い弱いしか興味がないけれど、各チームの栄枯盛衰の背景にあるもの、特に経済事情について書いたスポーツ記事があるとつい読みふけってしまいますね。

まず、今年は「AIG」の文字をユニフォームに記したチームが決勝戦で力なく試合を落としたということ。あれを見るに、思えば昨年末に金融危機を迎えるまで、イングランドの有力チームは国内の好景気に加え各国の石油成金も参戦した札束攻勢で自由自在に一流の選手を獲得してきましたが、今後も同じ要領で下り坂の選手を放出しながら、上り坂の選手を獲得できるんでしょうか。

英国が不況に陥り、国内の労働者が「雇用はイギリス人を優先しろ」などと書いたプラカードを掲げて行進しているテレビニュースを見ると、イングランドの各クラブに在籍する選手はいたたまれないんじゃないかな。今回の決勝戦でも、バルセロナのアンリの朗らかな笑顔とマンチェスターのロナウドやテベスの渋面が対照的だったのは勝敗の故だけじゃないような感じがしますよ。

どの国でもスポーツの勝敗における毀誉褒貶は多かれ少なかれあるものだけど、それも度を超えてフィールド上のみならず、私生活の一挙手一投足まであれこれ書かれて写真に撮られ、なんてことが日常的に続くと、その国での生活を窮屈に感じる人が出ても不思議じゃないですね。下品な見出しで扇情的な記事を書く記者、販売する新聞社、そしてそれを買い支える読者がいる国で、得るものは高額報酬だけ。まあ、人間には欲望のためにロンドンやニューヨークみたいな「シティ」(国家の中のキワモノ)が必要であることは否定しないけど、近年はこの「お金が第一」の人生観に世界を挙げて重心を置きすぎた。その揺り戻しが金融危機とともに世界各国に押し寄せているようです

シーズン終了におけるロナウドやテベスの冷たい言葉の裏には「(こんな国でも)ゼニを出すんだったら残ってやってもいいよ」みたいな響きがあって、彼らもまたアンリのように大陸に移れば朗らかな笑顔を取り戻すんだろうけど、金で集めたこういったスター(ブラジル人が言う「クラッキ」ね)が次々と出て行くと、イングランドは昔みたいな「手を使わないラグビー」風のサッカーに戻るんじゃないかな。学生の頃に見たイングランドやイタリアのサッカー中継は、不眠症の治療に最適だと思いましたよ。

どんなにすごい選手がいてもワールドカップで勝てなかった80年代のブラジルでしたが、その後国内経済が良くなると3大会連続で決勝戦に進出しました。ブラジルサッカーの中心的存在と自負していたリオデジャネイロのビッグクラブは、80年代以降地域の工業化によって経済力を付けてきたサンパウロの地方都市のクラブによく叩きのめされるようになりました。そういうのを見ているうちにサッカーは選手個人の能力や監督の手腕だけじゃないんだなと思えてきます。

それから戦う体制も。今回の決勝戦は双方が王国のクラブでしたが、世界は共和国の選抜兵の集合体が戦う時代から、王国が傭兵を起用して戦いに臨む時代に戻っているのかも知れません。共和制を採る国は「正義」を主張しすぎて、組織に対して常に勝利への激闘を命じ、ほどほどの(というか柔軟な)戦いができずに長期戦で体力を消耗する。軍隊もサッカーも同じなんでしょうか。

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