Yokohama Nights and Days

吉元 哲が横浜からジャズ情報を発信します。

横浜美術館その2

2005-03-20 15:42:50 | Weblog
横浜美術館アートギャラリーで開催された
『不思議を触ろうカオスモス冨岡雅寛展』の
有終の美を飾るイベント『CHAOSMOS LIVE Vol.4』が
3月の19日にあったので観てきた。
オープニングパーティーの様子も書いたがこちらも気になるので
しつこく、レポートです。
オープニングパフォーマンスでは別所るみ子のダンスがあり、それも良かったが
今回のライブは演奏者が冨岡のカオスモスマシーンと絡んで互いに触発しあうという企画。
今回は室内に展示されたカオスモスマシーンをパーカッションの原田淳が『奏作』し、
予め、セットされたマイクを通して米本実がエレクロニクス・パフォーマンスとして増幅、
その情景をヴィデオ撮影した倉嶋正彦の映像を壁に投射し、さらに壁には光センサーが
セットされて米本の増幅する音に影響を与えると言う、『三すくみ』的な循環即興演奏だ。
冨岡の人工的なカオスモスマシーンは人の『奏作』によって様々な文様なり、音響を作り出すが
原田の人為的な演奏も米本によってアンプリファイアされることにより、自然界の無為的なグラウンドノイズ化してゆく。さらにその米本の作為も倉嶋の映像による光センサーの干渉により人為的な要素がさらに少なくなってゆく。
冨岡の作品の人為性、演奏者の思惑、それらが干渉し合い、室内に響く音響は自然の雛形となってゆく。カオスよりもフラクタルな印象を強く、受けた。
4人のそれぞれ、別のベクトルを持つ、アーティストの放つ光芒が触発しあうほどに観客が受ける光は白色に近づいてゆくイメージだ。
ライブ途中から入場してきた何も知らない観客がマイクを仕掛けられた装置に手を出しても全体のイメージは変わらない。すなわち、そこでは演奏者の意図はカオスの一部となり、自我が消滅してゆく。
同じような経験は街中でも感じることがある。ひとりの人間の話し声は雄弁であったり、耳障りであったり、説得力があったりするが数十人の声が混じり合うと意味は不明瞭になり、やがて夕暮れ時の野鳥の群れのざわめきと区別できなくなる。
我々が普段、認識している表現の意味性というものはなんだろうかと自問している。

藤村匠CONTRACTION 2

2005-03-17 11:34:10 | Weblog
渋谷の公園通りにクラシックスと言うライブハウスが在る。
団塊の世代にはジャンジャンと言えば思い出せる場所。(実際はジャンジャンの楽屋かな?)
ここは数少ない、フリーミュージックを取り上げている意欲的な店。
藤村匠のこのやり方は前月に続いて2回目。
前月では進行図というか、絵譜面というか、演奏者に配布された図を紹介したが
今回はリハーサルのスナップを掲載した。
メンバーはコンポーザーの藤村匠(ds)
管は北陽一郎(tp)、金子ねこ(tb)、吉田一夫(fl)
木村昌哉(s,sax)、勝間田佳子(a,sax)川村信一(t,sax)
浅原良一(b,sax)、有永道人(tuba)
林たかし(g)、勝賀瀬司(g)、岩崎翔真(b)
今回も当日に作曲者からの説明とリハーサル約1時間だけの強行演奏。
このコンセプトは殆どのメンバーが2回目なのでスムースに運んだ。
曲の進行(場面設定)と独奏者を指示してあるだけで演奏内容についての
細かい指定は無い。この曖昧さがどう表現されるかが勝負の分かれ目。
前回に比較してリハーサルが短くて細部の確認にいまひとつ、突っ込んだ会話が無く、
全体におとなしく、纏まってしまった感が残った。
リハーサルをもう少し、掘り下げれば、もっと、個性が発揮できるのではないかと期待できる。
作曲者自身は経過も含めて楽しんでいるようでどうなるか判らない面白さはリハーサルの不足が
却って楽しめるのかもしれないが。
前回は招待客を含めて僅か5人の観客で演奏したがこの日は30人くらいかしら?
大変盛況だった。(天気が良かったからかな?)
1名、インフルエンザで欠員があったがラストで飛び入りもあって楽しめた。



横浜美術館にて

2005-03-07 10:46:03 | Weblog
子供のアトリエ企画[手でみる展覧会5]
不思議を触ろう<カオスモス>冨岡雅寛展 を観た。
会期は3月6日から3月20日まで
3月19日にはパフォーマンスも開催する。
冨岡さんの作品を観るのは初めてだが僕にとっては
子供の頃、上野の科学博物館に入りびたりだった記憶が
呼び戻されて、親近感を感じる。
誰でも子供の頃、水に墨を流して紙に写し取ったりした思い出があると思うけど、
あの感覚を様々な造形や音に変化させたりして、楽しめる。
作者の言葉を借りれば、
『対話型の装置カオスモスマシン [ CHAOSMOS Machine ] は、動力を使わず鑑賞者が [ 奏作(そうさ) ] する事で思いがけない動き・複雑な自然現象を現出します。
カオスモス [ CHAOSMOS ] という言葉は、 簡単に表現すると [ 複雑な自然現象に関わる事 ] を意味します。
カオスモスマシン[CHAOSMOS Machine]とは、鑑賞者と複雑な自然現象との対話をリアルタイムに可能にする [ 対話型の装置 ] です。』
と言うことになる。

作品はカオスばかりではなく、波の現象など、自然の不思議な動きをモチーフにしたものなどが有り、科学少年、少女には溜まらない。
初日はオープニング アクト 16:00 スタート
[パフォーマンス/CHAOSMOS WAVE MACHINE PARTY Vol.3]
Dance Performance : Ruby 別所 るみ子
Live Electronics Performance : 米本 実
Sound Performance : 原田 淳
美術館前の回廊を使って発表されたこのパフォーマンスも一軸を固定されたアルミの角鋼を回転させる
波の動きを思わせる作品だった。
『これはカオスではなく、波ですね』と作者に問うてみたら
『ええ、ダンサーがカオスなんです。』と答えが返ってきた。
終演後、『ちょっと、動き過ぎちゃった』と言っていた別所るみ子さんは綺麗だった。
米本実のジャングルを思わせるような、高原のような、擬似サウンドも面白かった。
そして原田淳のパーカッションがカオスを現出する。
メインの装置のセットが遅れて1時間ほど、寒空の下で待たされたけど、60人ほどの観客。
しかし、見知った顔が多いなぁ。
原田淳の仲間、ギターの増田直行、チェロの入間川正美、
地元横浜関連で最近はイベントのプロデュースが多い詩人のドクターセブン
日韓交流で名を馳せた羽月雅人、映像の中野圭君、舞踏の平野君、
パーティーの後の二次会はお定まりの野毛『萬里』でWOW!16人参加。
閉店まで紹興酒を傾けて談論風発、それでも話し足りない5人でパパジョンへ
パパジョンでは辛いニュースも聞いたけど、それはまた・・・。

しかし、こうやって横浜のイベントで顔を会わせると意外なほど、横浜在住者が多い。
普段は大抵、東京都内のイベントで会うことが多いのだけれど
『え?横浜ですか?』状態に驚く。
最後は
『今年は横浜でなんか、演ろうよ!』と言う話になる。
それだけ、みんなが現状の横浜に不満を持っているらしい。



15年ぶりに映画を観た

2005-03-03 00:59:43 | Weblog
今はもう無い関内、馬車道の東宝会館で最後に観たのがなんだったか?憶えていない。
今日は天気も良くて出不精の連れ合いを誘って本牧まで出掛けた。
映画はRay、なんだか、妙にうれしい。

レイ・チャールスを初めて聴いたのは中学2年生の頃だ、クラスメイトが持ってきたドーナツ盤を
音楽室のプレーヤーで掛けて、みんなで騒いだ。
こんなのは初めてで興奮した。
それまではポップスか、スイングジャズくらいしか、記憶が無い。
僕がモダンジャズ一辺倒になる直前の出来事だった。
レイ・チャールスが来日した頃はもう、高校生になっていて聴きに行こうとはしなかった。
でもテレヴィジョンで放映した時は一所懸命に観た。
ステージで余興だろうけど、アルトサックスを吹くレイが妙にジジ・グライスに似ていて
面白かったのを憶えている。
今日の映画で判ったがこれが1964年のことらしい。
この映画を観るまで自分にとってジャズ以外の音楽を聴いていた時期があった事が
まるで初めて発見したことのように感じられる。
こうなるとドンドン、思い出してくる、
レイ・チャールスよりもっと、古くは浅草の国際ホールでウェスタンカーニヴァルとやらも観た。
近所の知り合いの年長者に連れて行って貰ったのだが『キーちゃん』としか憶えていない。
うーん、俺って結構、ミーハーじゃん!
同級生たちがウエストサイドストーリーを話題にし、やがてビートルズに夢中になってゆく頃は
僕自身は朝から晩までモダンジャズに浸りきっていて時代感覚が麻痺してくる。

この映画も最近の傾向だが麻薬やナオンの問題を描いてあって、其処は気に入らない。
いっそ、ヒットパレードにしてくれれば、何度でも観たいのだが・・・
そう言ったら、
『それじゃ、映画にならないでしょ!』と連れに言われた。そうか・・・
それでも僕としてはレイ・チャールスが盲学校時代にクラリネットと点字の譜面を習得したエピソードは是非、描いて欲しかった。
映画のレイはいきなり、ナット・コールを弾いてみせるのがちょっと、不満といえば、不満。
それでもクリントイーストウッドが監督した『バード』よりはずっと、良い。
あっ、そうか映画を観るのは『バード』以来だ。
あれは嫌な、暗い映画だった、身につまされる展開で耐えられなかった。
僕自身が変化したのかもしれない。
明るいジジイに・・・。