マインドフル・プラネット

北米ジャーナリスト、エリコ・ロウ発

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オバマ大統領の中東スピーチ

2009年06月05日 | Weblog
 アメリカでは、オバマ大統領が中東訪問で、歩み寄りで平和な世界を築こう、という素晴らしい演説をした、というのが、今日の一番のニュース。でも、いくら正論で中立してても、あんなに言いたい放題世界に向けて言っちゃって、大丈夫なの?イスラエルのタカ派などはきっと大憤慨しているだろう、と心配にもなる。
 オバマ大統領は自分自身をマット(犬の雑種をさす)と呼んだこともある。自らがいわばアメリカでは歴史的に敵対してきた白人と黒人のメイク・ラブで生まれたオバマ大統領は、DNAのレベルからラブ&ピースが刻み込まれているようで、国内政治でも、意固地なまでに相反する勢力の歩み寄りを求める。
 それで、実際に、長年燃費規制に絶対反対してきた米自動車産業とその宿敵の環境保護団体を、地球温暖化防止に向けた燃費規制引き上げで合意させたり、この調子だと保険産業や製薬産業などの抵抗で90年代にビル&ヒラリー・クリントンが断念っっさるをえなかった、健康保険改革も実現するかもしれない。
 大統領就任から100日ちょっとで、アメリカは表層をみれば急変しつつある。しかし、落ち着いて考えてみれば、大統領選の国民投票率でいえば、昨年の結果は接戦で、国民の半数近くは鬱憤を溜めているのだろうから、手放しで喜んでもいられない状況ではある。
 
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ダライ・ラマの思いやり

2008年04月30日 | Weblog
Hanaka さん、コメントありがとうございます。
どうぞ、リンクはご自由に。
オーガニックのブロクのアドレスも教えてください。
私は以前、5年間ほどオーガニックファームもなかにあるニューヨーク州イサカのエコビレッジに住んでいて、自分でも野菜栽培などにも挑戦しました。うまく育てても食べ時が分からず、レタスは木になっちゃうし、オクラはたちまち固くなっちゃうし、スイカだと思って育てた蔓草がカボチャになっちゃったりしましたが。

 ところで、ダライ・ラマのシアトルでのイベント「シーズ・オブ・コンパッション」(思いやりの種)は、北京五輪と絡んだチベット状況の悪化で大きなニュース源となったため、私も公式な取材陣として参加して、東京新聞特報欄に出稿した。記者会見はいつもなぜか、ニューヨークタイムズ、AP、BBCといった大手が優先で時間切れ、(NHKはしっかり質問してました)直接の質問はしそこねたが、一番前の席でしっかり手を挙げ続けていた私にコンパッションを感じてくださったのか、記者会見が終わって壇から降りてきたダライ・ラマは難問をぶつけた
ニューヨーク・タイムズ記者の肩をぽんと叩いて冷やかし握手した後で、私にも握手してくださった。ダライ・ラマの手の平はとても大きく静謐で太平で揺るぎない感じだった。誰とも異なり、とても不思議な感触だった。
 ダライ・ラマは底抜けに明るくチャーミングな人だった。記者会見でも、今回のチベット状況悪化は彼が亡命でチベットから逃れることを余儀なくされた1959年が思い起こされ、チベット国内の人の安否が気遣われ不安がいっぱいだ、と語る一方では、仏教徒の自分にとっては、よい修練のチャンスだ、とも笑う余裕を見せた。心の内が真に平安なら、外界からのどんな刺激にも影響されず、心の静謐は保てるという。実際、争乱が起きて以降も、(心配で)眠れなくなったりはしていない、8時間、ときには9時間もしっかり眠れている、と語っていた。
 イベントを通じて繰り返し出た質問は、あれだけの仕打ちをされてきながら、どうしてかの国を敵と憎まずコンパッションを持つことができるのか、というものだった。
 ダライ・ラマの答えは次のようなものだった。
 コンパッションはまずは、自分の存在持続のためには他人や社会を必要とする人間が生まれ持ったサバイバルのための本能である。このコンパッションには限界があり敵には適応されない、つまり敵を許すことができないが、人には知識と知性でそのコンパッションを普遍的なものに育てる能力がある。そうしたコンパッションは無条件で誰にでも向けられもので、敵を愛することもできるようになる。また仏教ではカルマを信じるから、悪行を行った者にはその帰結が待っていると考えられる。だから、来世で悪行の帰結を体験することになる敵への同情心も沸く。
 イベントでもっとも傑作だったのは、デスモンド・ツツ司教とダライ・ラマ法王が隣あって同席したパネルディスカッションだった。
 試練を乗り越えてきたふたりが、漫才コンビのように茶化しあい、笑いあっている。実際、ツツ司教は、ダライ・ラマに向かって「まったくおまえは冗談ばっかりで屈託なく子供みたいだなあ。もう少し聖人らしく振る舞えよ」とまで言って、観客の喝采を集めたのである。
 

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チベットは人類の心の聖地

2008年03月30日 | Weblog
シアトルでは4月11日から15日まで、ダライ・ラマ14世を迎えての5日間の教育・子育て会議"Seeds of Compassion"が開催予定。デイブ・マシュー・バンドとダライ・ラマが対談もするという記念チャリティ・コンサートなど、チケットは発売同日に売り切れで、ネットでは1枚500ドルの高値がついている。科学志向のダライ・ラマらしく発達心理学者などとのパネルディスカッションもあり、楽しみにしていたのだが、チベットが危機的状況となったいま、ダライ・ラマが果たしてシアトルまで来られるのか、来られたとしても心こころあらずではないだろうかと、気を揉んでいる。それにしても。なぜチャイナは執拗にチベットを毛嫌いするのだろう。皮肉なものだね、とアランも言う。チャイナがチベットを侵略せず、ダライ・ラマがチベットに留まっていたら、チベット仏教がここまで西欧に浸透することはなかったろうにと言うのである。ダライ・ラマは恐らくひっそりと国内の民の平安と発展に尽くすことに専念、海外遊説などしなかっただろうし、チベットはきっと世界中の多くの人にとって、いまのブータンやアンゴラ程度の興味の対象にしかならなかったかもしれない。そういう意味では、チャイナは意図せずチベット仏教の最大のPRエージェンシーになったのである。だからといってその暴挙が許されるわけではないのだが。ところで。チベット問題はチャイナとチベットだけの問題のように思われがちだが、Into Tibetという本を読むと、第二次大戦後の米ソの冷戦との関わりも見えてくる。米にとってはチベットも対ソ、対共産主義圏の防壁で、スパイが暗躍、諜報部は極秘の武器援助などでチベットで反中ゲリラを支援、訓練していたらしい。それがかえってチャイナの侵略を早めた、という説もある。
どんな逆境にあっても、人を憎もうとせず、敵視しようとせず、加害者も含めたすべての人類の平和と幸福を祈りつづけるダライ・ラマほど、人にとっての宗教の価値を体現している人はいないと思う。しかし、その心の内ではどれだけ涙が流れ血が流れていることか。ダライ・ラマは子供の頃、鉛の兵隊のおもちゃで遊ぶのが好きだったが、後に鉛を溶かして僧侶の人形に創りかえたそうだ。チャイナもそうなればよいのだが。色即是空、空即是色。私は祈りの力を信じている。どうぞ、チベットの平和に祈りを。
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オバマ・フィーバー、白いシアトル、忘れられたインディアン

2008年02月15日 | Weblog
アメリカは大統領予備選の選挙戦たけなわ。先週末にはワシントン州でコーカスがあり、支援を求め、オバマ、ヒラリー、マッケインと有力候補がシアトルに勢揃いした。

ワシントン州の大統領選の仕組みは複雑で、投票用紙で投票場に行って投票する予備選とは別に、それぞれの候補支持者を代表して最終的には党大会に出席する代議員を選出するコーカス(党集会)がある。民主党の場合には、何人の代議員を得られるかというコーカスの結果が実質的な意味をもつのであって、予備選の投票結果は単なる人気投票に過ぎない。共和党の方はコーカスと予備選の結果を半々でみる。

木曜日にシアトルに行って、明日は候補が集まるわよ、コーカスには行くの?と叔母から聞かれ、初めてそんなワシントン州の選挙事情を知った。合衆国ならでは、選挙法は州によって異なるのだ。
調べてみると、オバマ候補はキー・アリーナで11時から選挙演説の予定。噂のカリスマぶりをこの目で見てみたかったが、金曜午後にはワシントン大学のクラスがあるので断念。出かけたアランによれば、18000人収容の会場におさまりきれない人々が殺到、それでも立ち去らず3000人が会場を包囲。凄い凄い熱気だったそう。オバマは外にあふれた人たちにまず演説してから中へ。その間、消防法違反黙認で階段までぎゅう詰めの会場は長い間待たされてもブルース・スプリグスティーンやローリングストーンズのミュージックにのって、和気藹々のムード。オバマのスピーチはパワフルでインスピレーショナル。まさにロックスターなみだったという。選挙演説など普通は2000人も集まれば大成功なのだから、オバマ人気は尋常ではない。

民主党、共和党と支持政党ごとに分かれて集まるコーカスの方は、なんだか中学校の学級員を決めるホームルームのようだった。私の選挙区の集会場は、教会だったが、ここにも予想を大幅に上回る千人近くが集まり、大混乱。きっと人が溢れると踏んで1時間も前に出かけたら、数人の選挙区党員が受付のデスクを並べだしたところで、地下や2階に椅子を動かしたりといった準備を手伝わされるはめになった。結局、ひとつの会場に収まりきれず、ふたつのグループに分けられ、まず進行の説明を受け、「国家への忠誠の宣誓」をさせられたあと、さらに小さな選挙区ごとにグループ分け。私の選挙区は、運悪く「外組」、屋内のスペースが足りず、教会の庭に追い出されての青空集会となった。そこで、オバマ、ヒラリー、決心できず派に分かれ、言いたい人がミニ演説をしたり、決心できず派を誘ったりしたあとで、両候補が獲得した人数を確認。その人数比率に応じて代議員を選出する、という仕組み。そこで選ばれた代議員は後に代議員の代議員を選び・・といったピラミッド式で、最後に残った代議員が全米党大会に出席、党の大統領候補を指名する。草の根民主主義の原点を見たようで、久しぶりに、アメリカも捨てたものじゃない、と思えた体験だった。

しかし、シアトルは白いなあ、とも改めて感じた。コーカスでまわりをみわたしても、黒人の姿は皆無に近く、一見して白人でないのは私だけかも、といったありさま。多人種の国といっても、ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市を除いては、アメリカはいまだに実質上セグレゲートされている。白人ばかり住む地域と
その他の「カラー」の人々が多い地域は、くっきり分かれていることが多く、環境が良く知識層が多く住む居住地を求めれば、周囲は白人ばっかりということになそる。

それにしても。今回の大統領選でも至極残念で憤りを感じるのは、ネイティブ・アメリカンの存在がまったく、まったく無視されていることだ。それは共和党候補であろうと民主党候補であろうと変わらない。黒人とラティーノは大きな票田だから、どの候補も気を遣い、気を引こうとするが、ネイティブ全米に散在、人口も総じて300万人といった程度だから、政治力になり得ない。だから、いつまでたってもネイティブには救済の手も資金も届かず、彼らがいちばん貧しく、いちばん環境汚染もひどい地域に暮らしている。どんなに「移民」「開拓者」がふんぞり返っていても、米大陸の正当なる地主は先住民族の人たちであることには変わりはないのにである。すでに米国人の10人の1人は幾分かのネイティブの血をひいているのにである。力づくで他民族の地を征服するのは、人類の歴史の常なのかもしれないが、民主主義、人道主義の国を標榜するからには、まず、自分たちの足元から見直して欲しい。そういう意味では米国はどちらの党が主導権を握っても、やっぱり盗っ人猛々しい国であることに大きな変わりはないような気がする。
白人社会はネイティブ社会のティーエイジ出産の多さや子だくさんを馬鹿にするが、産めよ殖やせがサバイバルの道であることをネイティブの人たちは本能的に理解しているのかもしれない。

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ブログ交流も他生の縁

2008年02月12日 | Weblog
 ローランドの王様、コメントありがとうございました。
物書きにとっては、本を読んで下さった方からのこうしたご連絡は何よりの励みになります。発行部数も、それは売れるにこしたことはないけれど、私がこれまで学んだことを誠意をこめて書いたことが、たったひとりでも、誰かの何かのインスピレーションになれば、それだけでも報われたような気がします。

 王様のコメントは私に大切なことを思い出させてもくれました。
クリスマスイブの夜にずっと以前に亡くなった叔父の夢をみたことを、その息子である従兄弟に伝えなければ、と思いつつ、すっかり忘れていたのです。
叔父の夢を見て朝、目を覚まし、私はその日が叔父の命日であったことに気づき愕然としました。
 私の叔父は私が20歳のとき亡くなりました。子供の頃から私は、この叔父のことを親戚中でいちばんハンサムで好人物と思っていましたが、ずっと結核持ちで、時々血を吐いて倒れる叔父は子供にとっては不気味な存在でもあり、「おじさんの結核はうつらないから」としょっちゅう叔父の家に私を引っ張って行く母を恨み、意固地になって叔父の家に入るのを拒否して母が中で茶飲み話をしている間中、玄関に立っていたことさえありました。それでも叔父は気にした様子はみせず、いつもやさしい人でした。「大人」になるにあたり、そうした自分の態度を反省した私は、成人式の日には晴れ着を着て、ひとりで叔父さんの家に挨拶に行き、公式にお詫びをしよう、と思っていました、その矢先に叔父は亡くなってしまったのです。
 しかも、叔父が倒れ亡くなったクリスマスイブの夜には、私は大学の友人達と早朝までディスコで遊んでいて、朝になって家に「クリスマスケーキ買ってかえろうか?」と聞くつもりでのんきな電話をして、私からの連絡を待つために家に残っていた父に、叔父が急死し、母も親戚ももうみんな叔父宅に集まっているのだと告げられたのです。当時の流行だった淡いピンクのパンタロン・スーツを着たまま叔父宅に直行した私は、「えりちゃん、よく来たね」と迎えられ、なぜか、まず、茶の間に座らされお味噌汁を飲まされたのですが、喪服の親戚たちのなかでは文字通り浮き立っていて、最後の最後まで叔父不孝をしてしまったと、私は罪の意識は、しっかり私に心のなかに定着することになりました。
 「上手な死に方、死なせ方」を書いている間には、当然そうしたことも思い出され、あらためて心の中で叔父に謝ったりはしていたのですが、その後、引っ越しや日常生活の雑事にかまけ、叔父は私の健在意識からは消えていて、クリスマスにまた叔父の命日が巡ってくることはすっかり忘れていました。
 もちろん、罪の意識を抱えた私の潜在意識が、夢をみさせた、と考えることもできますが、私は、夢は叔父からのメッセージであったと思いました。私の気持ちは伝わっていることも叔父は夢で知らせてくれたのだのだと。そして、叔父は、叔父の家族に、叔父の魂がどこか別の次元で元気にしている、ということを伝えてくれ、ということなのだ、と。
 とはいえ、海外暮らしの長い私は従兄弟とも叔母とも疎遠のまま。彼らの死生観も分からないのに、いきなり、叔父さんの霊が・・などと連絡もしずらく、どう連絡したものか、と思い悩んでいるうちに、ぽろっと忘れてしまったのです。
 すべての偶然は必然、袖ふれあうは他生の縁。というわけで、王様のメッセージは叔父さんリンクを通じた天からの授かりものかもしれません。そういう意味でも王様、王様の叔父様、ありがとうございました。
 死者との交信で有名な超能力者のジョン・エドワード(政治家とは別人)によれば、死を経て人の魂は格をあげ人徳を増すので、亡くなった人の方は生前の恨み辛みは超越しているものの、この世に残された側は、後悔や罪の意識を抱えがち。
彼が、いつも言うように、皆さん、「チャネラーなどに頼る必要がないように、生きているうちに、しっかり愛する人とコミュニケートし、愛を伝えましょう」。

 この世を卒業されたすべての叔父さんのご冥福をお祈りいたします。



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偉大なるエリザベス・キューブラー・ロス

2008年01月29日 | Weblog
久方ぶりに快晴の日々が続いているので、いまは晴れ晴れとした気持ちで書けるのだが、数日前、朝起きて、いつものように窓の外は真っ暗で雨まで降っていたのを見て、突然怒りがこみ上げてきた。「もう雨は嫌だ!」とついに自分で認めてしまったのだ。

冬の米大陸北西海岸沿いは、ちょっとした雨期なみなのだが、私はこれまで、ずっと、「雨?雨なんか気にならないわ」「雨が降ると木々の緑も生き生きするし」「雪ごもりになるイサカの冬に比べたら、極楽だわ」などと、言い続けてきた。
のだが、それが、エリザベスの五段階理論でいうところの「否定」に過ぎず、心境がついに次の段階の「怒り」に移行したのかもしれない。

エリザベスの五段階理論とは、死に直面した人がたどる心の軌跡を解き明かした功績で名高い精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスが唱えた理論。
「死に直面した人ははじめはそれが事実であることを否定し、無視するが、やがて避けられない現実であることを認識し、運命や自分、周囲の人への怒りを感じる。「これからは心を改めますから」「財産はみな慈善に寄付しますから」「せめて息子が卒業するまでなどと神に交渉を持ちかけ、慈悲を乞い、死を回避しようとする。そのうちそれにも疲れて、ウツ状態に落ち込むが、多くの人はそうした様々な心の葛藤を経たのちに、抗うことを辞め死を受け容れることで、心の平安を取り戻す」というものだ。この心の軌跡は、、死だけでなく、失業、失恋など人生で人が出会う様々な逆境にもあてはまる、とされているのだ。

エリザベスは半生を終末期患者やその家族の心の癒しに尽くし、それを可能にする制度としてのホスピス、終末期医療の充実を半世紀近く前から訴え続け、推進させてきた偉大な人物。なのだが、つい数日前に、日本の終末期医療の先駆者から、自らの死への葛藤をあからさまに世に知らしめたエリザベスの人生終盤の生き方がメディア報道を通じて誤解され、彼女の日本での評価は下がってしまった、と知らされ、ショックを受けた。死をテーマにした新刊拙著の出版のご挨拶へのリスポンスとしてご連絡いただいたのだ。
 私は葛藤のさなかのエリザベスに会ったことがあり、もっともプライベートな内なる心の葛藤まで公衆の目にさらす生き方に圧倒された。そもそも、それが死に方についての本を書く動機にもなったのだ。羞恥心やプライドを捨て、死んでいく者のあがきをエリザベスが見せたのは、最後まで人を導き、より多くの人の救いになろうとする教育者、医師としての強い信念に基づくものだったのだ。
 彼女の死への過程は陳腐なセンチメンタリズムに浸ったものではなかったのだ。

 ということもあり、「出版のご挨拶」を貼付させていただく。これまで本は出しても自らそれを喧伝することなどなかったのだが、この本で紹介している情報はきっと多くの人の役に立つと確信するので、その存在を広く世に知らせたいのである。


謹啓

新春の候、皆様ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
在米ジャーナリストのエリコ・ロウです。私は長年暮らしました米国から国境を越え、バンクーバーで心機一転、新年を迎えました。今後は米国流価値意識に毒されぬより広い視野から未来を見つめていきたい所存です。
これまでの並々ならぬお力添えに深く感謝申し上げると共に、引き続きご指導ご鞭撻を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

さて、ご挨拶が遅れましたが、このたび、拙著「誰もが知りたい 上手な死に方 死なせ方・・・円満でやすらかな終末期への道しるべ」が講談社より刊行されました。
「新年早々、縁起でもない」と咄嗟に顔を顰められた方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな方にこそご一読いただきたい 内容です。
数年前、私は、死に向かう心理の研究者、終末期患者の代弁者として名高いエリザベス・キューブラー・ロス医博が自らの終末期をどう生きているかをドキュメントしようというNHKの番組取材のために、エリザベスの自宅を訪ねました。終末期の理想像を見せてくれるだろうという私たちの期待に反して、エリザベスは寝たきりになってもひとり暮らしを続け、怒りに満ち孤独に自分の死を待ち望んでいました。彼女が赤裸々に見せ語った終末期の苦悩と葛藤に衝撃を受けた私は、どんなエキスパートにとってもどう死んでいくは人生最後で最大のチャレンジであることを実感しました。そして、生身を晒してきれいごとではすまない死への過程の現実を教えてくれようとしていたエリザベスの志を私なりの理解と言葉で受け継ぎ、死に向かう人、親しい人の死の過程を見守る人の助けになり癒しになる本が書きたい、と思いました。そして、終末期医療の現場や識者、自分や近親者の死に直面した一般の人々の取材や私的な体験を通じ、死に向かう本人や周囲がたどる様々な心身の変化への知識と理解を深めていくうちに、ともすれば濁流に流されるように過ぎていく終末期、人生のラストスパートをしっかり意識的に生き続けることができれば、からだは癒されずとも魂は癒され、満ち足りた人生のゴールを安らかにくぐれると確信するに至りました。

拙著では、死に向かう人が体験する普遍的な心の軌跡とからだの変化、悔いなく安らかに人生を終えるためのヒント、近親者の終末期を周囲が無理せず支え、愛する人を亡くした悼みから立ち直っていくための心得などに加え、終末期の本人や近親者の心身の痛み、苦悩、悼みをやわらげるための実用的なテクニックを紹介しています。
また、親しい人を亡くした人ならきっと誰もがもつ「ああしてあげていれば」「あんなこと言わなければ」「死に目に会えなかった」といった後悔や悼みを癒していくための一助となる、新たな視点も提供しています。
死のタブー視、死を意識のなかから遠ざけることをやめ、死に至る心身の過程について事前に学ぶことは、やがては来る自分や近親者の終末期への備えとなるだけではなく、自分の人生をいまから真に有意義に生きはじめるための道標にもなります。
人生についての想いも新たな初春の読書リストに拙著をあえて加えていただき、忌憚のないご意見、ご感想をお聞かせいただければ幸いです。

「人は生まれた瞬間から死に向かって歩みはじめる」・・ダライ・ラマ
「死は求めなくてもやってくるが、満ち足りた死への道は、自分で探さ なければみつからない」・・・ダグ・ハマーショルド


敬具

エリコ・ロウ
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ハナ歌で年明け

2008年01月08日 | Weblog
 謹賀新年。

 アメリカで充足した生活を送っていながら、なぜカナダへ引っ越したのか、というコメントをいただき、どうお答えしたものか、とあれこれ考えているうちに、年が明けてしまった。
 最大の要因は、その理由をうかつにネット上などでは書けない国になってしまったからだからだ。在外米国人は目をつけられていて、コメントの書き手だって、もしかしたら一般市民ではないかもしれないから、ひょんな発言で非国民のブラックリストに載せられたらかなわぬ、というのは、あながち私の被害妄想ではないのだ。
 自由の国を宣伝文句にしてきた米国は、自国防衛にかこつけたパラノイアで、いつのまにか、情報統制、情報操作ではかつてのソ連なみになってしまったように思える。不安、おびえが根底にあるから、一般市民も政府も、ちょっとしたことに過剰反応するし、いらだちで、トガっている。
 米国の大都市では一般のオフィスビルにも検問があり荷物チェックは普通だし、客を呼んだ人がロビーまで迎えに来ないと部外者は会社訪問できないところも少なくない。人を見たら疑えが、いまの米国では当たり前の常識になってしまっているのだ。
 移民に伴い、車を米国から輸出し、カナダに輸入する手続きをとらねばならず、国境で米国とカナダの移民局のはしごをしたときにも、米カの国民性と対外意識の違いを実感した。
 米国側のオフィスは建物も四角張り、中はグレーで、ワシが目を光らせた国土安全保障局のロゴが目立つ。職員も武装し威圧的で、雰囲気は警察のようで、不審物を恐れ、トイレもない。
 ところがカナダ側に回れば一転、インテリアもピンク基調で流線形。職員は歌を歌い、見学に来た小学生の団体が館内で鬼ごっこに興じ、雰囲気は高級病院の小児外来のようにアットホームだった。職員がにこにこと親切なのは、言うまでもない。
 つい数日前、トロント空港で飛行機を操縦したいと主張する男にコックピットを乗っ取られる事件があったが、これもカナダらしい結末だった。犯人は乗客に説得されて大人しくつかまり一件落着、男は強襲と悪戯で起訴されただけだった。男がもし国境の南で同じことをしていたら、テロ事件と大騒ぎになり、男はたちまち始末されていたことだろう。

 新年そうそう難しい話はさておき。私はこの数日、鼻歌まじりの日々を過ごしている。西宮から来ていた、歌うお母さん、ナオミさんの鼻歌癖に感染してしまったようなのだ。ナオミさんは8歳で天才画家として名を馳せたジュンイチのお母さん。ジュンイチ一家はクリスマスと新年を一緒に過ごそうと、遊びに来ていて、昨日、帰国したところだ。かつてはファッションデザイナーとして活躍もしていたナオミさんはバンクーバー休暇の間中、料理ばかりか掃除にまで精出してくれ帰る朝には使ったベッドのシーツまで取り替えていってくれるという家事大好きのスーパー主婦でもあり、理想的な滞在客だった。
 ジュンイチはいまでは18歳、高校卒業寸前。過去10年近く、学業と共にプロのイラストレーター顔負けのアートの注文制作もこなしてきたスーパー・ティーンだが、卒業後は、世界のどこで何を学びたいか、旅をしながら調査検討する予定という。彼の学校では、そのまま大学進学しないのは彼ひとりだという。隣に倣えで安易な大学選びをしないジュンイチの独立独歩のスピリットは逞しく、頼もしい限り。せっかくだから、狭い日本で周囲をみてあせらず、世界中を放浪して自分の内なる世界を広げて欲しいものである。
 さて、一家が帰って、妙にシーンと静まりかえった居間でソファーで一息ついていると、ジュンイチがピアノで弾いてたビリー・ジョエルの曲が鼻歌で出てきた。お、また鼻歌だ、と思いつつ、新聞をひらくと、一面に「歌を歌う人は長生きする」という記事が出ていた。最近発表された医療統計調査によると、日常的に歌を歌っている人は免疫力も強く、病気にかかりにくく、長生きしやすいのだそうだ。
 そういえば、発声で心身の歪みを癒すサウンドセラピーも流行っている。セラピストに取材に行ったときに、では日本のカラオケ人気も健康に良いのでしょうか、と尋ねたら、「飲酒と喫煙を伴わなければね」という答えが返ってきた。

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バンクーバーで林住庵の家守りになりました

2007年12月04日 | Weblog
気がついたら2年も経過。ブ***を再選させたアメリカを見限り、カナダへの移民申請をして3年。この夏に申請受諾の通知は受けたものの、シアトル暮らしはなかなか快適でカナダ移住計画は棚上げしていたところ、何とカナダ移民局の方から、どうしたの?と電話があった。近年、カナダへの移民は人気沸騰。人によっては5、6年待ちで、申請者の方が催促することはあっても、移民局の方から声をかけてくれることは普通はあり得ないそう。これはきっとカナダに移るのは私たちにとっての天命ということなのかも、とアランと意見一致、とりあえず、バンクーバーに住んでみることにした。来年6月まではダウンタウンの摩天楼と山並みと海を見晴らすポイント・グレーの丘にある桐島洋子さんの邸宅、林住庵の家守りをさせていただくことになった、というトントン拍子も、「大いなる神秘」のお導きのような気がする。(この洒落は知る人ぞ知る。林住庵の真の主人は洋子さんが集めた骨董品や民芸品で、私たちはありとあらゆる民芸豚たちに囲まれている)
林住庵はライブラリーも魅力でその蔵書をこれ幸いと拾い読みしているうちに、洋子さんが、ライターとして大先輩であるだけでなく、スピリチュアルな道程という面でも師匠格であることにも気づいた次第。私が近年になって発見し、体験し、啓発され、大喜びしてきた様々なことをすでに20年も前からすいすい実践されていた方なのだ。しかも3人の子供を育て多忙な仕事をこなすかたわらなのだから脱帽。洋子さんはもっか東京で「大人の寺子屋」の開設準備中のはず。そのアネックスとして林住庵でもいずれ、イベントやワークショップ、学びのトラベルなどのお手伝いができたら、とも思っている。拙著「癒しのスピリチュアル・セラピー」で紹介した人々も、「ワークショップしにバンクーバーに来ない?」と言うと、みな「行く行く!」と積極的なので、リクエストも歓迎です。

ところで、アメリカに長年住んでいたせいか、地続きで同じ英語圏のカナダは、アメリカの延長のように思いがちだったが、いざ国境を越えると、まるで別の国であった。アメリカが角張って張り詰めた国なら、カナダはまろやかな丸い国。特にその違いは9-11以降、大きくなったに違いない。この話題はまた、次回に。
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ユナイテッド・ネイティブ・アメリカ

2005年10月11日 | Weblog
10月11日

米国では10月の第二月曜日はコロンバス・デイの法定祝日となっているが、これを先住民族記念日に改定すべきだ、とする運動がある。コロンバス・デイとは欧州からやってきて「新大陸」を発見したクリストファー・コロンバスの記念日。それがきっかけで、豊かな自然の新天地に植民して広大な大陸を我が物顔で乗っ取った白人にとっては記念すべき祝日でも、隣人として暖かく迎えた白人に先祖代々の地っを奪われ、大量殺戮、虐待され太平の文化を破壊された側の先住民族にとっては、憂国の記念日で、いまだにアメリカ人がコロンバスを聖人扱いするのはとんでもない話。白人のアメリカ大陸植民により、アフリカの先住民族の奴隷化も始まったため、最近ではコロンバスは人種差別主義者としてアメリカ・インディアンだけでなく黒人やラティーノからも敵視されている。というわけで、コロンバス・デイを祝うのはやめて、むしろ、先住民族に対するホロコーストを悼み、反省し、他民族尊重の人権主義の念をあらたにする日として、先住記念日を設けよう、という運動が始まり、革新都市として知られるバークレー市などでは、すでに10月12日を先住民族の日と定めているのだ。

下記はその推進役となっているユナイテッド・ネイティブ・アメリカのサイトだ。
http://www.unitednativeamerica.com/press.Indian.html
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絶望に効く薬を求めて

2005年07月14日 | Weblog
7月13日

5月以来、カナダ移民の申請やらエコビレッジの家売却と引っ越し準備などに追われ、ブログにはご無沙汰してしまった。引っ越し計画は二転三転し、結局、売った家をそのまま借りて、来夏までここにいることになった。近所の人々はそれを知って嬉しそうだ。べつに私たちがここで人気者というわけではなく、ここの住民は、誰か出ていくとなると自分たちのコミュニティーが拒否されたような気になってがっかりするようなのだ。バンクーバー移住の前にまずシアトルに越すと話しだすと、急に周囲の態度が冷たくなった。ような気がしたが、最近では、やっぱりここにいるんだってねえ、と人々はニコニコ寄ってくる。

さて、ブログを再開するモチベーションをくれたのは、週末に遠路はるばる埼玉から(実はマンタッハンに小野洋子さんを訪ねたついで)来てくださったコミック・ジャーナリストの山田玲二とライターの佐藤博之さんの珍道中組である。山田氏が連載中の「絶望に効く薬」というコミックの取材のために、絶望した日本の人々への救いのヒントを求めて世界行脚を続けていると奇特なふたり組。ずっと連絡をくれていたのは佐藤さんだったので、もしかして山田氏はくらーいコミックオタクなのかも、と内心恐れていたのだが、予想に反して、ふたりとも、すかっと天に抜ける明るさだった。アランはひとめみて、二人揃うと、ロックスターみたいだね。ちなみに山田さんは長髪で、佐藤さんは茶髪がパッパとたっていたのだ。おふたりを出来たばかりの地球博物館にお連れしたら、山田氏は、たぶん古代の海の巨大な壁画を描いていたアーティストに見そめられ、「手伝ってくれ!」と乞われて、壁画アートに一筆加えることになった。これで、山田氏は、
美術館収蔵画家の仲間入りである。

おふたりはそれはいろいろな人にあって、それなりの徳を受けてきたようで、とても面白い話をずいぶん聞かせていただいた。
なかでも、唸ったのは、バッドトリップした輩を正気に戻すメディスンとして、セージの葉のスマッジが役に立つ、そうだ、という話だった。セージのスマッジはアメリカ・インディアンの文化では邪悪なエネルギーを祓う清めの薬草なのである。

それにしても、日本に住む日本人と久しぶりに会って話をするたびに、人を絶望に追い込みやすい日本の鬱屈した空気が思いやられる。何に対してもきまじめ過ぎるということなのだろうか。小さな島なのにどんどん自然を伐採してコンクリートで自分たちを囲んでしまったから、息がしずらくなっているのもウツを招きやすい一因ではないか、と思うのだが。大自然と一体となってそのなかでの自分の存在をたかみから見れば、閉塞状況から脱するための光も見えるのではないかと思うのだが・・
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