奥永さつき

日々のできごとをそこはかとなくつづります。

辻元議員の護憲派疑惑

2017-06-10 21:39:20 | 社会
民進党辻元議員が産経にいじられている。

▼辻元氏は、昭和62年出版の著書で皇室について「ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」「天皇とあの一族の気持ち悪さ」などと記していた。これに関して8日の憲法審では、約30年前の学生時代の発言だったと強調した上で、「考えが一面的だったと痛感し、深く反省した」と述べた。
 ▼人の思想や考え方はうつろいやすいものだし、知識や経験が深まるにつれ、昔の自分を恥ずかしく思うこともごく普通の話である。「憲法に規定されている象徴天皇を尊重しなければならない」。辻元氏は憲法審でこうも語っていた。
 ▼ただ、一抹の疑問も残る。何も30年もさかのぼらずとも、辻元氏は衆院議員となった後の平成10年出版の著書でもこう書いている。「(憲法)第一条から第八条までの天皇に関する規定を削除すべきだ」「天皇制について、私は個人的に反対。やっぱり抵抗がある」。
 ▼同様に、12年出版の著書にも「憲法第一章の天皇に関する規定、第一条から八条までを削除したらいい」「正確には『天皇制廃止』ではない。憲法から天皇に関する規定をはずす」とある。憲法に規定がある以上は尊重するが、本心は別ということか。(産経抄)


「憲法第一章の天皇に関する規定、第一条から八条までを削除」する憲法改正が必要であるから、その意味では辻元議員は「改憲派」である。ところが、九条教としては、九条を死守するために、憲法第一章がそのままでも致し方ないと割り切り、できるだけ改憲論議は避けたいということなのだろう。
これは、「天皇制廃止」を掲げている共産党も同じで、本来は「改憲派」であるところが「護憲派」を装っているだけということである。

ところで、保守派は「天皇制」という「制度」はないと言うが、本当にそうだろうか?
天皇が「権力」や「権威」を持っていたのは、史書が事実を記載していると仮定して強いてあげるとすれば、長い日本の歴史で雄略帝や天武帝時代くらいであろう。客観的に見れば、徳川時代まで天皇は「錦の御旗」として公家や武家に便利に使われてきたというのが事実だろう。「天皇はなぜ生き残ったのか」という問いに、東大教授の本郷和人は「文化」だと答えるし、小谷野敦にいたっては「たまたま」。
近世で天皇が「権力」を持ったのは明治期から先の大戦までだったし、「権力」を「権威」に変えたのが戦後だろう。そのことは帝国憲法と現憲法から明白なはずで、「天皇制」の意味はそこにあると思う。

明治期から現在までが日本歴史における特異時期と見なしたり、天皇が「錦の御旗」として利用されないためには、「第一条から八条までを削除」するという主張もそれはそれで筋が通っているのだから、辻元議員は頑張ればよいのに、と思うのだが。
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