世の終わりのキリスト全能神

終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられます。考察したい者は全能神教会にご連絡してください。

全能神の御言葉「二十番目の言葉」

2017-07-05 22:54:13 | 全能神教会各類文章

 


 わたしの家の富は数知れず、計り知れない。しかし、人間は誰も、それを享受しに来たことがない。人間は自分でそれらを楽しむことができないし、また、自分の力で自らを守ることもできない。その代わりに、いつでも他者を頼みとしてきた。わたしの見てきた者たちの中で、自分の意思で直接わたしを求めてきた者は一人もいない。彼らはみな、他人に促され、大多数にしたがってわたしの前に来る。そして、自分の生活を豊かにするために、代価をはらったり、時間をかけたりすることを好まない。それゆえ、人間の中で、これまで誰一人実際の中で生きたものはおらず、みな無意味な人生を生きている。人間の長年の間に培われた習慣のため、すべての人の体は、地の土のにおいに満ちている。その結果、人間は無神経になった。世界の荒廃するのに気付かず、冷たい世の中で自らの楽しみを求めることに忙しい。人間の生活には、少しのぬくもりもなく、人間らしさや光がまったくない──それなのに、人間はそれに慣れていて、価値のない人生を送り、何事も成し遂げず、走り回っている。瞬く間に死が迫り、人間は悲痛な死を迎える。人間はこの世で何事も成し遂げず、何も得ない──ただあわただしくやって来て、大急ぎで去ってゆく。その誰一人、わたしの目には何ももたらさず、何も持ち去らなかった。そこで、人間は、この世が不公平だと感じる。しかし、誰も急いで去ろうとは思っていない。わたしの天からの約束が突然人間の中に実現する日を待っているだけだ。そうなれば、たとえ道を踏み外しても、その時には、もう一度永遠の命への道が開かれるというのだ。そうして、わたしがほんとうに約束を守るかどうか、わたしのすることなすことすべてをじっと見ている。患難の中にいるとき、あるいは、はなはだしい苦痛の中にいるとき、試練にさらされ、倒れそうなとき、人間は生まれた日を呪い、少しでも早く苦境から抜け出し、別の理想的な場所に移りたいと考える。しかし、その試練が過ぎ去ると、人間は喜びに満たされる。地上に生まれた日を祝い、自分の誕生日を祝福するよう、わたしに願う。その時点では、もはや以前の誓いには触れず、再び死が訪れるのではないかと、深く恐れる。わたしの手が世界を引き上げると、人々は喜びに舞い踊る。もはや悲しまず、わたしを頼みとする。わたしが顔を手で覆い、人々を地中に押し込むと、人々はただちに息苦しくなり、かろうじて生きているという状態になる。人々はわたしが彼らを滅ぼすことを恐れ、わたしに向かって声を上げる。人間はわたしが栄光を得る日を目の当たりにしたいと願っているからである。人間はわたしの日を自身の存在の資本だと考え、わたしの栄光が訪れる日の到来を待つために今日まで存続しているのだ。わたしの口から出た祝福は、終わりの日に生まれた者は幸いで、わたしの栄光すべて見ることができると告げている。


                                                    「二十番目の言葉」より


東方閃電全能神教会は主イエスの再臨ーー世の終わりのキリスト全能神の中国での働きによって生まれました。誰か人が設立したのではありません。キリストは真理であり、道であり、命なのです。神様の言葉を読んだら、神様が既に現れていると分かるはずです。

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