ただの考察好き

ただ考えるの好きです

反省しない人間は、何があっても結局反省しない人間に戻る

2017-09-21 04:00:51 | 日記
弟が離婚して、既に数か月が経過した。本人は実家へと帰り、これは流石に猛省しているだろうと思いきや。

むしろ生き生きとしている有様。父親の死に目に、最も負担を与えた張本人が。未成年を孕ませ、慰謝料をむしり取られ、結婚を強行したため、更に実家を困窮させ、親の死に目にもっとも不安を与えたのに。

まあ、こんな家族だ。結局は、法廷で争えば未成年姦淫で下手すれば前科者になるから、それを回避するための「逃げの手段」としての結婚でしかなかったのだろう。

あの両親が40年、天塩にかけて育てたそれは、立派な怪物になった。人間の心を完全に捨てきっている。

母親はと言えば、あれだけ父親を死の間際まで苦しめた本人を迎え入れた挙句、単純な恨みつらみから、離婚した弟の元嫁を侮辱して憂さを晴らす。元はと言えば、体裁を気にして結婚を許したからだろうに。

かといって、弟の元嫁も助ける気にはなれない。小さい子供を抱え、大変な思いをしているだろう事は明白だが、それはずっと指摘はしていた事だ。だから結婚には反対したし、その事について意見を翻すつもりは毛頭もない事は明言している。

だから、苦労してもらうしかない。助ける事は無理じゃない。だが、助けたい気にならない、そういう人物ではあった。

あの弟と結ばれたような人間だけあって、何も反省できないタイプだった。自分のやる事、全肯定という感じである。あれは助けるだけ骨折り損だろう。あれだけの鈍感力の持ち主なら、助けないほうがむしろいいかも知れない。

どっち道、似た者同士で結ばれたようなものだ。弟も養育費をいつまで払い続けられるやら。まあ、こっちに救済を求めてきても、笑顔で無理と言うだけだが。

未成年に手を出す、成人男性の本性など、こんなものである。まともな判断力があれば、どんな好機が転がり込んで、求められる事があっても、その子の顔を見る度に、見た事もないこの子の両親の不安そうな顔が思い浮かぶようで、とても差し出されたその手を握る気になれない。勢いに任せて抱くとかないのだ。その勢いすら発生しない。

自分がそうだったからだ。独身の時、振られ続けてしんどい時に、ふと女子高生と知り合う縁が出来たし、向うもこっちに好感を持っている事は分かっていた。だが、その好意の中身がどちらかと言えば「年上の男を落として友達に自慢してみたい」という名誉欲や、好奇心だけという事も見抜けていた。だから、さっさと縁をきった。酷い男で別にいいだろう。いい男じゃねえんだもん。

その後も、主婦から浮気を持ちかけられた事もあるし、偏屈な思考に陥ったバツイチ子持ちの女性とも縁があったが、どれとも結ばれなかったし、そのように望まなかった。女に不自由しているし飢えてもいた。プライドも高いほうとは言えない。理性が強いとも思っていない。ただ単に、無理はしなかっただけだ。結局、ビビリで無難を望んだだけの事だが、自分がビビリである自覚があった事が、救いになったのかも知れない。

弟は、入ったボーナスの金で遊んでいる。俺なら、別れた嫁さんに引き取られた子供の衣服を買うだろう。それがせめてもの詫びだろうと思うし、そのように考える。だが弟はそういう風に考えないし、母親もそうだ。

今も高級ゲーム機を、巨大なモニターでプレイして、自分の部屋にずっと閉じこもっているのだろう。そして後になり、きっと思う。「ああ、あの時、こんなゲームなど買わずにこの子に何か買ってあげたら」と。

そういう説教すら、許されない長男が俺だ。母親が亡くなれば、家を含め家財一式は弟の懐に入るようになっている。その時、その事を理由に絶縁しようと考えている。

何を言っても無駄な人間は居る。これだけ「愛」や「好き」を強調して、強引に結婚までしておいて、生まれ変わったように言いながら。

今宵も結局、ゲーム画面の前に座っている。そこが気持ちいいわけでも、面白いわけでもない。

そこから自分が出たくないだけで、出そうとする世界が敵でしかない。何をやっても、何があってもそこに戻る。

我が子がきっと同じ夜に泣いていように、その弟は別段、面白いとも何も感じていないゲームをして過ごす。毎日、毎日だ。せめて面白すぎて気が狂う程、好きであればまだ言い訳もできように。

俺は自分を指して「悪党」と語り、そのような人間であると自負している。

弟は「善良な市民であり、正義の人間」という自負を覆さないため、離婚の事に触れられることを極端に避ける。

正義と善良って言葉を聞く度に、俺は胸焼けを覚える。その安い味付けにはいい加減辟易だ。ただのファーストフードのくせに。

我が子が遠くで泣いているかも知れない夜に、面白くもねえし、別段特にやりたくもねえゲームを延々とやる人間が善良なら、俺は悪党でいい。

だから俺は、独身時代から趣味でもっていた物を全て売り払って、子供のPCやゲーム機を買う金に変えた。同じ趣味の人間からすれば、クソ野郎だろう。

そして弟は子供を食べさせられる金を使い込んで、楽しくもないゲームで毎日を過ごす勇者様だ。だって、そうなんだもん。ネトゲで勇者してますぜアイツ。

まあ。消費ブタのいい観測データではある。結局、ダラダラと趣味で消費を続けると、それがいつの間にか逆転して、浪費する為に趣味という言い訳が要るという風になる。ただの浪費癖でしかない。好きじゃないけど、延々と続けるのは、そういった理由からだ。浪費癖と指摘されると格好悪いから、アニメやゲームが好きなような自分を演じてみせているだけ。

ダラダラと怠惰に過ごしていたいが、それだけだと格好悪いし身近な人間にも注意されるから、好きな事がある風に演じるようになる。それがオタク高齢者の行き着く先だ。

本当に好きなら、自分でも発信したいと思うようになるだけではなく、実行せずにはいられなくなってゆく。下手でも自分の作品を作るようになる。作れる、作れないとか、そんな発想すら無くなってゆく時間とゆとりの前には、何の理由にも壁にもならない。

本当に好きなら、大切なものは間違えない。間違える材料が揃っても。不思議とそれを選ばない。

そして間違える人は、ずうっと間違え続ける。指摘しても、何度でも元に戻る。そこから出られない。いや、本当は出る気すら持ち合わせていない。出る理由がないからだ。好きになった事がないから、出る理由がないのだ。

誰も愛さないし、何も好きになれない大賢者が居るのなら、俺は喜んでクソ野郎と呼ばれよう。そんなもん、悪党がマシやがな。
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