もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

「幸福」=満たされている感覚・欠乏感のない感覚、私たちの本質だとわかってきた。相手に満たしてもらおうとする関係性は終わっていきます。「真の親密さ」へ(スパイラ)

2017-04-21 | ☆覚書
転載元:VASTSTILLNESSさんより

「目覚め前後の人間関係~Before and After」ルパート・スパイラ

Before:【「目覚め」前(分離した自己による)の関係性】
・自分の欠乏感、恐れを他者に投影している。
・相手、モノ、活動、状況から「幸福」が得られると信じ、様々な形を通して求め続ける。
(自分の欠乏感を満たすための対象として他者、モノ、活動、状況を捉えている。)

After:【「目覚め」後の関係性】
・他者、モノ、活動、状況に「幸福」を求めなくなる。
・愛に満ち、開かれ、多くを要求し合うことのない関係。お互いの「幸福感」を分かち合い、表現し合う関係となる。
・相手に対しても、他者の飽くなき欠乏感を満たすという不可能な重荷を軽減していくことになる。
・この関係性は「真の親密さ」へのひとつの前触れとなる。


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幸福感の変容

この目覚めと密接に関わっているのは幸福感です。ここで言う「幸福」とは、いつも笑っていたり、微笑んでいなくてはならないというものではありません。それは、平安であり満たされた感覚であり、どんな欠乏感もない状態のことです。今まで私たちは、「幸福」とは活動、物質、心のあり方、人間関係にあると考えていました。そして、それらから滿足する「幸福」を見つけ出すことは出来ませんでした。それが今では「幸福」は、私たちの本質の一部であること、私たちの本質の資質であることがわかってきたのです満たされている感覚、欠乏感のない感覚は、私たちの本質だということがわかってきたのです。

しかし、客観的な体験の中に幸福を見出そうという動機が、一夜にして消えるわけではありません。なぜなら私たちは、今までずっと活動や人間関係の中に「幸福」を探すということを習慣にしてきたからです。その習慣が一夜にして終わるということはありませんが、徐々に終わっていきます。なぜなら、私たちの本質である「幸福」の源が知られたからです。そのために、対象物のある体験に「幸福」を見つけ出すことに興味がなくなっていくのです。それはゆっくり終わっていきます。

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幸福感を満たし合おうとする関係性の終わり

そのことは、特に人間関係に大きく影響していきます。ほとんどの人-自分のことを「分離した自己」と信じ込んでいている人は、誰もが人生において、ひとつのことを見つけ出そうとしています。それは「幸福」です。なぜ、分離した自己は、人間関係に「幸福」を見つけようとするのでしょうか?それは「他者」を求めているからではありません。それは自分が「幸福」になりたいからです。もし、あなたが自分が交際している相手が自分に苦痛をもたらす人だと知ったら、その相手と交際し続けるでしょうか?そんなことしませんね。私たちが求めているのは、相手でもなく、活動でもなく、ものでもなく、それらから「幸福」がもたらされると信じているからです。

でももし、私たちが活動、人間関係に「幸福」を求めなくなるとしたら、私たちはもう人間関係を持たなくなるのでしょうか?もちろんそんなことはありません!人間関係の在り方には2つあります。「幸福」を求めて、それを満たそうとする関係性、そして、お互いが感じている「幸福」を表現し、分かち合い祝福しあう関係性です。ですから、人間関係は持ち続けます。しかし、私たちは自分の欠乏感を相手に満たしてもらおうと要求しなくなるのです。つまり、自分の欠乏感を次から次へと満たすための対象として、他者を利用しなくなるということです。しかし、実際には他者にはそんなことできないのです

だから人間関係は崩壊するのです。なぜなら私たちは、遅かれ早かれ、他者が自分を満たすことはできないと気づくからです。それが出来る人はいませんから・・・。相手が自分を満たしてくれないとわかると争いが始まり、関係性は崩壊していきます。しかし、私たちは「幸福」を見つけようとするための他者との関係性を持たなくなるのです。それは、相手に対しても、他者の飽くなき欠乏感を満たすという不可能な重荷を軽減することになります。こうした在り方によって、私たちの関係性は、真に親密で愛に満ち、開かれ、多くを要求しない最善のものになっていきます。同じ存在として、お互いの表現を分かち合っていく関係になっていきます。絶対にこのような親密な人間関係になっていくと断言は出来ないのですが・・・。なぜなら、親密な人間関係はさまざまな要素が関係しているからです。

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誰もが深いところで「真の親密さ」を知っている

しかし、他者の存在が私たちに愛、幸福を与えるものでなくなるという認識は、最も大きな部分と言えます。人間関係においては、その部分が顕著に影響を受けてきます。人間関係には、近所の人達との関係、子供達との関係両親との関係などがありますが、最も影響を受けるのが親密な人間関係においてなのです。もっと突き詰めるとこれは「真の親密さ」にとって必須のものだったと言えます。

お互いが別々の存在であると思い込んでいる限り、そして、お互いに相手から「幸福」を受け取ろうとしている限り、その状態においては「真の親密さ」は双方とも手にすることは出来ないのです。自分に「足りないもの」「必要なもの」を相手から得ようとするあり方では「真の親密さ」にはなり得ないのです。みんなが求めているのは「真の親密さ」ではないでしょうか?だから私たちは人間関係を持つのではないでしょうか?なぜなら、私たちは誰もが深いところで、直感的に「真の親密さ」を知っているからです。私たちが人間関係に求めているのは「それ」なのです。つまり・・・私たちは、誰もが深いところで、人間関係に潜む可能性を知っているのです。しかし、私たちは自分自身の欠乏感と恐れを他者に投影しているので、いつまでも台無しになった人間関係ばかりを見続けているのです

by ルパート・スパイラ

(転載終了)
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