こころのしろくろ

 誰の罪?

「救世主症候群」

2017年06月20日 | 日記
この前、テレビで『新手口「必要とされたい」“救世主症候群”狙う巧妙ワナ』を見て、初めて「救世主症候群」という言葉を知った。
人の役に立ちたい、必要とされたい、励ましたいと思っている「救世主症候群」の高齢者の人たちが、詐欺に遭っていた。
有料メールで若者を励まし、何百万円も騙し取られた高齢女性。
投資を持ちかけてきた若者の悩みを親身に聞き、夕食までごちそうし続け、最後は貯金の全額を若者に預けてしまった高齢女性。
今回は、このような高齢者の被害について報道していたが、これは内容によっては、年齢関係なく騙されてしまうと思う。
騙されやすい私にとっては、明日は我が身だと思った。

では、どうしたら詐欺を未然に防げるか。
詐欺師にとっては、「救世主症候群の人たちの善意」が金に繋がるのだから、「善意」という怪しいものを捨ててしまえばいいと思う。
「善意」という怪しいものと書いたが、これは私を振り返って書いている。
「救世主症候群」は「共依存」と似ている。私は「共依存」の部分がかなりある。

共依存とは(Wikipediaから引用)
・「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。
・共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。
・典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているような状態である。こういった共依存者は一見献身的・自己犠牲的に見えるが、しかし実際には患者を回復させるような活動を拒み、結果として患者が自立する機会を阻害しているという自己中心性を秘めている。
・人物像:彼らは、責任という鏡に映った自分を愛する者である。

最後の人物像で、「彼らは、責任という鏡に映った自分を愛する者である。」とあるが、私の場合は「無責任」と言われることに過剰な恐怖心を抱いている。
この過剰な恐怖心を抱く過程が分かれば、私は無責任なれる。
私は機能不全家庭で育ったので、「共依存」的傾向になったと思っている。
でも、これはやっかいなもので、なかなか治らない。そこで、私は先ず子供時代の家族を客観的に分析し、家族を正当に憎み、家族と距離を置くことで、少しずつ思考パターンを変えてきた。
他者に対しても同じだ。自分の思考パターンを変えなければ、共依存は治らない。

そして、最近では「人を心配するという行為は、相手に対して傲慢そのものだ」と思うようになった。
そもそも相手を尊重していれば、心配する必要はないのだ。
人はそれぞれ違う困難が与えられているのだから、先ずは自分のことを心配し、自分を尊重し、自分の寂しさや不安を分析して、それを解決する言葉を、本や映画などから探し出せばいいのだ。
きっと自分だけに合った答えを見つけ出せるはずだ。
そうすれば、「救世主症候群」や「共依存」は治り、人に騙されることもなくなるだろう。

共依存 Wikipedia 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98
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