こころのしろくろ

 誰の罪?

海老蔵のブログ:生きている人の感情が優先かな?

2017年07月14日 | 日記
昨日、「海老蔵、義姉・小林麻耶の誕生会写真を公開」という話題を見た。
ここで私は考えた。もし私の子供が小林麻耶、麻央のような状況だったらどうするだろうかと。
姉は妹が亡くなってまだ49日も経っていないのに、妹の夫と子供たちと一緒にディズニーランドに行ったり、誕生日会まで開いてもらったりしている。
誕生日会では子供たちは姉を見て「ママとそっくり」と言ったりして、何やらとても楽しそうだ。
子供のためにはいいことかもしれない。でも、どうなんだろう。
生きている人の感情が優先でいいのだろうか。死者の感情は考えなくていいか。
死を悲しむという行為は尊いもので、それによって死者も残された家族も感情が浄化されると思うのだが。
もし私の娘が海老蔵と小林麻耶みたいな感じだったら、私は二人にこう言うだろう。
「妹が死んでまだ49日も経っていないのに、誕生日会を開いたのか。あなたたちは子供のためと言いながら、現実逃避をして楽しんでいるだけだ。少しは亡くなった妹の気持ちを考えてあげたらどうだ。」と。

私は小林麻央さんのことを想像してみた。
「自分の居場所だったはずの所に、姉(麻耶)が楽しそうにいる。姉のおかげで子供たちは寂しくないかもしれない。だけど、私は悲しくて悔しい。」という感情と闘っているのではないかと思う。
海老蔵は、死後の世界の麻央さんまでも完璧な人(霊)にしようとするが、それは海老蔵にとって都合がいいからだ。
生前の麻央さんにも、死後の麻央さんにも、負の感情はあると思う。
私は以前(6月26日)に『海老蔵と「死人に口なし」』というタイトルでブログを書いたことがある。
下がその内容だ。私は海老蔵のブログの話題を見るたびに、「死人に口なし」だって思ってしまう。

海老蔵の発言やブログが話題になっているが、私は海老蔵に対して「喪に服して、少しは黙ってろ!いつまで麻央さんに優等生を演じさせるんだよ。」と言いたい。何でも美談にされては、死後の世界で麻央さんが苦しみを吐けないではないか。
麻央さんだって、死ぬのはつらいし、悔しいし、後悔ばかりだったと思う。そして、死後の世界はわからないが、きっと自分の死を受け入れるのに、相当な葛藤があると思う。
どうしてそう思うかというと、49日は死んだ本人も遺族と同じように、自分の気持ちを整理している期間だと思うからだ。
たったの49日で「仏様」になるのは、大変なことだと思う。
なのに、海老蔵は会見で、麻央は最後に「あいしてる」と言ってくれたとか、海老蔵自身が台本が覚えられないのに対して、「多分まおも大変だねゴメンねと言いつつ真剣なわたしを観て可愛いとクスクスしていると思います、あはは」とかブログに書いている。
これは海老蔵の空元気かもしれないが、自分の思いを麻央という言葉を使って、表現しないでほしい。これでは、死人に口なし状態になってしまう。
ドリカム層の軽い言葉にしか聞こえない。(ドリカム層については、以前にブログで書いた。)
海老蔵が麻央さんに対して「あいしていると伝えたかった」とか、「今の俺の姿を見て、クスクスと笑ってくれ」ならわかるのだが、きっとこの人は、そういうふうには書かないだろうなあ。

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