ユーニッヒ

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哭声と祈祷

2017-03-20 13:08:08 | 日記
 韓国映画の「哭声(コクソン)」を見てきました。
 韓国の田舎の村で凄惨な殺人事件が起きます。主人公の警察官は、殺人事件の原因を村に来たよそ者にあると見て調べ、よそ者を追及していきます。2時間30分の長尺ながら、見る者をして真相は何かと興味を掻き立てさせ続けて最後まで見せてしまう映画でした。
 物語では、殺人犯には、決まって発疹が出ました。主人公の娘に同じような発疹が出たときに、主人公の家族は祈祷師を呼んで祈祷を行わせます。
この場面を見て思い出したのは、平安時代の古典文学です。平安貴族は、病気になると比叡山などの寺の高僧に祈祷をさせます。病は悪霊の仕業であり、加持祈祷は当時の人にとっては重要な治療手段でした。しかし、現代日本では、すっかりその発想はなくなりました。現代の日本でも病気の治療に加持祈祷が使われることがあるかもしれませんが、その場合でも、多くの場合、医学的な治療を主として、気持ちの問題として加持祈祷を行わせるに過ぎません。
 しかし、あとでプラグラムを読んだのですが、韓国の社会では悪霊が信じられ、悪霊を祓う祈祷師がそれなりにいるようです。したがって、映画のあの場面は、平安貴族と同じ発想で、病は悪霊の仕業によるのであり、真の治療行為として祈祷をさせていると見ないといけないことになります。
 この映画では、悪霊や祈祷あるいは祈祷師が全編に散らばっています。現代日本人の感覚で、悪霊や祈祷の存在を過去のこととして、哭声を見てしまうと、その結末が不可解なものになります。私はよくわからないまま映画館を出ました。韓国の実際の社会のことはよくわかりませんが、悪霊が生き、祈祷の威力が信じられている社会であることを前提に改めて哭声を思い返すと、現実と現実を超えた世界との間で行き来するような不思議な感覚に捉われます。
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