なんかもうどうでもいいよ

都内在住30代子持ちリーマンのブログ;面白きこともなき日を面白く

嘘のうまさの話。「戦争の体験談を語るわ」とか「ラブリーボーン」とか

2010-07-22 | めんどくさくてまだ未分類
●読者の方から「戦争の体験談を語るわ」という「日本人小学生がユーゴスラビア紛争を生き抜いた体験談」をおすすめされました。私はちょっと前に読ませていただいておりました。

「感動した」という声がネットに溢れる中で私は読んでいて違和感、それを通り越して嫌悪感すら感じておりました。なぜかなと自己分析してみると、つまるところ書き手が人の命を軽く扱っている(かのように思えた)からかなと。

この話をちょっと読んで私はすぐ「これはうそをついているな」と思いました。
いや、セルビアの戦争については本当、登場人物は実在で本当に死んでいると思いました。ただ書き手が自分で体験した話であるというのがうそだなと。

なんていうか、大筋ではリアリティがあるのに、ディティールの部分ではどうもぼかしてるところが多いんですよ。
自分で体験した出来事のはずなのに、どうも他人事としてしか見ていないところがある。視点が高い。友達が次々と死んでいく話なのに、身を切り裂くような語る痛みが感じられない。うまくいえないんですが、次にどうやって殺そう、と筋書きを考えながら書いてるなというところがあるかなと。

リアリティ欠如の例を出すと夏休みのくだりかな。事実であれば語り手がもっとも友だちと交流を深めたであろう季節のことを「あっという間に夏休みも過ぎ」と飛ばしてしまっており、それは物語的には正しいかもですが、小学生が自分の体験談を語る際にはもっとも濃厚であるはずで。そこをすっとばすのはありえねぇだろっていうか。そういうところでリアリティを決定的に欠いてしまっているなあと。

そのくせ読者から「お前のせいで友だちが死んだ」とか言われると、書き手の人は本気で傷ついたり憤ったふりをして、そういうところで、どうも小ざかしいなというか。嘘を嘘と見抜けない読者もなんだかなっていうか。

「たとえ嘘でも釣りでも、こんな悲しい事実があったことを知れたことに意味がある」という意見もあるみたいですが。

ただ戦争体験という希少な素材を無駄にしてるのが違和感あるっていうか。また、本当に亡くなったであろう登場人物たちが書き手の人の主張の代弁者、自分酔いのアイテムにすぎなくなってるのがなんだかなっていうか。

もし本当にノンフィクションとして質のいいものを作るのであれば、ボスニアの悲劇への憤りを読者に伝えようとするならば。伝聞なら伝聞であると最初にそう宣言してから、書き手本人と伝聞元(実体験者)との出逢いを説明し、その話を最初に聴かされたときに書き手はどう感じたか、実体験者はどんなふうに語ったか、誠実かつ真摯に自分の内心を見つめつつ、それをまっとうに書き綴ればどれほどよかったと思います。
余計な演出、書き手の主張は雑味にすぎないっすよ。
むしろ「これは自分が体験した話だ」という虚構を組み立て、読者から隠そうとすることに労力が割かれているのを見ると、なんでそんなことをしたのかなと不思議でした。

いい例えかわかりませんが、高級肉を自分流のソースで味付けしちゃってるのを見たようながっかり感があったっす。

あるいはもっと力量のある書き手だったら「自分の体験談」というソースがうまいぐあいに絡み合って傑作たりえたのかもしれませんが。うーむ。

まぁそんなところです。


●そういえば昨日、英国特殊部隊(S.A.S)の隊員の手記を読んだんですがこちらは「事実を事実」として語っており面白かったです。

その本の作者がS.A.Sに入隊して、最初に目にした本物の隊員は、宿舎の洗面所でだらしなく歯を磨く姿だったそうで、「ふつうのあんちゃんじゃねぇか」という感想を書き手は抱いたとのこと。ただうーむこれがリアルってやつだなと。

なんていうか、リアルってのは「いかにも」ではなく「想像の斜め上」でありながら「いかにもより、いかにも」なんですよね。
先日のエントリで語ったひまわりを探す虐待児とか、想像の斜め上でありながら、さもあらんと思っちゃうところがあるんですよね。

ちなみに英国特殊部隊(S.A.S)の隊員の手記は、入隊後の訓練の記述では、「川では服を濡らさないよう気をつけるのが大事」だとか、「おしっこが黄色かったら脱水だから要注意」だとか、「ちんちんにヒルがくいついてびっくり。煙草をくっつけて落とした」とかそんなんばっか。おい戦えよおまえら地球最強部隊S.A.Sだろとかいう感じなんですが、それがかえってリアリティあって面白かったです。

ちなみに昔読んだニセ傭兵さんの手記だと銃撃戦の話ばっかでした。



●逆に「事実を虚構の話として語っている」例としては最近映画化された「ラブリーボーン」という本がそうでしょうか。
主人公の女の子がレイプされて殺されちゃうシーンがあるんですが、犯人が主人公の手をつかんでからの描写はさらっとで、それより前に、犯人が主人公を気に入るシーンとか、誘い込むシーンとか、妙に細かくて、そのへんがかえってリアリティあって嫌でした。

こういうとき、物語の書き手(とくに男)が想像で書くと犯人への嫌悪感を増そうとして、暴力シーンを細かく描写しがちかと思います。ただ「ラブリーボーン」は実際の被害者だったらこう書くだろうなという描写でありまして。なんだこれ妙にいやなリアリティあるなあと思ってあとがきを読んだら、作者本人がそういう事件の被害者なんだそうですね。道理でと思いました。

ちなみに「ラブリーボーン」は主人公の女の子がレイプされて殺されてバラバラにされてから幽霊となり、父親の半狂乱の犯人探しを傍らで見つめ続けるんですが。いやもう泣けました。娘持ち補正がかかっているので一般的にはしらね。ただ私は娘の気持ち、父親の気持ちを考えるともうね。

「みんなのこと大好きだから、ずっとそばにいるから、だから…」。

オフィスでまた泣けてきたので書くのやめる。ではまた。

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好きだから すっとばす ユーゴスラビア紛争
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4 コメント

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名もなき詩 〜伝えるのはいつも困難だね〜 (もう1ターンお待ちください)
2010-07-23 00:28:06
人に伝えるとか表現するってコトって難しいっすね!!!(ラブアタックとか)
それが文章なら尚更(特にラブレター)

書き手の技量がすんごく左右されますヨ
万人受けする料理人がやっぱ一番かと

そう考えると司馬遼太郎氏の書き物は取り込まれちゃいますネ…
かなりアレンジ入ってるんだろうけど 読み手をワクワクさせるというか

人を引き付けるカリスマか はたまた自分の思い通りに人を操作しているとか
本人しては してやったり!なのかな
Unknown (ポン太)
2010-07-23 08:52:17
一流の作家って、どんなにクセがあってイヤな人間のクズ野郎でも、文章からエゴイズムが消失してピュアな魂が浮き出るのが不思議!!


司馬遼太郎ですか。彼は嘘がうますぎて日本史を作ってしまったきらいがありますね。
西郷さんが鹿児島以外でイマイチ人気ないのも、司馬遼太郎が彼を好きじゃなかったからって大きいと思いますし。

Unknown (ロロ)
2010-07-23 13:06:57
VIPに投稿した日本人いわく、ボシュニャク人の知り合いに聞いた話を元にしたフィクションだそうで。
Unknown (ponta)
2010-08-02 00:01:18
>ロロさま

そうでしたか。じゃあなんで「うそだろ」とか言われて怒ったふりとか、したんでしょうね

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