これだけ更新を怠っているのに毎日100IP程度ここに訪れる人がいて本当に申し訳なく思っています。とにかく多忙。なんでというほど多忙です。
さて、今日の話題。
今年度も残すところあと3ヶ月となり予算を早く消費しろ、と事務が盛んに言ってくるようになった。と言っても、通常の研究費など自由に使える部分は2万円もないし、ほぼ毎年値上げしてくる雑誌代の赤字の穴埋めを考えると、2万どころか
マイナスなので実質的には使う分は全くない。
ただ幸いにして、今年は他大学の先輩が代表の科学研究費の分担金をいくばくかもらっているのでそれで何とか凌いでいる。
ところがである。最近、科学研究費の不正が全国的に問題になっていることもあり勤務先でも、これまで相当いい加減だった納品や購入品目のチェックというのを厳しくやるようになった。たとえば、科学研究費の助成期限ぎりぎりの3月末になって実験用の薬品を買うことは当該研究で実際に期間内に使うと思えないので他の目的に使用する意図がありとみなされ差し止められる可能性が出てきた。もちろん、汎用の機材、物品などは他にも使用できる可能性があるのでダメである。そこら辺のことについていちいち事務方が研究室や業者に電話をしてきて説明を求めてくるようになったのだ。ところが、他方、教授会では「パソコンや実験用の機材はたとえ授業用としてでも一般の研究費では買う余裕はありません。それらは科研費などをとって買ってください」と盛んに言われている。これまではそのへんはかなり曖昧な線引きをしていたし、科研で買ったパソコンを大学院生が研究用に使うなどということは暗黙の了解で認められいたと思うのだが、ここまで科研での購入品目をチェックされると、それも不可能になる。もとより通常の研究費は限りなくゼロに近いからそうなると学生には何もしてやれなくなる。ほとんど教育が成り立たないのだ。その一方で、少額とはいえ使い切れない科研費をどう消費するかに頭を悩ませ、また、一部の研究業績を量産し科研費を継続して得ている講座のみが研究費をダブつかせ持て余している状態がつくり出されているのである。
わたしは北大のstochinai先生のブログの記事のコメント(http://shinka3.exblog.jp/5211429/)にあった「基礎科学には「薄く広く」資金を散布するほうが新しい研究がどんどん開拓されてく」という主張はもっともだと思う。どこかのブログに書いてあっはずだが(どこかは失念。わかる人教えてください)、だいたいよほど特殊な実験機材を購入して実験をすることでもない限り、ある研究室に1億円の資金を投入したところで1000万円で得られる10倍の成果があがるとは思えないのである。せいぜい5倍でいいところであろう。それならばこれまでのように10の研究室に1000万ずつ分配すればそのうち2、3の研究室があまり仕事をしなかったにせよ、1つの研究室に1億の資金を投じるよりはそれでも少しは余計に成果があがる。それはそうなのだが、現在の状況はそういう研究成果ベースで考えるどころか、まず、研究をはじめる以前にこれまで研究を支えてきた学部、修士の学生を育てる必要最低限の基礎教育の資金すらままならない状況になっているのである。そうまでして特定の研究室にだけ億単位の資金を導入し、そうすれば成果があがると考えているのが現在の政府、あるいは、大学改革を訴えるマスコミの論調なのである。例の早稲田大学の松本和子元教授の不正流用のような事件が起こってしまうのも、このような特定の研究室にだけ資金が集中してしまい、その使い道に困ってしまった結果であるように思う(これもどこかのブログにあった意見の受け売り)。
競争による成果主義こそ発展の原動力という考え方にすべてが支配される昨今、格差社会云々は別としても、大学においては確実にその弊害が露呈されてきたと思うのだが。
さて、今日の話題。
今年度も残すところあと3ヶ月となり予算を早く消費しろ、と事務が盛んに言ってくるようになった。と言っても、通常の研究費など自由に使える部分は2万円もないし、ほぼ毎年値上げしてくる雑誌代の赤字の穴埋めを考えると、2万どころか
マイナスなので実質的には使う分は全くない。
ただ幸いにして、今年は他大学の先輩が代表の科学研究費の分担金をいくばくかもらっているのでそれで何とか凌いでいる。
ところがである。最近、科学研究費の不正が全国的に問題になっていることもあり勤務先でも、これまで相当いい加減だった納品や購入品目のチェックというのを厳しくやるようになった。たとえば、科学研究費の助成期限ぎりぎりの3月末になって実験用の薬品を買うことは当該研究で実際に期間内に使うと思えないので他の目的に使用する意図がありとみなされ差し止められる可能性が出てきた。もちろん、汎用の機材、物品などは他にも使用できる可能性があるのでダメである。そこら辺のことについていちいち事務方が研究室や業者に電話をしてきて説明を求めてくるようになったのだ。ところが、他方、教授会では「パソコンや実験用の機材はたとえ授業用としてでも一般の研究費では買う余裕はありません。それらは科研費などをとって買ってください」と盛んに言われている。これまではそのへんはかなり曖昧な線引きをしていたし、科研で買ったパソコンを大学院生が研究用に使うなどということは暗黙の了解で認められいたと思うのだが、ここまで科研での購入品目をチェックされると、それも不可能になる。もとより通常の研究費は限りなくゼロに近いからそうなると学生には何もしてやれなくなる。ほとんど教育が成り立たないのだ。その一方で、少額とはいえ使い切れない科研費をどう消費するかに頭を悩ませ、また、一部の研究業績を量産し科研費を継続して得ている講座のみが研究費をダブつかせ持て余している状態がつくり出されているのである。
わたしは北大のstochinai先生のブログの記事のコメント(http://shinka3.exblog.jp/5211429/)にあった「基礎科学には「薄く広く」資金を散布するほうが新しい研究がどんどん開拓されてく」という主張はもっともだと思う。どこかのブログに書いてあっはずだが(どこかは失念。わかる人教えてください)、だいたいよほど特殊な実験機材を購入して実験をすることでもない限り、ある研究室に1億円の資金を投入したところで1000万円で得られる10倍の成果があがるとは思えないのである。せいぜい5倍でいいところであろう。それならばこれまでのように10の研究室に1000万ずつ分配すればそのうち2、3の研究室があまり仕事をしなかったにせよ、1つの研究室に1億の資金を投じるよりはそれでも少しは余計に成果があがる。それはそうなのだが、現在の状況はそういう研究成果ベースで考えるどころか、まず、研究をはじめる以前にこれまで研究を支えてきた学部、修士の学生を育てる必要最低限の基礎教育の資金すらままならない状況になっているのである。そうまでして特定の研究室にだけ億単位の資金を導入し、そうすれば成果があがると考えているのが現在の政府、あるいは、大学改革を訴えるマスコミの論調なのである。例の早稲田大学の松本和子元教授の不正流用のような事件が起こってしまうのも、このような特定の研究室にだけ資金が集中してしまい、その使い道に困ってしまった結果であるように思う(これもどこかのブログにあった意見の受け売り)。
競争による成果主義こそ発展の原動力という考え方にすべてが支配される昨今、格差社会云々は別としても、大学においては確実にその弊害が露呈されてきたと思うのだが。










