Celloな日々♪

レッスンのこと。練習のこと。
ひとりごとをつぶやくこともあります(^^;)

またまたレッスンお休み…(:_;)

2011年04月22日 | レッスン
4月9日(土)20:43、祖母、永眠しました。享年93歳。

その日のお昼位に、眠ったままの祖母に会いました。

とても息苦しそうだったけど、呼吸は力強く。声をかけながら腕をさすったら、「はぁー」と声を出した祖母。ちゃんと私の声が届いて返事してくれたと思った。だってその後も、周りでしゃべる言葉に返事をするように声を出していました。

帰り際、祖母のほっぺたを「また来るね。」と撫でたら、急に目頭が熱くなり、涙が出ました。

もっと祖母とたくさん話をすれば良かったと、悔やむ涙かな。

私が生まれて間もなく、父の仕事上、母の実家の近くに住んでいました。そのため、母方の祖父にはしょっちゅう会っていたのですが(母方の祖母は私が3歳の頃に亡くなっています)、父の実家は登米郡東和町(今は登米市東和町)だったので、年に1~2回、夏休みや冬休みを利用して会いに行くくらい。
そんな訳だから、あまり父方の祖父母にはなつかない孫でした。子供心に、祖父母にどう接していいのか、何を話したらいいのか分からなくて、気まずく思っていました。父は長男でしたので、祖父母にとって初孫の私。今更ですが、祖父母不孝な孫だったと反省です。私の名前は父方の祖父が名付けてくれたのに。

父方の祖父は、私が高校生の時に亡くなり、その後、一人で暮らしていた祖母。

その祖母、当時としては珍しく女学校を卒業し、デパートの宝石店に勤めたそう。そんなしっかりしていた祖母が、これまた当時としては先駆けて、認知症になりました。ちょうど「恍惚の人」のテレビが話題になってたなぁ。テレビでの演技が、そのまま祖母の症状でした。少しずつ、でも確実に祖母じゃなくなっていくのが、怖いような哀しいような。突拍子もないことをして、驚くより呆れてしまったり。

当時はこの先どうなるんだろうと不安でしたが、今は懐かしい思い出となっています。私は孫だからそう言っていられるけど、母にしたら大変だったことと思います。とにかく母が介護で参ってしまわないかと心配でしたから。でも父がホントにいろんな事をする人なので、母の負担はいくらか軽かったのではないかと思います。

父は率先して祖母の面倒を見ていました。よく祖母を茶化して、介護の苦労を笑い話にもしていました。

一緒に暮らしたのが認知症になりかけてからだったけど、その頃は私も大人になり、気後れすることなく、祖母と話をすることが出来ました。

女学校時代、仕事に就いた時の話、満州から引き揚げてきた時の話等を、つい最近のように(笑)話してくれました。

さて、その祖母の目に、私は孫として映っていたのかしら?(^^ゞ

震災の影響で、亡くなってすぐには火葬が出来ず、亡くなった日から通夜&告別式まで10日間、実家に安置されていた祖母。毎日、葬儀屋さんがドライアイスを交換しに来て下さったので、本当に火葬するまで、亡くなった時のまま、綺麗な顔をしていました。

通夜&告別式は、ごくごく身内だけで執り行いましたが、それでも、近所の方や、父、母の知人の方が参列してくださいました。

3日間会社を休ませてもらい、母の手伝いをしました。
滞りなく葬儀は終わりましたが、葬儀後もポツリポツリと弔問客が来られるので、土日も手伝って欲しいと母親に頼まれ、先生には本当に申し訳ないのですが、またまたレッスンをお休みしたいと連絡。
程なく了解メールをいただいたのですが、先生はチャリティーコンサートの帰り道だったようです。お忙しい中だったようなので、先生も少しお休み出来たらいいな、と思いました。

次回のレッスンは未定。

私の状況が落ち着いたら連絡を差し上げることになりました。

再びレッスンお休み…(>_<)

2011年04月07日 | レッスン
震災後すぐの14日に、祖母の危篤の知らせが入ったのでした。

すぐにでも会いに行きたかったのですが、仙山線は止まる、バスもタクシーも走っていない、自分の車のガソリンはない、と最悪の状況が重なり、生きているうちには会えないと覚悟していました。

でも、祖母、一生懸命生きてくれ、危篤ではあるのですが小康状態で落ち着いてくれていました。

周りの話から、そろそろガソリンを手に入れるのにも時間がかからないと思い、4月3日(日)に近くのエネオスに行ったら、並んではいましたが、約10分待っただけで給油量制限もなく、ほぼ満タン入れられました。

先月辺りは、後輩の子が7時間並んだとか言っていたので、徐々に復興しているんだな、と実感。

平日、仕事が終わった後はなかなか行けなかったので、今度の土曜日には必ず行こうと決めました。

祖母は、しばらく前からずっと眠ったままなのですが、それでも、命が祖母の身体に宿っているうちに会いたかったのです。

なので、先生に、レッスン休みますメールをしました。

事情はお知らせしてあったので、逆に、そう思っていた、行ってらっしゃい、とメールが返ってきました。

ありがとうございますm(_ _)m

次回は4月23日。