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映画・演劇のレビュー

覇王樹座『駄駄』

2016-12-20 22:13:41 | 演劇
大学生の学外公演を見るなんて、あまりないことだ。リスクも大きいから、なかなか勇気が出ないし、時間もない。でも、こういう機会が大切だな、と思った。チラシを見た時、心惹かれた。独りよがりで頭でっかちの作品になっていたなら、それは嫌だな、と思ったけど、この作品は大丈夫だった。



この芝居はあたりだった。挑発的なアプローチも含めて、いろんなことがとてもおもしろい。それだけに、90分間でどこに着地するのか、とても楽しみだった。こういうタイプの作品はその終わらせ方が難しい。それだけに、途中からは、そのことばかり考えながら見てしまった。これだけやるのだからちゃんと成功して欲しい、と思った。



これは仕掛けが大事な作品なので、そこでまずちゃんと驚かす。でも、そういう驚きは持続しない。すぐに飽きてしまう。だから、飽きさせない工夫が必要になるのだが、そんな小手先の技術は、すぐにネタが尽きる。だからあとは、やはり、お話の面白さだろう。だが、お話はあまり広がらない。後半、かなりしつこくなる。だから、苦しい。



でも、そのしつこさが作者のやりたいことだと、思うので、それはそれでいい。ぶれない姿勢は大事だ。メタ演劇なんてめずらしいことではない。そこが大事なことではなく、「ありえたかもしれない、もうひとつの自分」という普遍的なテーマをどう突き詰めていくか、が大事だろう。演劇をしなかったなら、というなかった選択を、今、演劇か逃げて行くという現実を通して、シミレーションしていく。自分がいない芝居が目の前に現出する。作者不在の芝居を見せていく。



作家が行方不明になる。残されたものたちが芝居を作る。よくあるパターンなのだが、先にも書いたように、芝居をしない人生(少し、大げさだが)なんてことを考える大学三回生(これは彼らの引退芝居だ)たちのお話というのは面白い。21歳くらいのとき、人は何を考えるのかな、なんて改めて思いながら見た。いなくなる劇作家の女性。彼女からその理由を聞かされた同級生の男の子。何も知らない劇団員のメンバー。それそれの想いが描かれる。



芝居が始まったとき、客席の1列目が、実はそこからもう舞台だったということに驚かされる。遅れてきて、そこに座ったふたりの男女が主人公で、最初から座っていたその周囲の4人が芝居のキャスト。前説をした舞台監督もキャスト、という仕掛けは面白い。



「どこにいくの?」と問われて「ちょっと、演劇まで」と答えるシーンにはドキドキした。芝居の中が、芝居の外とつながっていて、外と中が簡単に逆転する。何が現実で、何が虚構なのかをわからなくする、という意図はうまく実現している。奇を衒った実験的な演劇ではなく、これは、「自分とは何か、」ときちんと向き合うための作品になっていたのがよかった。しつこい幕切れも含めて納得のいく作品になっていたのが、うれしい。
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