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映画・演劇のレビュー

ニュートラル『カステラ』

2016-10-03 20:57:42 | 演劇

7年振りの劇場公演となるニュートラルの新作。でも、今でもカフェ公演や小さな会場での合同公演で中編はコンスタントにこなしているからそんなに久々という印象ではない。でも、90年代、スペースゼロを皮切りにしてコンスタンスに大沢秋生さんの作品を見ていた日々が懐かしい。

 この3月スペースゼロの古賀さんが亡くなられて、僕は(以前ほど)芝居を見る気力が無くなった。もういいかな、と思うようになったのだ。以前のような興奮や感動はないし、ノルマのように見ても意味はない。それに「見に来て」と言われることもなくなったからだ。自分自身も新しい劇団を積極的に見ようとは思わない。いつもの、安心して見ることのできる劇団を、変わることなく見続ける。それは止められないけど、それ以上はあまり望まない。なぜ、そうなったのかは、とてもわかりやすい。以前ほど体力がなくなったからだ。出来るだけ、疲れることはしたくない。

 で、今週は2本。でも2本とも外せない。だって彼らの作品は20年以上ずっと見ている。大沢さんは劇団の旗揚げから、樋口さんに至っては高校生の頃からずっと見ている。いずれもスペースゼロで古賀さんを介して出会った。もちろん、ここは思い出話をするためのコーナーではない。ニュートラルの最新作のことを書くための場所だ。

 いつもながらの大沢さんの世界だ。彼は同時に3人の上の人を書けない。だから、舞台には2,3人が順番に登場して、お話を展開させる。今回もそうだ。小さな作品の時には2,3人でキャストは済むけど、今回のように大きな作品では、そうはいかない。でも、やはり、大人数でお話は展開しない。8人のキャストが舞台上で勢揃いするシーンはほとんどない。

 でも、終盤、夢のシーンで、すこし大騒ぎするけど。『雨に唄えば』のミュージカル・シーンを彼らなりに再現する場面だ。なんだか、とても幸せなはしゃぎ方。雨がずっと振り、公園は森になる。世界は一変する。こんな芝居を作るなんて、以前の大沢さんからは考えられないけど、そういうと、今回のキャスティングもそうだ。この華やかさや、自由奔放さ。これが彼の今の心境なのだろう。

 とても楽しいお芝居である。だが、その根底には、いつも通りの寂しさがある。人は一人では生きていけない。でも、人と関わるのは、難しい。突然の妻の失踪。心当たりはない。どうしたらいいのかわからないまま、公園にやってくる男(山田一幸)が主人公だ。彼が出会うのは2人の老人。ふたりは将棋を指している。「あのぉ」と声をかけるけど、最初はまるで相手にされない。無視するのではない。集中するからだ。

 そのシーンから始まり、不器用な彼が妻のために探偵を雇い、そのかわいい探偵(大沢めぐみ)と共に、行動を共にする。それはまるでデートだ、と、周囲の人たちに言われる。(将棋のふたりをはじめとしてここを訪れる不思議な人たちに、だ)本人たちには、そんな自覚はない。もちろん、彼なんて、妻を探すことに必死だし、彼女も仕事を全うする。やがて、妻の所在が知れるのだが・・・

 これは「場所」のお話だ。自分たちがいる居場所。以前彼が作った『その公園のベンチには魔法がかかっている』(確かそんなタイトル)という作品があったけど、あの時のテイストを引き継ぐ。そこに集う見知らぬ人たちがだんだん顔を会わせることで知り合いになっていく。なんの約束もしない。ただ、ここにいれば誰かが来る。まぁ、来ない日もあるかもしれないけど、それはそれでいい。場所が淡い関係を作り、ひとりひとりを幸せにしていく。8人の役者たちは自由にこの場所で遊ぶ。それを大沢さんはよしとする。そして100分ほどの芝居が生まれる。

 カステラの甘いにおいが漂ってくる。みんなでボーリングに行く。妻は好きな人(女性)が出来て家を出たということを知る。ほっとする。妻が幸せなら、それでいい、と。この結末が終わりにはならない。ここではずっと同じような時間が続く。この幸せな時間に終わりはない。もちろん、いつかすべてには終わりがくる。そんなこと重々承知している。でも、今はこの瞬間を楽しんでいる。それだけでいい。

 

 

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