落語の『らくだ』はとてもアバンギャルドな作品で、まぁ、むちゃくちゃな話なのだが、それを土台にして、橋本匡市はとても端正でオーソドックスな小劇場演劇として再生させた。死んでしまった娘のいる部屋で過ごす夫婦の姿を狂気としてではなく、とても穏やかな会話劇として見せる。
もちろん中心にいるのはもの言わぬ死者である大切な娘である。彼女の死という「現実」を巡って夫婦は言葉を交わす。後悔、現状、未来が、まだそこに確かにいる娘を通して、照射されていく。
対面舞台、鉄パイプによる空間(美術はサカイヒロト)は、若い夫婦が暮らすアパートの狭い居間のはずなのに、いつの間にか迷路の様相を呈する。中央にテーブル。そこに娘が乗っている。だらしない夫と、そんな彼に愛想を尽かす妻。彼らは滞納している家賃の集金に大家がくることに、怯える。だが、ほんとうは現実がやってくることが恐いのだ。
芝居の後半、大家ではなく妻の母親がやってきたところから、芝居は大きく動き始める。よくある母親と孫の交流から始まり、やがて祖母と孫であるはずの2人が重なり合い、不思議な様相を呈していく。死んだはずの娘と普通に会話している母親を夫婦は唖然として見守る。
母親を演じた千田訓子が、不気味で、優しい。彼女はいつのまにか抽象的な存在へと変化していく。そして、気付くと、お腹に赤ちゃんを抱えている。やがて祖母と孫であるはずの2人が重なり合い、生と死の連鎖、命の絆が描かれていく。「生まれてくること」、「死んでしまうこと」がつながった時、芝居は完結する。