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映画・演劇のレビュー

『若葉のころ』

2017-03-15 01:57:11 | 映画
映画を見て号泣するなんてことは最近めったにない。というか、昔だってなかなかそこまではしない。だから、声を出して泣く人(僕ですが)なんてほんとに久しぶりに見た。これを映画館で見なくてよかった、と思う。もし、昨年5月の公開時に予定通り劇場で見れていたならとても困ったことだろう。昨日、夜明け前のリビングでひとり見た。



でも、だからこそこんなに素直に泣いてしまったのかもしれない。今という時期も僕にはツボだったのだ。こんないい年をした大人なのに、なんだか恥ずかしい。まぁ、それくらいに、この映画は僕のツボだったということだ。映画は『5月1号』という原題に合わせ、昨年の5月の終わりに(初めではなく、終わり、だったのはたぶん劇場の都合だろう)ひっそりと公開された。



ここで描かれることは、誰もが心当たりのあることだろう。



30年という歳月について、最近よく考える。(1昨日見たKUTO-10の芝居『あたらしいなみ』も30年の話だった。)17歳とその30年後。大切な「何か」をいつの間にか見失っている自分に気づく。あの頃、自分がもっともっと純粋で、でも、何も知らない真っ白な状態で、だからこそ、大切なものが何なのかをしっかりわかっていた。それを人は「若さ」という。否定的にとらえる輩もいるだろうけど、そうじゃないことはみんなが知っている。あの頃、「それ」を守るため、全力で生きていた。そんな『若葉のころ』の想いが、この映画には詰まっている。あの想いをもう一度、思い出させてくれる。あそこに僕たちを連れて行ってくれる。



ビージーズの『メロディ・フェア』だったなら、きっと拒否反応を起こしていたことだろう。B面に隠れるようにしていた『若葉のころ』がふさわしい。10代の頃、ベストワンの映画は『小さな恋のメロディ』だった。そんなことすら忘れていた。あの映画の衝撃が僕を映画の虜にしたはずだった。でも、17歳の僕はフェリーニやビスコンティに心酔し、トリュフォーやゴダールが映画だ、とうそぶいていた。もちろんあの頃一番好きだった監督はフェリーニであることに異論はない。でも、それだけではなかったはずなのだ。15歳の『小さな恋のメロディ』と20歳の『卒業』は心の中の生涯のベストワンだと今、改めて思う。(たまたま昨日読んだ本、川村元気の『四月になれば彼女は』が『卒業』を思い出させてくれた)



10代の若かった頃の想いをいつの間にか、人は忘れて、残酷にも切り捨ててしまう。しかし、そんなふうにして「くだらない大人」になった大多数の大人たちは、もう取り戻せなくなった大切なものがそこではキラキラ輝いていることに気づくことなく、疲れた顔をして惰性で毎日を過ごす。



この映画は何が大切なことなのか、思いださせてくれる。そして、それをもう一度取り戻すためには、何が必要なのかを教えてくれる。単なるノスタルジアの映画はいらない。この映画は、今を生きる子供たちのお話であり、それが30年前の子供たちと変わらないことを教える。



現代の台湾、台北の高校生たちの姿が描かれる。並行して30年前の高校生が現れる。ふたりの少女は同じ女の子が演じた。彼女たちは、17歳の私と、30年前の母だ。それぞれの初恋が描かれる。ラブストーリーである。だが、それだけではないことは今まで散々書いている。そのふたつの時代の初恋のお話と、30年後の母たちの話が同時進行する。



年を経て、時が経って、あの頃の輝きを失ってしまっても、ずっと変わらないでいるものがある。たわいもないことで笑い合っていたこと、一途に誰かを想い続けていた日々。



遠くから橋の上で4人の少女たちが語り合っている姿をずっと撮り続けるラストシーンまで(それはクレジットタイトルの背景として映されているのだけど、そんなシーンまで)スクリーンから目が離せない。そこにはあの頃の僕たちと、今の僕たちが確かにいるからだ。
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