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映画・演劇のレビュー

唐十郎演劇塾『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』

2009-11-28 23:23:19 | 演劇
 今から42年前に唐十郎が新宿の花園神社で初めて紅テントを建ててこの芝居を上演した。状況劇場の始まりである。その伝説の舞台を近大の学生たち(OB含む)が唐十郎の直接指導を受け上演する。凄いことだ。

 唐十郎演劇塾と銘打たれたこの作品は今年で3年目を迎える企画だ。僕は4年前、この企画の前身であるゼミの実習公演として上演された『少女都市からの呼び声』も見ている。あれは本当におもしろかった。あの時は、唐組の新作よりおもしろかったのではないか、とすら思ったほどだ。だからバージョンアップして演劇塾としての公演となる本作には期待も大きかったのだが、出来あがった作品は少し残念な仕上がりだった。まぁ仕方ない。

 唐さんの『腰巻きお仙』を見るのは初めてのことだ。もちろん初期の唐十郎を、リアルタイムで見ることはかなわない。まだそのころ、自分は子供だったし、唐十郎なんか知らなかったからだ。68年の花園神社で何があり、70年代初頭、状況劇場や天井桟敷がどんな戦いをしてきたのかは本の中でしか知らない。(僕がリアルタイムで状況劇場を見たのは70年代終わりになってからである。天王寺野音で見た『唐版・犬狼都市』が最初の体験だ。今でもあの時の興奮は忘れない。それは自分にとって一番大きな演劇体験のひとつだ。)でも、ドキドキするような興奮がそこにはある。お勉強でしか知らない、という意味ではこの芝居を作った学生たちと同じだ。だが、今回にメンバーには大事なものが何か足りない気がした。

 今回、その幻の舞台が唐十郎自身の演出によって現代によみがえる。(実際にはほんの少しアドバイスをした程度でしかないのだろうが)こんなにも興奮することはない(はずだった)。状況劇場が解散し、唐組として復活してからでさえもう何十年も経つ。最初の頃の唐組自体ですら、状況劇場のセルフコピーでしかなかった。今回の芝居が状況劇場のコピー以下のものにしかならなくても驚かない。しかし、ここには確かな唐十郎の今の想いが込められてあるはずだ。近大の学生たちの前で教授として立ち彼らに自分の演劇論を伝え、その薫陶を受けた学生たちが40年以上前のまだ20代の若者だった頃の唐十郎たちの野心を21世紀の今にどうよみがえらせるのか。そこから見えてくるものはなんなのか。

 それはあの頃の唐さんたちと同じようにギラギラした若い情熱が演劇なんて言う体制をたたき壊してしまう瞬間であるべきだった。なのに、この学芸会は教えられたことをただ上手にこなすだけの、まるで危険な香りのしないただの発表会でしかなかった。この作品で世界を獲ってやろうとする野望のようなもののかけらもない凡庸な作品を前にして、僕はもう芝居はいいよ、と思うしかなかった。悲しい。


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