四世鶴屋南北は、現代において、格別の思い入れを呼び起こす狂言作者だ。
多くの知識人や数奇者たちが、「南北の道化性」や「南北の批判精神」などについて語っている。
パズルのように入り組んだ南北的【世界】や【趣向】を解きほぐすのも実に楽しいことだろうし、南北が造形した「悪を悪と思わない」勁さと残酷さと美しさを、耽美的に語るのも楽しいだろう。
また、「傾き者」たちの反骨反逆をその作風に見出したり、諧謔味を大人として味わうのも、実に興味深い。
南北は、「紺屋」の出であったとされている。
上方において、その出自を賤民とみなす歴史があったために、南北がしきりに再評価された時代、彼の立場を「最底辺・最下層からの、痛烈な体制批判」と捉える視点もあった。
「肉体性の復権」といった時代の機運ともあいまって、「反体制」なる政治的文脈の中、南北の【生世話】で描かれた民衆性のようなものが特に尊ばれた傾向もあったことを記憶している。
だが、私はどうも、そのような思い入れの勝った南北イメージには、昔から抵抗があった。
多くの評論家その他にとって、南北は当然「ロマン」だと思うのだが、その「ロマン」が文学的にすぎる、あるいは政治的にすぎるのではないか?と思えて仕方がなかったのである。
私にとっての南北は、まず滅多に出現しない、凄腕の商売人である。
話題を呼ぶ芝居をかけ、今まで見たことも聞いたこともないような道具を考案し、見世場をこの上もなく刺激的にして皆を驚かせ、若手役者を大いに売り出し、役者絵などの芝居周辺グッズのセールスをも上げ、芝居小屋では見物を存分に満足納得させて、お腹一杯で帰す…
その全てに特異な才能を発揮した、【必殺仕掛け人】。
このような南北イメージは、どちらかというと、天才的イベントプランナーである。
そもそも、歌舞伎は商売だったのだ。
商売である以上、芝居づくりとは「商品づくり」と同義である。
その上、近世の「芝居づくり」は、仕込みの段取り全てがおおむね自動化していた。
熟練の製造ラインにある一定材料を乗せると、最終ラインでポンと芝居になって出てくる…というくらいにだ。
そうでなければ、あんなに短い時間で次々と芝居が打てる訳がないだろう。
芝居は、乱作乱造されている消費財、その時々に受ければそれでいい消耗品だったのだ。
そう考えて、最終商品形態がたまたま舞台造形であるような現在の職種をあえて考えると、広義のイベントプランナーや演出家あたりになるんじゃないか、と思う。
大衆的イベントの種類が少なかった近世において、芝居は確かに盛大なイベントだったに違いない。
この仕事人イメージは、南北狂言に、現代から見た過剰なまでの批判精神を盛り込むことを許さない気がする。
もちろん、南北の仕事を、現代的意味から評価するという点では「正しい」。
しかし、私にとって関心がある南北は、今の視点から見た偉大さでもなく、一億総評論家となった現代日本に通用する「鋭さ」にあるのでもない。
見出したいのは、仕掛け人南北ならではの、大衆受けする「見世場」創造力と演出力、いわば、世間的に当たるものを直感的に察知するマーケッター的感性や、それを受けて巧みに商品づくりをする熟練技術の方なのである。
南北の狂言のどこに、江戸の人々を熱狂させるものがあったのか?
私は、そこが一番知りたいし、わかりたいのだ。
近世において歌舞伎は、マス向けセールスをそそのかすための、巨大なメディアでもあった。
【都市の欲望】に直接働きかけて、人々を一時でも、その気にさせ消費させた【誘惑装置】だったのだ。
それゆえ、大当たりした芝居の背景には、その当時の【時代精神】が透けて見えるのだと私は信じている。
同様に、まるで当たらなかった芝居にもやはり、【時代精神】が見てとれるだろう。
狂言作者や役者の偉大さは、彼ら自身の偉大さによるのではない。
彼らの資質を求め、メジャーにしていった人々の欲望の大きさに準じているのである。
だが、その欲望は現代と同質ではなかった。社会体制が異なる以上、違って当然なのである。
「棺桶や墓場ばかり描く」露悪的な嗜好は一部の江戸者にはやや呆れられていたようだが、南北は役者名以前に、まず狂言作者の名前でその芝居が知られるほどの人気を誇っていた。
それでは、「個人」が確立した今の時代において、一番南北的な資質を持った作家とは、果たして誰だろう?
馬鹿げた問いだが、現代と近世とをシミュレーションするための方便として、あえて考えてみる。
私は、なんとなく、楳図かずおやステファン(スティーブン)・キングをイメージする。
いずれも怪奇漫画や怪奇小説で一世を風靡したベストセラー作家だが、二人の共通点は「描かれた深刻な恐怖の背後に、必ず、けたたましい笑いがある」ことである。
楳図は、恐怖漫画と同時に『まことちゃん』という、なんと位置づけていいのかよくわからないギャグ漫画も描いているが、『まことちゃん』が子どもに大人気となったのは、尾籠ながらあの「びちぐそ」マークゆえだった。
またキングは、最新作のアイディアが浮かぶと真っ先に家族に話して聞かせるらしいのだが、その際に家族は大笑いして涙まで浮かべるとか。彼のホラーファンタジーは、まず抱腹絶倒のギャグとして生まれるのだ。
この、身の毛がよだつ怖さとオコなる可笑しさとが同居しているような感覚、なおかつ、それらの交じり合いがごく普通の人誰にでもわかるという一般性・大衆性が、あの南北にもあったのだと私は感じている。
すっかり馴染んだ卑近さ・卑小さでありながら、十分に根源的なものでもある、そんなものを不意打ちを食らったように見せつける鮮やかさと、そこからもたらされる、ほとんど笑いたくなるような驚き。
それらを、情緒的にではなく、手品のように披露して見物を沸かせるのが、南北はうんと好きだったろう。
ともかくびっくりさせたかったのだろうし、隙をつきたかったのだ。
背後には、冗談好きでイタズラ好き、ちょっぴり意地の悪い、してやったり…な子どもっぽい顔が覗く。
たとえば南北の芝居に、江戸末期に起こった落語味を感じるのは、噺家の「目線の近さ」「現象に対するさばけ方」のようなもの、総じての人の悪さが、南北の持ち味とどこかで少し似ている気がするためである。
そうであれば、南北をあまりに理想化して持ち上げるのは、まるっきりの野暮であろう。
草葉の陰で身を縮めてしまうような気がする。
一方、偉大なる大南北の『盟三五大切』はその凝り性ぶりからすると、案外こざっぱりとした狂言だ。
→ 『五大力恋緘』と『盟三五大切』の間
そりゃあ、【ご趣向の裏読み】をしようと思えばいくらでもできるだろうが、熟練の職人が手先で書き上げた優れた凡作と考える方が、私にはより自然である。
だからこそ初演以来、長くお蔵入りしてしまったのだろう。
にも関わらず、四月の御園座陽春花形歌舞伎での『盟三五大切』は、出色の名舞台だった。
芝居好きの友人からの評判も大変によく、ここまで皆が皆、一様に「よかった!」という感想を持つことは滅多にないのだから、やっぱり名舞台だったのだろう。
そうなった訳のようなものは、熱に浮かされたように書いた感想でまとめてはみたものの、根が貪婪な私には一つだけ、なかなか腑に落ちない点があったのだ。
「このわかりやすさは、南北が狙ったものなのか?」
「それとも、三津五郎が源五兵衛を演じたことで、期せずして生じてしまったことなのか?」
ということである。
南北が生きた時代に戻れない以上、答えなんて出はしないが、そのようなことを考えるのもまた芝居の楽しみ…
並木五瓶の『五大力恋緘』に描かれた、野暮天とはいえ、男気ときっぱり爽やかな態度が好ましかった源五兵衛とは異なり、そのぶまさや単純さを「侍」身分、それも浪人者という存在感についてまわる変さ・奇妙さを主役化して、見物のお慰みに仕立てたかったろう『盟三五大切』での南北のご趣向は、三津五郎による源五兵衛を見ていると、まことにわかりやすかった。
三津五郎が演じた源五兵衛が、これまで見てきたどの役者の姿よりも、人間的に見えたためだ。
田舎侍源五兵衛の生来の凡庸さ、察しの悪さ、機微のわからなさ、それらひっくるめた堅物さ。
武家のおっとりとした格を保ちつつも、三五郎の美人局計略にあっさりつけ入られてしまう隙のある様。
身も世もなく、小万という芸者に、男として惚れ抜いてしまう単純さ、あるいは純朴さ、または純粋さ。
だからこそ、小万の裏切りを知って一線を越えてしまう、怒りの強さと怨みの執念深さ。
そして、小万への妄執以外何一つ持たない、どこの誰でもない、殺人鬼となってからの閉塞感と哀れさ。
そんな寒々しい光景の中、ただ一つの平安として君臨する、小万への消しがたい恋情…
それらが、たっぷりとした思い入れや、いかにもにと聞かせる見せる科白や表情にではなく、ただの何気ない佇まいや武家言葉ゆえの科白の粒立ち方、花道の出入りでのいちいちの姿や様相で、描写され尽くされている。
すべて、三津五郎の歌舞伎的表現の質の高さでしか表現できない、素晴らしい【歌舞伎の形】だった。
と共に、そのような源五兵衛のどの姿にも、現代人でも十分辿れる人間味があったのである!
存分に舞台に集中し、酔え、共感できた私なのであるが、以前見た幸四郎の源五兵衛もまた、まったく別の意味で私には大きな衝撃だっただけに、三津五郎の源五兵衛だけを「よい」とは言い切れなかった。
『盟三五大切』初演時の五代目幸四郎の源五兵衛像は、九代目幸四郎の方が近いのではないか?
芝居の興奮から時間がたってみると、日に日にそういう思いが増してきたのだ。
現幸四郎の源五兵衛は、最初からまったく普通ではなかった。かなり、壊れていた。異様だった。
その姿に「狂気」を重ねるのは現代的な説明手法だが、南北の狙った源五兵衛という人物像から考えると、ここまで見物の理解の外に存在する男は、文字通り「変」で「なんか怖い」である。自分たちとはまるで違うと思う。
であれば、幸四郎の源五兵衛は、近世的には正しい見せ方であったのかも知れない…
鼻高幸四郎の得意とした役などを想像するにつけ「怖さ」が必須だったことはわかるし、それを現代的意味合いで舞台に再現するとなれば、今では「どこか、狂っている様」や「恐ろしいまでの虚無が漂う様」で見せるしかないだろうから…
御園座の舞台に圧倒された私ではあるものの、単なる考えすぎとはいえ、混乱が生じてきてしまったのである。
では、あの名舞台をどう位置づけるのか?
三津五郎の演じ方と幸四郎の演じ方とを、それぞれどう評価すべきか?
次に、これらのことを自分なりに検証してみたい。
<なお、このブログのカテゴリー別総目次は ■2007年版 ■2006年版 ■2005年版>
多くの知識人や数奇者たちが、「南北の道化性」や「南北の批判精神」などについて語っている。
パズルのように入り組んだ南北的【世界】や【趣向】を解きほぐすのも実に楽しいことだろうし、南北が造形した「悪を悪と思わない」勁さと残酷さと美しさを、耽美的に語るのも楽しいだろう。
また、「傾き者」たちの反骨反逆をその作風に見出したり、諧謔味を大人として味わうのも、実に興味深い。
南北は、「紺屋」の出であったとされている。
上方において、その出自を賤民とみなす歴史があったために、南北がしきりに再評価された時代、彼の立場を「最底辺・最下層からの、痛烈な体制批判」と捉える視点もあった。
「肉体性の復権」といった時代の機運ともあいまって、「反体制」なる政治的文脈の中、南北の【生世話】で描かれた民衆性のようなものが特に尊ばれた傾向もあったことを記憶している。
だが、私はどうも、そのような思い入れの勝った南北イメージには、昔から抵抗があった。
多くの評論家その他にとって、南北は当然「ロマン」だと思うのだが、その「ロマン」が文学的にすぎる、あるいは政治的にすぎるのではないか?と思えて仕方がなかったのである。
私にとっての南北は、まず滅多に出現しない、凄腕の商売人である。
話題を呼ぶ芝居をかけ、今まで見たことも聞いたこともないような道具を考案し、見世場をこの上もなく刺激的にして皆を驚かせ、若手役者を大いに売り出し、役者絵などの芝居周辺グッズのセールスをも上げ、芝居小屋では見物を存分に満足納得させて、お腹一杯で帰す…
その全てに特異な才能を発揮した、【必殺仕掛け人】。
このような南北イメージは、どちらかというと、天才的イベントプランナーである。
そもそも、歌舞伎は商売だったのだ。
商売である以上、芝居づくりとは「商品づくり」と同義である。
その上、近世の「芝居づくり」は、仕込みの段取り全てがおおむね自動化していた。
熟練の製造ラインにある一定材料を乗せると、最終ラインでポンと芝居になって出てくる…というくらいにだ。
そうでなければ、あんなに短い時間で次々と芝居が打てる訳がないだろう。
芝居は、乱作乱造されている消費財、その時々に受ければそれでいい消耗品だったのだ。
そう考えて、最終商品形態がたまたま舞台造形であるような現在の職種をあえて考えると、広義のイベントプランナーや演出家あたりになるんじゃないか、と思う。
大衆的イベントの種類が少なかった近世において、芝居は確かに盛大なイベントだったに違いない。
この仕事人イメージは、南北狂言に、現代から見た過剰なまでの批判精神を盛り込むことを許さない気がする。
もちろん、南北の仕事を、現代的意味から評価するという点では「正しい」。
しかし、私にとって関心がある南北は、今の視点から見た偉大さでもなく、一億総評論家となった現代日本に通用する「鋭さ」にあるのでもない。
見出したいのは、仕掛け人南北ならではの、大衆受けする「見世場」創造力と演出力、いわば、世間的に当たるものを直感的に察知するマーケッター的感性や、それを受けて巧みに商品づくりをする熟練技術の方なのである。
南北の狂言のどこに、江戸の人々を熱狂させるものがあったのか?
私は、そこが一番知りたいし、わかりたいのだ。
近世において歌舞伎は、マス向けセールスをそそのかすための、巨大なメディアでもあった。
【都市の欲望】に直接働きかけて、人々を一時でも、その気にさせ消費させた【誘惑装置】だったのだ。
それゆえ、大当たりした芝居の背景には、その当時の【時代精神】が透けて見えるのだと私は信じている。
同様に、まるで当たらなかった芝居にもやはり、【時代精神】が見てとれるだろう。
狂言作者や役者の偉大さは、彼ら自身の偉大さによるのではない。
彼らの資質を求め、メジャーにしていった人々の欲望の大きさに準じているのである。
だが、その欲望は現代と同質ではなかった。社会体制が異なる以上、違って当然なのである。
「棺桶や墓場ばかり描く」露悪的な嗜好は一部の江戸者にはやや呆れられていたようだが、南北は役者名以前に、まず狂言作者の名前でその芝居が知られるほどの人気を誇っていた。
それでは、「個人」が確立した今の時代において、一番南北的な資質を持った作家とは、果たして誰だろう?
馬鹿げた問いだが、現代と近世とをシミュレーションするための方便として、あえて考えてみる。
私は、なんとなく、楳図かずおやステファン(スティーブン)・キングをイメージする。
いずれも怪奇漫画や怪奇小説で一世を風靡したベストセラー作家だが、二人の共通点は「描かれた深刻な恐怖の背後に、必ず、けたたましい笑いがある」ことである。
楳図は、恐怖漫画と同時に『まことちゃん』という、なんと位置づけていいのかよくわからないギャグ漫画も描いているが、『まことちゃん』が子どもに大人気となったのは、尾籠ながらあの「びちぐそ」マークゆえだった。
またキングは、最新作のアイディアが浮かぶと真っ先に家族に話して聞かせるらしいのだが、その際に家族は大笑いして涙まで浮かべるとか。彼のホラーファンタジーは、まず抱腹絶倒のギャグとして生まれるのだ。
この、身の毛がよだつ怖さとオコなる可笑しさとが同居しているような感覚、なおかつ、それらの交じり合いがごく普通の人誰にでもわかるという一般性・大衆性が、あの南北にもあったのだと私は感じている。
すっかり馴染んだ卑近さ・卑小さでありながら、十分に根源的なものでもある、そんなものを不意打ちを食らったように見せつける鮮やかさと、そこからもたらされる、ほとんど笑いたくなるような驚き。
それらを、情緒的にではなく、手品のように披露して見物を沸かせるのが、南北はうんと好きだったろう。
ともかくびっくりさせたかったのだろうし、隙をつきたかったのだ。
背後には、冗談好きでイタズラ好き、ちょっぴり意地の悪い、してやったり…な子どもっぽい顔が覗く。
たとえば南北の芝居に、江戸末期に起こった落語味を感じるのは、噺家の「目線の近さ」「現象に対するさばけ方」のようなもの、総じての人の悪さが、南北の持ち味とどこかで少し似ている気がするためである。
そうであれば、南北をあまりに理想化して持ち上げるのは、まるっきりの野暮であろう。
草葉の陰で身を縮めてしまうような気がする。
一方、偉大なる大南北の『盟三五大切』はその凝り性ぶりからすると、案外こざっぱりとした狂言だ。
→ 『五大力恋緘』と『盟三五大切』の間
そりゃあ、【ご趣向の裏読み】をしようと思えばいくらでもできるだろうが、熟練の職人が手先で書き上げた優れた凡作と考える方が、私にはより自然である。
だからこそ初演以来、長くお蔵入りしてしまったのだろう。
にも関わらず、四月の御園座陽春花形歌舞伎での『盟三五大切』は、出色の名舞台だった。
芝居好きの友人からの評判も大変によく、ここまで皆が皆、一様に「よかった!」という感想を持つことは滅多にないのだから、やっぱり名舞台だったのだろう。
そうなった訳のようなものは、熱に浮かされたように書いた感想でまとめてはみたものの、根が貪婪な私には一つだけ、なかなか腑に落ちない点があったのだ。
「このわかりやすさは、南北が狙ったものなのか?」
「それとも、三津五郎が源五兵衛を演じたことで、期せずして生じてしまったことなのか?」
ということである。
南北が生きた時代に戻れない以上、答えなんて出はしないが、そのようなことを考えるのもまた芝居の楽しみ…
並木五瓶の『五大力恋緘』に描かれた、野暮天とはいえ、男気ときっぱり爽やかな態度が好ましかった源五兵衛とは異なり、そのぶまさや単純さを「侍」身分、それも浪人者という存在感についてまわる変さ・奇妙さを主役化して、見物のお慰みに仕立てたかったろう『盟三五大切』での南北のご趣向は、三津五郎による源五兵衛を見ていると、まことにわかりやすかった。
三津五郎が演じた源五兵衛が、これまで見てきたどの役者の姿よりも、人間的に見えたためだ。
田舎侍源五兵衛の生来の凡庸さ、察しの悪さ、機微のわからなさ、それらひっくるめた堅物さ。
武家のおっとりとした格を保ちつつも、三五郎の美人局計略にあっさりつけ入られてしまう隙のある様。
身も世もなく、小万という芸者に、男として惚れ抜いてしまう単純さ、あるいは純朴さ、または純粋さ。
だからこそ、小万の裏切りを知って一線を越えてしまう、怒りの強さと怨みの執念深さ。
そして、小万への妄執以外何一つ持たない、どこの誰でもない、殺人鬼となってからの閉塞感と哀れさ。
そんな寒々しい光景の中、ただ一つの平安として君臨する、小万への消しがたい恋情…
それらが、たっぷりとした思い入れや、いかにもにと聞かせる見せる科白や表情にではなく、ただの何気ない佇まいや武家言葉ゆえの科白の粒立ち方、花道の出入りでのいちいちの姿や様相で、描写され尽くされている。
すべて、三津五郎の歌舞伎的表現の質の高さでしか表現できない、素晴らしい【歌舞伎の形】だった。
と共に、そのような源五兵衛のどの姿にも、現代人でも十分辿れる人間味があったのである!
存分に舞台に集中し、酔え、共感できた私なのであるが、以前見た幸四郎の源五兵衛もまた、まったく別の意味で私には大きな衝撃だっただけに、三津五郎の源五兵衛だけを「よい」とは言い切れなかった。
『盟三五大切』初演時の五代目幸四郎の源五兵衛像は、九代目幸四郎の方が近いのではないか?
芝居の興奮から時間がたってみると、日に日にそういう思いが増してきたのだ。
現幸四郎の源五兵衛は、最初からまったく普通ではなかった。かなり、壊れていた。異様だった。
その姿に「狂気」を重ねるのは現代的な説明手法だが、南北の狙った源五兵衛という人物像から考えると、ここまで見物の理解の外に存在する男は、文字通り「変」で「なんか怖い」である。自分たちとはまるで違うと思う。
であれば、幸四郎の源五兵衛は、近世的には正しい見せ方であったのかも知れない…
鼻高幸四郎の得意とした役などを想像するにつけ「怖さ」が必須だったことはわかるし、それを現代的意味合いで舞台に再現するとなれば、今では「どこか、狂っている様」や「恐ろしいまでの虚無が漂う様」で見せるしかないだろうから…
御園座の舞台に圧倒された私ではあるものの、単なる考えすぎとはいえ、混乱が生じてきてしまったのである。
では、あの名舞台をどう位置づけるのか?
三津五郎の演じ方と幸四郎の演じ方とを、それぞれどう評価すべきか?
次に、これらのことを自分なりに検証してみたい。
<なお、このブログのカテゴリー別総目次は ■2007年版 ■2006年版 ■2005年版>





