ポンタの菜園日記

千草台園芸サークルの萩台農園で、気ままな野菜作りの日々をつづった日記です。

ポンタの東北紀行 第三回 (平泉・中尊寺)

2012年01月31日 | 東北紀行

<ポンタの東北紀行 第三回(平泉・中尊寺)>

午前中に気仙沼の被災地を車で回ってもらい、今日は仙台に夕方までに入ればいい状態になった。途中一ノ関を通るので被災地で亡くなった方のご冥福を祈る意味も含めて、急遽中尊寺にお参りに行くことにした。

一ノ関駅からはJR東北本線で盛岡方面に2駅の平泉駅に行くか、一ノ関駅前からタクシーでも3000円ぐらいでいける。

 

 

 

  [世界遺産認定を受けて、新しく改装したJR平泉駅。]

 

 

 

新しくなった平泉駅前からは徒歩で約20分、市内循環バスで10分ほどで参道の入口に着く。参道の登り口から200mほどは登攀用のロープがあるほど急な坂道で前日降った雪が残っていて結構大変だった。

 

 

 

   [中尊寺の参道入り口]

 

 

 

 

 

 

   [足の悪い人などのために、車で急坂の終わる地点までいけるようになっている。] 

 

 

 

最初の急坂が終われば、あとはそれほど坂はきつくない。参道の途中にいくつかお堂があり、せっかくなので一つ一つお参りしながら本堂に向かう。

 

 

 

 [急坂を過ぎれば、なだらかな杉木立の参道が続く…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [途中にある見晴らし台からは、素晴らしい景色が広がっていた。今日は風もなく、あまり寒さは感じない。]

 

 

 

 

 

 

 [雪の中の弁慶堂…風情があっていい感じでした。]

 

 

 

 

 

いくつかのお堂を越えていくと、右手に中尊寺本堂の門が現れる。門をくぐると松の前庭を携えた立派な本堂が現れた。

 

 

 

 [中尊寺本堂の正門]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [力強い屋根の形と松の優しい中庭がマッチして、非常に美しい本堂だ。震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りしてきました。]

 

 

 

 

 

 

 

 [同じく中庭には獅子脅しと鐘つき堂がバランス良く配置されていた。]

 

 

 

本堂を過ぎて、峰薬師堂・不動堂・大日堂・阿弥陀堂などを回ると有名な金色堂がようやく現れる。ただ、外から見えるのはコンクリート製の覆堂で本当の金色堂は覆堂の中にあるため外からは見ることはできない。

 

 

 

 [金色堂は撮影不可なので写真はないが、上屋根を除いてすべて金箔と瑠璃で装飾された仏像とお堂はさすがに美しい。]

 

 

金色堂の隣には中尊寺と縁の深い松尾芭蕉の銅像があり、その奥に旧来金色堂を覆っていた木造の旧覆堂があった。

 

 

 

 [現在のコンクリートの覆堂よりも断然風情があっていいのになぁ…などと思うのはポンタだけか…(^_^;)]

 

 

 

 

 

ここで参道はUターンしてもとに戻ると、そこには重要文化財の立派な野外能楽殿を持っている白山神社の鳥居が目に入って来た。

 

 

 [国の重文になる前までは、能の名家野村一門の練習場としても使われていたという。]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  [現在でも年に1回、この屋外舞台で野村一門の能が演じられているとの事。]

 

 

 

 

 

 

  [150年以上の歴史の重みを感じる舞台だ。]

 

 

 

 

白山神社にもお参りをして中尊寺の参道の戻ると、ちょうど金色堂の前にあたる中庭のような場所は雪景色の中庭のようで本当にきれいだった。

 

 

 

 [石灯籠に雪が積もり、立派な和風庭園。本当にいいタイミングできたなぁ…]

 

 

 

帰り道の参道脇にお蕎麦屋さんを見つけたので、さっそく門前ソバ?をいただいて、仙台に向かうことにした。

中尊寺は初めて訪れたが、杉木立の参道も威厳があり、風光明媚で立派なお堂が沢山あるなかなかいいお寺だった。ポンタ的には金色堂よりも本堂がやはり一番良かったかな。(^O^)/

 


ポンタの東北紀行 第二回 (気仙沼 2)

2012年01月30日 | 東北紀行

<ポンタの東北紀行 第二回(気仙沼 2)>

気仙沼の二日目は朝から晴れて、きれいな日の出を見ることができた。

 

 

 

 [ホテルから見た気仙沼港の日の出。大島の亀山の方角から日が昇る。]

 

 

 

せっかく早起きしたので、震災から復旧したばかりの露天風呂に行くことにした。このホテルは地元の人達にも500円で温泉を解放しており、温泉のロビーには仮設の人達など沢山の人のお礼の言葉が張り出してあった。

 

 

  [眼下に港が広がる露天風呂。地元の人達も時々ここで心身ともに癒されているのだろうなぁ…復興支援の形には本当にいろいろな物がある…と、感慨にふけりながらのいいお湯でした。]

 

 

 

食事を済ませ、迎えに来てくれた知人とまず南気仙沼に向かう。この地区はほぼ全域が平地であったため、津波に大きく呑み込まれ、地元の人でも南気仙沼の駅がどこにあったのかさえわからない位の甚大な被害を受けた。

 

 

 

 [南気仙沼地区に入ると、そこにはどこまでも何も無かった…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  [転々と残る鉄骨だけの建物が、津波のとてつもないパワーを感じさせる…]

 

 

 

 

 

 

  [言葉が、出ない…]

 

 

 

 

 

 

 [震災から10ヶ月。津波に残された海水に小魚が繁殖したのか…渡り鳥がえさをついばんでいた…衝撃的だ]

 

 

 

続いて、港の北側に当たる浜町・錦町地区に向かう。ここは鹿折川沿いの細長い三角州の形をしているため、奥に向かって津波にくさびを打ち込まれたように、やはり広い範囲が被災した。

 

 

 

  [ 「鹿折唐桑駅」のバス亭には、電車ではなく大型船が横たわっていた。 ]

 

 

 

 

 

 

  [水産加工工場が沢山あった地域だが、大型の建物以外はほとんど流され、漁船が打ち上げられたままだった。]

 

 

 

 

 

 

 [一軒だけ取り残されたように残っていた民家。しっかりしたコンクリートの土台が、津波に耐えたようだ。]

 

 

 

 

 

 

 [家はすべて流されてしまった中で、真っ白な土蔵だけが残っていた。この周辺も砕石を積み上げて道を作っていたが、未舗装のまま。]

 

 

 

ふと、被災地の写真を取る枚数が時間の経過とともに減っていくのに気が付いた。どこにカメラを向けても、空き地・瓦礫・壊れた建物…とファインダーのなかの風景が同じというのが理由ではない。

元の街並みをまったく知らないポンタでも、その場所で生活していた人達の様々な名残り・吹き抜ける風・匂いなどを通して目の前の見えない街並みが五感で感じられるような奇妙な感覚を味わっていた。

震災当時の瓦礫の山はだいぶ片付いて、基礎だけの空き地が目立つ。復興はまだまだ先の事かもしれないが、遠い昔ただの草原や空き地だったこの地に人々は家を建て町を作り上げた…またいつの日か、きっと人間はこの地に沢山の人が行きかう街並みを作り上げるだろう…人間てすごいなぁ…などという感慨にふけっていたためだ。

 


ポンタの東北紀行 第一回 (気仙沼 1)

2012年01月27日 | 東北紀行

1月22日~25日にわたって、東北方面に一人旅に行ってきました。

気仙沼、仙台、松島、塩釜、浦戸諸島と昨年の震災で大きな被害を受けた地域や、新たに世界遺産認定を受けた平泉・中尊寺まで足を延ばしての旅になりました。

大震災の被災地の現状やこれから東北旅行に行かれる方の参考になればと、簡単な紀行文と写真を気の向くまま3~4回に分けて掲載したいと思います。

<ポンタの東北紀行 第一回(気仙沼 1)>

1月22日(日)小雨の千葉を出発。新幹線で宇都宮を過ぎると、雪景色が徐々に濃さを増していく。岩手県一ノ関駅で新幹線を降り2両編成の大船渡線に乗換て約1時間半、手前の新月(にいつき)駅まであった雪がいつの間にか消えて気仙沼駅に到着。

大船渡線と言っても、気仙沼から大船渡間は震災の被害で線路はまだ寸断されており、気仙沼が終着駅となっている。

 

 

 

 [駅付近は高台にあるため津波の直接被害はないようだった。]  

 

 

 

 

気仙沼港を見降ろす高台にある気仙沼プラザホテルに入る。このホテルは高台に位置しているため津波の被害にあわず、震災直後は避難所として提供された。5月に一部一般営業を再開しているが、その後も主に復興業務の作業員やボランティアの人達の宿泊所となっているようだ。部屋の窓から気仙沼港が一望出来た。

 

 

 

 [カーフェリーが航行して平和な港の日常風景に見えるが…真ん中の島のような神社の右手奥は、建物が津波で流されて空き地が目立つ。]

 

 

 

夕暮れまで少し時間があったので、窓から見えた気仙沼港に足を運ぶことにした。

ホテルを出て歩き始めるとそこには震災の爪痕がいたるところに残っていた。道路に溜まった砂、折れた街灯、波打つ敷石、曲がりくねったガードレール…港についても桟橋はほとんど水没したままだった。

 

 

 

 [地盤沈下で、水面が岸壁と同じ高さだ。こんなに危険な場所なのに、立ち入り禁止の表示やロープは一切張られていない…これは市街地に入っても同じだった…そう、ロープを張るなら町中に張らないといけないからだ…。]  

 

 

 

 

 

 [以前の桟橋はすべて水没したまま。被害のひどかった南気仙沼地区から移設された急造のフェリー桟橋だけが稼働しているようだった。]  

 

 

 

 

 

 

 [気仙沼港の象徴であったであろう「港町ブルース」のステンレススチールと石でできた碑も無残な姿に。]  

 

 

 

港の前に広がる商店街や繁華街に足を踏み入れると、さらに悲惨な光景が目に飛び込んでくる。遠目で見たときは津波に耐えた街並みが残っているいように見えたが、近くで見る限り人の住めるような建物はほとんど無いようだった。

 

 

  

 [気仙沼港の市街地…]  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 [地盤沈下で町全体が沈んでしまったため、元の道路の上に砕石を盛って50㎝~1mほど高くし、車が通れるようにしてあった。]  

 

 

 

写真はせいぜい90度程度の範囲しか写らないが、人の目は150度位までの広い範囲が一気に目に飛び込んでくる。「ゴーストタウン」という言葉で更迭された復興相がいたが、その言葉以外の言葉が見つからない…

ただ、街中は悲惨な風景ばかりではなかった。飲食店が集まった気仙沼復興市場や昨年年末にオープンしたいろいろな商店が集まった復興商店街など、港町の復興が一歩一歩始まっていた。

 

 

 

 [復興の象徴として地元の飲食店の人達が集まって真っ先に作られた復興市場。何も無くなってしまった港町で、地元の人はもちろん、工事関係者や旅行者の憩いの場になっている。]  

 

 

 

 

 

 [復興商店街には、床屋さんや肉屋さん、ピアノ教室などいろいろなお店が50件ほど参加しているという。ポンタもコロッケ屋さんでお勧めのカボチャコロッケを揚げてもらい、コーヒーと一緒にいただいた。美味しかったです。]  

 

 

夕暮れが迫りあたりが徐々に暗くなってきた時、町中で一か所明りが灯ったところがあった。明りに引き寄せられるように歩いて行くと、営業中の旗がたなびく一軒の食堂が目に入った。ここにも頑張っている人がいる…少しだけホッとした気持ちになり食堂に入る。

 

 

 [ 「食堂 やまと」 さんは、周囲のビルのおかげで比較的被害が少なかったため急いで改築し、町の復興を願って営業を再開したという。気仙沼名物のふかひれラーメンがとても美味しく、心まで温かくなった。]  

 

 

 

ホテルへの帰り道に再び港を通ると、ほとんど街灯が無い中でカーフェリーの明りだけが眩しいほどに輝いていた。

 

 

 

 [一瞬きれいな夜景写真だが、手前の折れ曲がった手すりが痛々しい。]  

 

 

 

明日は地元の知人が気仙沼市内でも被害の大きかった南気仙沼や北側の浜町方面を案内してくれる予定だが、この1~2時間でもうポンタの胸はいっぱいになってしまっている。果たしてどこまで正視できるか…


菜園日記 Vol.267   1月 14日「農閑期…ネギとほうれん草などを収穫」

2012年01月14日 | 2012年 アーカイブ

<晴れ時々曇り>

今日は今年2回目の畑への出勤?。この時期はポンタ菜園も農閑期で特に作業らしいものもなく、台所の要請に応じて収穫することぐらいだ。

畑に来てみると、年が明けてから寒さの厳しい日があったためイチゴ苗の葉が真っ赤に紅葉しているのが目についた。

 

 

 

  [イチゴの冬葉はこのまま枯れていくが、中央部には早くも新葉が顔を出しはじめている。]

 

 

 

続いて春キャベツの様子を見ると、大きさはあまり変わっていないが寒さの中でしっかりと頑張っているようだ。

 

 

 

 [このところの寒さで成長が止まっているようだが、少しでも春の気配が感じられれば一気に成長してくれるだろう。]

 

 

ビニールハウスのほうれん草は…またひとまわり本葉が育っていた。

 

 

 

 [そろそろ少しは間引いたほうがいいのかなぁ…。]

 

 

 

最後に今日も目的のネギ、ほうれん草、正月菜を収穫。年明けからの寒さと大雪で野菜類はかなり高騰しているが、南国千葉にあるポンタ菜園ではこの時期でも葉物野菜が収穫できるからうれしい。(^O^)/

 

 

 

 [ほうれん草は霜があたって、肉厚で甘みがある。ネギも良く育ってくれている。]

 

 

 

冷たい北風が吹いてきたようなので、早々に畑をひきあげることにする。

しばらくはこんな調子で、台所の必要に応じて収穫する日々が続く…

(^O^)/


菜園日記 Vol.266   1月 5日「今年の農作業始め」

2012年01月05日 | 2012年 アーカイブ

<晴れ>

明けまして おめでとうございます!

今年も「ポンタの菜園日記」をよろしくお願いいたします。 (^O^)/

 

穏やかな冬晴れのもと今年初の農作業に向かう。今日は風もなく霜も降りておらず、絶好の農作業日和だ。

今日初めて気が付いたが、入口の門柱の看板が新しくなっていた。ポンタ菜園のある萩台農園も土の目立つ冬の風景が広がる。

 

 

 

[新しくなったのは、サークル名の看板だ。]

 

 

 

 

 

 

 

  [澄んだ空気で、青い空が眩しいほどきれいに広がっている。(^-^)]

 

 

今日の農作業は、ほうれん草や小松菜に防鳥ネットをかぶせる作業だ。例年年が明けるとともに大量の鳥がやってきて、放っておくとあっという間に花野菜や葉物野菜の葉を食べつくされてしまう…(^_^;)

 

 

 

[生育初期に掛けていた防虫ネットを、防鳥ネットとしてもう一度掛けておく。]

 

 

 

ビニールトンネル何のほうれん草の生育も今のところ順調のようだ。

 

 

 

[ビニールトンネル内は外とはだいぶ温度が違う。]

 

 

 

最後に大根、里芋、ニンジン、ネギ、スティックブロッコリーを収穫。今年の農作業始めを終える。

今年はみんなが笑顔になるような年になるといいですね。(^O^)/

ポンタ