スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデン在住、今は日本在住。雑記・スウェーデンのニュースなど
*情報はあくまで当時のものです。

硫黄島のこと

2016-12-10 01:00:54 | 考えてみたこと
硫黄島と言えば、第二次世界大戦でも屈指の激戦地である。第二次世界大戦末期、小さな島を巡って日米両軍が死闘を繰り広げた。補給不足、資材不足などの悪条件が重なる中で日本軍は「島の地下にトンネルを張り巡らせて陣地を結び、要塞化する」という戦法をとって善戦し、アメリカ軍に大きなダメージを与えた。「硫黄島からの手紙」など、映画されたものも多いのでご覧になられたし。
Wikipedia「硫黄島の戦い」

さて、ここで「何でアメリカ軍はこんな小さな島に全力を尽くして攻撃をかけたのか?」が問題。答は硫黄島にあった飛行場である。
当時始まっていた日本の本土空襲に向かったのはB-29などの大型爆撃機であったが、その出撃基地はサイパン島やグアム島であった。この距離では護衛につく戦闘機が同行できなかった。当時のアメリカ軍戦闘機の燃料タンクではとてもそんな遠距離は飛べなかったのだ。日本軍は「屠龍」「月光」などの大型戦闘機に斜め上方に傾けた機関銃を据え付けて対抗した。B-29の後方、下側にもぐり込んで並行に飛びながら機関銃を撃ち込む作戦で、これは爆撃機の損害を増加させた。これら日本軍の迎撃戦闘機を追い払うためにはアメリカ軍も護衛戦闘機をつける必要があった。東京は硫黄島からなら1000km程度、ここからなら戦闘機の行動半径内であった。
Wikipedia「二式複座戦闘機」
またB-29は高性能の爆撃機であったが、大急ぎで量産体制に入ったために性能に不備を抱えていた。特に問題だったのがエンジンのオーバーヒート癖で、パイロットの間では3つのエンジンでどれだけの距離を飛べたか(本来は4つエンジンがあるが、オーバーヒートで1つ止まってしまうことはよくあった)を自慢するものもいたという。東京を爆撃に行くB-29が空中で故障したとき、緊急避難的に着陸する中継基地がどうしても必要であった。
Wikipedia「B-29」
この2つが硫黄島が攻撃された主な理由である。小笠原諸島にはほかにも島は沢山あるが、飛行場の適地となる島は硫黄島しかなかったのだ。これが日本軍側も必死で島を守ろうとした理由である。21世紀となった現在でも、父島や母島など、小笠原諸島に観光旅行に行きたければ船を使わなければならぬのは皆様ご承知の通りである。
果たして硫黄島が陥落し米軍のP-51戦闘機が護衛につく様になると、日本軍戦闘機によるB-29迎撃は各段に困難になっていった。米軍兵士の犠牲は報われたのである。
Wikipedia「P-51」

で思ったのが「たとえ大変でも、覚悟を決めて取りにいかないといけない目標というのはあるのだな」ということ。多少犠牲を払うことになっても、「小銭」のような目標を10個達成するよりも大きな目標を1つ達成する方が良い、ということはしばしばある。実際、戦争でも本当に重要な戦略目標を奪う際は大体激戦になるものである。楽をして大きな目標が達成できれば良いが、あいにく世の中はそこまで甘くはできてはおらぬ。

それにあまりに「小さな目標」を達成してばかりいることに慣れてしまうと、今度は大きな目標に向かうのがだんだんに億劫になって行ってしまうという問題もある。どのみち貴重な時間を投入するなら、大きな戦果を狙って時間を使うべきであろう。スウェーデン人上司の言うがごとく、ambitiousでなくてはならぬ。
ambitious
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