かなり、お久しぶりです。
大学生活も終わりを迎えつつあります。
新社会人。新しい土地。
昔はこういった変化がわくわくでしかなかったのですが、
今いる人達と離れたくない、変化するのは不安、なんて思うようになったのは、
歳のせいでしょうか。
歳を取ると保守的になるんですかね。
このブログを始めて訪れた人のために書き記しておくと、
このブログは記憶の整理につかっているメモ代わりであって、
完全なる独り言です。
何か発信しようという主旨のものではありません。
さて、最近分かってきたこと。
人には何かを認識する時に聴覚優位、視覚優位、言語優位など脳の個性があるようで、
そのうち私は視覚優位にあたるようです。
確かに、写真のように見たものを記憶するのは大得意で、
昔からずいぶんその記憶するすべに助けられてきました。
そして、全員がそんなものだと思っていたら、どうも違ったようで、
人によっては音や言語で記憶している人もいるのだと知りました。
もちろん、私が音や言語で記憶することが全くできないのかというと、そうではなく、
すべてを使って記憶し、その情報を操作し、生活を送っているわけですが、
中でも視覚的な記憶を使うことが多い、得意だ、ということです。
ただ、視覚的な情報を使って考えてそれをアウトプットしようと思うと、
情報量が膨大過ぎてどう表現したらいいのか悩むことが度々あります。
最近は、頭の中で文字の「映像」の情報(文字情報、ではない)をパズルのように操作して文章を組み立てて話す、
ということでどうにか表現しているのですが、
おそらくは処理工程が人より多いのでしょうか、
話したいと思ってから実際に話すまでのタイムラグが生まれてしまいます。
言語を使ってロジカルかつシンプルに説明できる人に、素直に憧れます。
かつ、私はワーキングメモリーの容量が人より少ないような気がして仕方がありません。
さっき頭にあった情報が、時間の経過とともに片っ端から消去されていくのです。
ですから、目に見える形での記録は私にとって欠かせない存在です。
たとえば、普通の人は暗算でできる程度の計算であっても、
計算過程が2~3段階以上を要するものになると、
私には視覚的に記録を残せる紙とペンが必要です。
こんな風なので、計算以外の場面であっても、
話したいことを忘れる、途中半端なやりかけを大量生産してしまう、
なんてことも日常茶飯事です。
かわりに、目に見える形で全体像を記録してしまえば、
人よりたくさんのことを正確に記憶することができる、という長所と言えば長所のようなものもありますが。
日常生活を送るにあたっては、瞬間、瞬間で消えてしまうものがほとんどを占めますから、
私の様な人にとっては苦労も多いのです。
どうしたら欠点を補いつつ、長所を生かしつつ、
日常生活をうまく回せるのだろうなぁ…。
その方法を模索する毎日です。