星空珈琲館

星空が映る珈琲を飲むという歌詞があったような・・・・・

宇宙と環境と生物進化

2014年02月23日 | Weblog
 地球の生物が今日の繁栄を遂げているのは5億4000年前から始まるカンブリア紀の生物進化によるところが大きいと言われている。それまでの時代は海の中に生物はいたがめざましい進化というものはなく30億年かけて菌類や藻類・カイメン類がいたくらい。カンブリア紀に入り生物は爆発的な進化を遂げ魚類・両生類・は虫類・鳥類・ほ乳類と現存するすべての生物の基礎的な構造を持つ生物が出来上がったという。

 何故にそういう大爆発が起こったのかというと、「コズミックフロント」という番組でカンブリア紀前に6億年くらい陸地化が進み風雨によるミネラルの注ぎ込みが海に豊富な栄養を与え、カンブリア紀をお膳立てしたことを伝えていた。陸地が増え海が少なくなる何かの原因があって、浸食と風化により大量の土砂が海に流れ込み大量のミネラルが運ばれて、海水のミネラル濃度が高まった。栄養さえ有れば進化が進むのかというのも不思議だが、それまでの時代になかった何かが作用したことは間違いない。

 星の核融合で出来る鉄をちりばめた神経系が発達し脊椎を持つ動物に進化し集大成である眼が出来る。生物が眼を獲得することで獲物を獲得する技術が飛躍的に向上し防御のための外壁を鍛えた生物が台頭する。淘汰圧が働き進化が加速度的に進んだのがカンブリアの大爆発と言われている。

 火星も40億年くらい前に広大な海があり、もしかしたら有機物や下等生物がいたかもしれず、火星から有機物が隕石や彗星に付着して地球上に舞い降りたかもしれない。彗星の核には有機物が沢山含まれており、地球に激突して海に落ちれば内部に凍結された有機物が解凍されることも考えられる。地球に月があったことも長い間、地軸が安定して北を向き、地軸が90度傾くなど生物進化を阻害する要因が少なかったこともある。

 地球クラスの大きさではマントルと核の間にお熱を伝えやすい相転移が起こり効率よく内部の熱がマントルの対流を促し地表へと放出された。このことがプレートテクトニクスを長く続かせ、海の水を凍らせず循長期に渡って海を維持でき、生物進化の環境を整えてくれた。太陽活動が安定しハビタブルゾーンが長期に渡って持続したこともあるだろう。

 そのような恵まれた環境の中でカンブリア紀は到来し、生物の大進化を可能とさせた。銀河のスパイラルアームを地球が通過するときには星が密集した状態になるので、超新星爆発の影響を受けやすく、宇宙線の量が増え、結果的に雲量が増加し、太陽光が遮られる。地球の平均気温は-5度くらい低くなり、氷に覆われる面積が広くなる。いわゆる氷河期が来ることになる。その間、生物は寒さに適応した進化を遂げるし、宇宙的規模からその時々の環境変化が生物の進化に関係してきたことも研究されている。

 生命の誕生に必要なものは、水とエネルギーと有機物である。宇宙はダークマターにより星が生まれ超新星爆発により鉄より重い元素が出き、恒星の核融合によりエネルギーを恒久的に提供する基盤が整った。水や有機物はどうして生まれたのかは、宇宙線の仕業か熱水鉱床か温泉なのか多くの謎があるが、一定の環境が整えば神の見えざる手が無くとも物質が生まれ有機物が生まれ進化が始まることが解明されている。

生きる力

2013年06月16日 | Weblog
 私たちは人に興味関心を高めさせるために色んな事を教えようとそして導こうとしている。教育という名を持つ持たないに関わらず、あらゆる場面においてそうした行動は為されている。時に宗教であったり科学であったり伝授であったり躾だったりする。

 しかし、色んな事を教え導こうとしていても、相手側にとって実はそれは大きなお節介であったり勘違いであったり、真実を見間違えていたりする。興味関心を抱かせるにあたって、教え理解させることは重要な要因であるが、人は教えられたものに関心を持つのではなく、自分が感じ選び決定し能動的に食いついてこそ初めて関心を示すというステージに足を踏み入れるものである。

 であるならば、本当に心に響き本当に好きにさせるものを見つけさせることが大切になる。自分の個性を自然と自覚し共感するものを見つけだす。体験を通して自分を外界に放り出し、見つけ選択し決定するという過程を経て、本当の生きる力を見いだしていく。現在の体験学習のなかで、包容力のある機会が与えられているかというと、残念ながら難しいのではないか。昔のような自然体験が豊富に出来る環境は年々少なくなっているし、体験が出来ないならば、心を一気に奪われるような大がかりな実験装置だとか、少年少女の目を見張る科学博物館だとかが身近に保障されていなくてはならない。大分市には美術館や図書館は沢山あっても、博物館や科学館という理系の体験施設が40万以上の都市にしてはない。幸い久住山や温泉といった自然の恵みは残されているので心は癒されている。

 ともかく中学生までに自分の心に問いかけ自分が求めるものは何なのか問いつめる場が決定的に偏っていると教育の機会均等からみて問題になるのではなかろうか。大人はお金を使って好きなところへ行けばよいが、発達段階の青少年は違うのである。大いなる先人の知恵や卓越した文芸に触れ、自分を問いつめ自分の方向性を決め込んでいくことがとても大切である。学校教育での学びの中でも歴史が得意なものはその方向に進むし、語学が堪能になれば舵を切る方向も定まっていく。理科が好きなものも当然そういう方向へ歩むのであるが、学問が出来る方向に進む者もいれば、違った方向にいく者もいて、現実はそう簡単ではない。要は自分に同調できるもの合ったものを捜せるかということが大切だと思う。自分を追いつめ見いだせる方向が科学・文学・芸術・自然と等しく用意されているかが気になるところだ。興味関心の対象を早期に見つけられると心の拠り所となり、大人になっても荒波に揉まれ心が痛んでもストレスに陥ることが少ないのではないか。生きる力とはメンタル面まで支えるものも含まれている。

進化について

2012年10月08日 | Weblog
 生物学で最大の関心事は進化論です。人がサルから枝分かれしたということはにわかに信じがたいが、長い時の中では系統樹も氷河のようにすこしずつ動き前に進んでいます。種というくくりは大きな曲がりのなかの接線のような見方であって、地球的時間の中で種は生物を瞬間的に捉えたにすぎず、多様性のある地球型生物種は言えても完全無欠な固有種はないのかもしれません。生物は常に進化を繰り返し、インフルエンザウィルスが絶えずタイプを変えていくように時間という色眼鏡をかければ生物進化がダイナミックな動きとして見えてくる。最近、抗生物質が人間に効かなくなっているそうですが、人は変わらずとも、菌類の世代交代では月に2000代も入れ替わるため、遺伝子がすぐに変わってしまいます。人が止まっている間に菌類はまさに進行形として進化がダイナミックに動いているといえます。

 進化論によれば個体変異を持つ生物の遺伝子が環境に適応し、生き残りを続け長い時間の累積により小進化から大進化が起こるとされます。しかし、鳥類の祖先はティラノサウスルとされていますが、隕石が地球に激突してから6400万年で、前足が翼に変化し巨大な体が空を飛べる小さな体に変化するには、何か神の見えざる手が加わらない限り偶然の進化だけでは説明ができないとして、「創造論」が宗教回帰の激しい米で起こりました。

 進化論は現在ではゆるぎない科学的事実であり、かのバチカンも認めていると言います。科学と宗教は別のものであるにもかかわらず、ガリレオのように宗教が科学を裁いたり、科学という理由付けで神を求めたりする状況が広まり、アメリカでは進化論を学校で唱えることに圧力をかけたりすることがありました。理解出来ないことをすべて神の見えざる手のせいにすることは、思考停止であり科学的追求の放擲に値します。科学者が宇宙の生成や生物の進化を研究するあまりに神の存在を意識せざるを得ない感覚に陥ることはあっても、それを科学的解決とすることは、あってはならないと思います。

 進化論はまだ未完成であるし、宇宙の構造も未知な部分が沢山残されていると言われています。でも神の見えざる手を借らなくても複雑な進化を説明することは可能です。進化の「中立説」によれば、新しい環境下で、今までどうでも良かった形質が有効な形質として浮上し適用が進み、短期間においても大進化をとげるという前適応が考えられています。急速な環境の変化に適応するために、生き物が短い時間の中で変化を遂げていくには遺伝子の思い切った組み替えによらず、体温を暖める羽毛が発達していくうちに空を飛べる羽に進化したりする他目的の目的化が起こることで進化を早めることも考えられます。

 進化の過程では不要になるものはバッサリ捨て去るということが鉄則になっているようです。魚のエラを捨て肺を得た事で酸素を簡単に得る陸上の種を広めてきたように、生物進化は進む道が決まると過去の遺物は捨て去ります。エラや尻尾や絶対音感は人間も捨ててきて現在の繁栄を築いています。社会を動かそうとする人は原発を捨ててスマートグリッドを採用することを進化から学ぶ必要があるのではないでしょうか。金儲けより命を大切にし、夢の持てる社会へとするためにエネルギー政策も転換期が来ている筈です。進化では神の見えざる手はなくとも自然淘汰という言葉が使われ淘汰圧という排除の力があります。進歩という文明の舵をとる手は人間ですし、未来社会の選択は選挙で選ばれた政治家に委ねられます。進歩の淘汰圧になるものが世論というものになるならば、世論が形成される基盤として事実の公開やメディアの役割がきちんと為されることが重要となってきます。時間がかかるかもしれませんが、アメリカではスマートグリッドが推奨されており、使われている製品は日本の技術で造られた物が多いといいます。脱原発のため発送電分離を行い太陽光充電と電気自動車の普及が進みエアコン・冷蔵庫・照明・テレビの電力消費を押さえることで何とかならないかと期待しています。話が脱線してしまいましたが、自然界の放射線は別として事故による放射線は遺伝子を傷つけ進化の枠組みを根底から崩壊させるものなので回避対策に万全を尽くすべきなのです。

 ダーウィンやウォーレスが進化論を唱え遺伝子やゲノムの情報が分かりDNAを調べることで進化が環境とともに関連して進んできたことが揺るぎないものとなっています。DNAを調べることで太陽系宇宙を飛んでいる彗星の有機物との照合が進むと更に私たちがどこから来たのかも分かることでしょう。科学の力で人間と進化と宇宙がひとつの線で結ばれる日がやがて来るのかもしれません。

ルーツを探ること

2011年05月14日 | Weblog
 私たちはどこから来てどこへ行こうとしているのか。この問いかけは宇宙規模でも地球規模でも地域規模でも興味が湧く。日本という枠組みやそこに住む私たちや有史以来の歴史なども含めて、自分が生きている限り大なり小なりルーツについて人は皆こだわりを持っていると思う。親がいて先祖がいて、その先の祖先がいて、弥生人がいて、縄文人がいて、更に遡ること20万年前になると、アフリカのグレートマザーまで辿り着く。ミトコンドリアDNAを調べることで人類の共通の祖先さえ判明する。それによると北海道の縄文人は極東ロシアの先住民が目立つらしい。東北の縄文人も北海道とよく似たグループだという。対照的に関東の縄文人は中央アジアや東南アジアの島々や朝鮮半島にすむ現在人との関係が深いことも分かっている。

 地球上に生きている全ての人間はホモ・サピエンスという一つの種に属している。最初の猿人は700万年くらい前に生息していたトゥーマイという化石がサハラ砂漠の西、チャドで見つかっている。オーストラロピテクスはエチオピアにいた320万年前の二足歩行をする猿人である。インドネシアのジャワ原人や中国の北京原人も50万年前くらいには滅んでしまった。ヨーロッパ大陸にいたネアンデルタール人は旧人とされるが、2万年くらい前まで現生人類と同じ時代を過ごしていたらしい。人類が人とチンパンジーに共通の祖先から枝分かれしてきたと考えられているが、原人や旧人はDNAや骨格から現生人類と同系列ではないことが分かってきた。かつては類人猿→原人→旧人→現生人類という進化が起きたという説があったが、現在ではそれぞれが別々に進化しアフリカから世界に旅していった現生人類だけが生き残り、あとは進化の過程で滅んだという説が有力になっている。

 他の霊長類が滅びていく中で人類は何を身につけて生き残ってきたのであろうか。それは人間らしさへの答えにもなる筈である。脳科学の分野では相手が何に困っているかを想像し、それに手を差し伸べるようになった動物は人間しかいないという。さらに人間は他の動物が真似を出来ない教育という行動が可能である。教育というのは他者の様子を見て何が分からないのかを察して他者に寄り添い導いていく人間的な行為だという。他人を思いやる能力こそが人類を強くし繁栄させた最も人間らしい能力であろう。

 ヒューマンジャーニィという番組があったが、アフリカから約100名あまりの現生人類の祖先が10万年前くらいにアフリカソマリア半島付近を出てアラビア半島に渡りペルシャ湾からヨーロッパやシベリヤやインドへ旅して5大陸隅々まで大移動をするというストーリィであった。人間の皮膚の色や骨格などは太陽高度の変化で数万年という時間があれば簡単に変化をするし目の大きさ鼻の高さなども環境に適した構造に順応していくらしい。日本人は蒙古斑が示すように大陸のモンゴルから流れてきた人種が多いと思う。人類が大移動をしていたのは狩猟生活をして獲物を追う旅をしてきたという理由もあったであろうが、天変地異などのような災害に見舞われて土地を捨てざるを得ない状況も考えられる。何万年という時間の中では当然起こり得ることであり、ミトコンドリアDNAという動かしがたい有力な証拠がある。悠久の歴史を紐解いていくといつまでも狭い民族意識や地域紛争を繰り返しているべきではないという結論に達する。

 現在の日本人の多くは5~6万年前に東南アジアに来た遺伝子を引き継いでいる。旧石器時代の4万~5万年前に南方ルートや朝鮮半島ルート北方ルートなどから日本列島に居着いたとされる。一時、アマチュア研究家の捏造により70万年まで遡るとされたが、これはまったくの出鱈目であった。科学や学術において捏造や改竄は遠からず破綻する運命を背負うものだ。物証からいうと1万5千年前くらいから縄文人が土器を使い始めている。紀元前300年~400年あたりから渡来系弥生人による稲作が普及する。

 ミトコンドリアDNAから日本人を構成するグループの内、朝鮮半島ルートはD5・M8・G・A・D4・N9aという種類に分けられそれぞれ辿ってきた地域が異なる。例えばN9aは中東からヒマラヤの北を通って東アジアに広がった種族で日本人では4.6%である。D4は日本人最多の30%強をを占めている。3万5千年前に東南アジアを経て東アジアにやってきたグループが主流派ということになる。南方ルートはB4a・M7a・Fがある。B4aは日本人では1.6%しかいないが、東南アジアから南太平洋に広く分布しているポリネシアミクロネシア系の海洋民族が流れ着いたグループらしい。もう一つに北方ルートがある。それにはN9b・Z・YというミトコンドリアのY染色体の種類がある。このように決して単一民族ではなく多種多様なルートを辿り構成しているのが我々日本民族なのである。

 過去の歴史からの教訓として民族意識の高揚も過熱しすぎると誤った方向へ進む。ACの広報も日本は強い国だとかひとつにまとまれば何とかなるだとか繰り返し言われると一方向に誘導されるようで嫌らしい。どさくさまぎれの大本営のような胡散臭さを感じてしまう。被災地の復興は大切であるが、がんばろうがんばれと芸能人まで使ったかけ声だけが公共放送で流されるののには違和感を感じる。人には色んな性格があるし、多種多様の考え方・対応の仕方があるのが自然だろう。マスコミがすべきことは時の権力に流されずにきちんとした事実を伝えること。横道にそれてしまったが、必要なのは日本人として情念的にまとまる事ではなく、日本人のルーツを探ることで人類共通の祖先にたどり着き世界はひとつといった科学的な日本人(人類)認識だと思うのである。

 世界標準という言葉やグローバリズムという言葉が使われ始め久しい。地球温暖化という警鐘も宇宙船地球号というくくりで捉え返すと新たな地平線が見えてくる。隣国のゴミが海岸に打ち上げられ、大気汚染が風光明媚な島に光化学スモッグを発生させる。自国の産業や目先の利益のみを優先する考えでは世界から見放されるであろう。地図にある国境や民族意識にこだわり続けることは物事の本質的解決を遅らせるだけである。真実を伝え合い繋がりまとまること。これからの課題でもある。そういう意味でルーツを探ることが大切だと思う。視界を広げることが必要だ。歴史の波に翻弄されながらも幾多の艱難を乗り越え今日まで栄えてきた。これまでの歴史がそうであったように、一つ一つの選択の上に現在がある。「何処から来て何処へ行こうとしているのか。」の何処への部分が今まさに真剣に問われていることでもある。その鍵は人間らしさとは何かを突き詰めていくことにあると思う。他者を思い自分のグループを守ることで協力もし敵対もしてきたが、富を独り占めするのではなく、格差社会を無くし競争を緩和させ多用な考えを認め、よりよい社会を模索することが求められている。

原発安全神話の崩壊

2011年03月29日 | Weblog
 福島第一原子力発電所の事故を受けてドイツの首都ベルリンでは原発の停止を求める25万人規模のデモが行われている。メルケル首相は原発の運転延長を決定したことで窮地に立たされた。地球温暖化に有効でクリーンなエネルギーという唄い文句を掲げてきた原子力産業は大きな転換期を余儀なくされている。

 最近TVを見ていたら、あるニュース解説者が「理科音痴」の素人があまり騒がないほうがよいと風評被害を懸念していた。欧米の人々が騒ぐのは、はたして皆「理科音痴」なのであろうか。某解説者はドイツのことを直接言ったのではないが、それに対して日本人はかなり冷静な行動をとってきた気がする。ネットやテレビ・新聞と高度に情報化された社会であるから、自分の健康は自分で守るという消費者傾向は成熟した社会の理性的な行動でもあると思う。原子力の仕組みは複雑で素人には分かりにくい。今回の原発報道では、むしろ解説者や多くの専門家・東京電力・保安院等の情報発信側のほうが深刻な事実をひた隠しにしてきたように思ってしまうことが多かった。後になって悔やまれることのないよう事実をきちんと伝えていくことが、今だからこそ求められる。保安院の安全を強調することしか考えていない狼狽ぶりが、ますます多くの理科素人である国民を不安や憶測に駆らせると思うのである。

 確かに地震・津波は想定外であったかもしれないが、原発の安全管理にその言葉は使ってほしくない。原発事故の「想定外」とは予見できなかったという責任回避の言葉に利用される。予知出来なかったという善意を強調する「想定外」ではなく、今まで「未必の故意」に相当する安全不作為が無かったのか冷静に正直に総見直しをしてもらいたい。1980年代にチェルノブイリやスリーマイル事故が起きた頃「まだ間に合うのなら」という書物をNHKアナウンサーが翻訳したが、電力業界や経済界による原発安全神話プロパガンダのもとに原発の危険性はかき消されてきた。当時、30基あった原発は1基も減されることがなかったという。被災地の復興は何よりも第一義に行わなくてはならないと思う。しかし、原発被害には天災の中に人災の側面が入り込んでいることをしっかりと押さえておかねばならない。

 原発はクリーンで安全だという宣伝や思い込みのもとに本当にしなくてはならなかった二重三重の安全対策をすることなく、福島の原発事故という未曾有の不良債権を抱えてしまったのではないか。一企業では手に負えない債権は税金投入という今まで再三繰り返されてきた大手銀行や証券会社がとってきた政治的解決を歩むのであろう。国民は年金や国債とともに三重苦の重荷を背負うことになる。こうしたことは作家の広瀬隆さんがずいぶん前から指摘してきたが、政権が変わっても脱原発に着手することが出来ないでいる。今後のエネルギー政策は大きな転換期を求められるのであろうが、脱炭素社会に及び腰だった旧政治体制のもとで我が国の太陽光エネルギー政策はあまりに遅れてしまった。この難局をどう乗り越えていくか、復興と発想転換の正念場を迎え、脱原発への英断と思い切った施策が今こそ必要となっている。

 大きな政治レベルの施策があってなおかつ被災地の復興は国民が総力をあげて行うべきだと思っている。一人ひとりが今までの生活を変えていかねば、この国は立ち直れないくらいの危機に直面している。行動を伴わないかけ声だけでは変われない。狭い利害を超えて一人ひとりが何が出来るかを問いそれぞれの精一杯を出すことから始めていく・・・・

ギリシャ・ローマの宇宙観

2011年02月05日 | Weblog
 「眠れなくなる宇宙のはなし」佐藤勝彦著を読んだときにギリシャ時代は実に多くの哲学者がいたことに改めて驚かされた。世界を創る根源は何かの問いに自分はこう思うという学説学派的な主張が百花繚乱の状態なのだ。ギリシャの7賢人と言われたイオニア人のタレスはトルコ西部のミレトス生まれで万物の根源は水だと唱え、地震で大地が揺れるのは水に浮かんでいるからとした。木星の周囲を回る衛星エウロパや土星の衛星エンケドラスに地球外生命がいるかもしれないと予想されている理由は大地に眠る水の存在である。タレスの言っていることと少し方向は違うが、地球に水が在ったから生物が生まれ人類も繁栄した。この世界を認識出来るのも水のおかげとも云える。タレスは天文にも明るく日食を予言したという。江戸時代の麻田剛立も日食を予言したが、卑弥呼より遡ること900年前に日食予想を科学的に予言出来たとしたら凄まじく凄い事である。

 タレスの弟子アナクシマンドロスは熱い火も水から生まれるとは考えにくいとタレスに異議を唱え宇宙の根源は霧と炎だとした。霧が固まり大地となり炎はやがて天となった。大地は分厚い円盤であり何も支えられずに宙に浮いていると考えた。現在の宇宙を予言しているかの発想である。これも紀元前7世紀という年代を考えると驚愕に値する認識である。また、人間は魚を祖先としたという進化論のようなものも唱えていると書かれてあった。チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を書いたのが1859年であるから、2500年前に既に進化論を考えたということになる。ピタゴラスは大地が球形だと主張した最初の人だという。サモス島に住み輪廻転生を唱え、万物の根源は数とするところが数学者らしい。球の対称性から球が最も完全で美しいかたちだと考えた。安定感があり究極の美があるとして大地は球形であると唱えた。その後、ケプラーやニュートンによって地球が球形であると考えられるまで2000年のブランクがあることになる。プラトンの弟子のアリストテレスは世界は火・空気・土・水の4種の元素からなり天は5番目のエーテルが詰まった宇宙であると考えた。ヒッパルコスは古代ギリシャ最高の天文学者であり地球の歳差運動を発見している。

 ローマ人は建築や土木と言った実用的な科学や技術を尊び、日常に役立たないギリシャ哲学を軽蔑した。天文学はもっぱら正確な暦を作る学問として位置づけられた。アレキサンドリアのプトレマイオスはアルマゲストという本の中で地球の周りを惑星が回る宇宙モデルを説いた。他の文明が様々な宇宙観を形成する中で、ギリシャ・ローマの宇宙観は観測や実測に基づき、より科学的に突出した現在宇宙観に近いものであった。こうしてみると環境が育む文明の中で文化は人間同士の自由な情報交換によって切磋琢磨される。同じ地域から多くの偉人が輩出する多士済々という状態はどの時代でも環境次第という事が分かってくる。

男と女について

2011年01月30日 | Weblog
 これもNHKの番組だったが、「男と女」についての3回にわたる特集があった。女は記憶脳で男を見ようとする。赤ちゃんを大切にしてくれるのか、約束を守る信頼に足る男なのかを記憶で見分けることに重きを置くという。一方、男は視覚脳で女を見る。7:10の腰のくびれをもつ女性をもっとも多くの男性が好む。丈夫な赤ちゃんを産む種族維持の本能がインプットされている。恋する男女はなぜ惹かれあうのか。これはドーパミンという脳内物質の大量分泌が二人の絆を結んでいる。快楽を司る脳内麻薬により相手の過ちも寛大にみる作用が働くという。ところが高い代謝を必要とするドーパミンは身体への負担も大きく長続きはできない。その為、恋愛の正味期限は3年ほどしかもたない。子どもも3年経ったら育ちあがるからである。4年目に離婚するカップルが多いのはこうした理由があるからなのか。長続きできない男女関係は、単に男女差からくるものも大きいようだ。女は相手の顔や表情を見て感情をつかむが、男は脳で考え分析をして批判を加え嫌われる。女は話をただ聞いてもらいたいだけなのに、男は解決策を示そうと懸命になる。男は解決策を探ろうとして女を批判し分析しようとする。女はそれを攻撃されたと思い防御する。これでは話がかみ合わなくなり終いにはこじれてしまう。単純に話しかけるだけで良かったのに、立ち回りすぎて考えあぐねて失敗したことを思い出してしまった。

 子どもたちの性差による脳の違いもある。記憶を司る海馬が女のほうで15歳から大きくなる。男は危険を感じる扁桃体が肥大してくる。自閉症は男の方が2.5倍ほど多い。ウツ病は13歳を過ぎると女が多くなる。空間認知能力は男が長けており、言葉に関するテストでは女が優勢である。人類が長い間アフリカの草原で暮らしていた時代、男は狩りに出て家族のもとへ帰って来る能力のあるものが種族を絶やすことなく生き残った。女は大家族の中で言葉を巧みに操り人間関係を維持することが大切とされた。アメリカではこのような性差を、在るものとして受け入れ現実に組み込んでいく試みが学校や企業で採用されている。2002年からフロリダ州のアベニュー小学校では男女別クラスにし、男には自由な体勢で読書をさせ、女にはペアを組んで勉強をさせている。こういう取り組みは全米で500校あまりにのぼる。デトロイトの企業では男の顧客には焦点を絞りこれしかないと思わせるため権威ある人の一言を添える。女の顧客には複数の事を同時に教え選択肢の中から選ばせる。男は競争の中で選ばれたものを好み、女は押しつけやプロセスを強要されることを嫌がるからである。そうなのかなという疑問もあるが、そんなものなのかと納得するところも多い。

 パート3では衝撃的な結末を迎えてしまう。男の持つXY染色体のYの大きさがだんだん小さくなっており、人類滅亡のカウントダウンが既に進んでいるという。早ければ明日にでも、遅くても500万年後にはY染色体が消える。女のXXは2本がワンセットであり1本が壊れても修復される。Yは突然変異で傷がつくとスペアがないので欠損となる。1本しかないから何千何万とコピーされるうちに伝えられなくなる。ほ乳類が恐竜に怯えながら生きながらえてきたのは胎盤を造りお腹の中で敵から逃れながら子どもを育ててきたからである。その大切な胎盤遺伝子はY染色体上にあるのでY染色体が使えなくなると胎盤も無くなってしまう。男の遺伝子が無くなると子孫が作れなくなる。デンマークやフィンランド・イギリス・フランス・日本などでも精子の濃度が落ちているという。85%に異常があり、ちゃんと泳げなくなりつつある。デンマークでは自然妊娠が減りロサンゼルスではシングルマザーが増えている。これら総合して男は滅びの道に向かって突き進んでいるという内容であった。見かけだけ強がっていてもまさに弱きは男なりけり。

巨石を運ぶ方法

2011年01月27日 | Weblog
 エジプトのピラミッド建設について興味深い番組があった。NHKの「エジプト発掘」の第1集「ピラミッドはこうして造られた」によると、ピラミッドの周囲に螺旋状の内部トンネルがあるらしい。5000年も昔から建造されているピラミッドはどうやって石組みを行ったのか長い間謎であった。頂上まで150m近くある300万個の石は内部トンネルを使って運び上げたというのである。今まで考えられていた仮説は直線傾斜路説であるが、提唱者のジャンピェール・ウーダン氏は人が石を運ぶ傾斜路は角度5度が限度であり、クフ王のピラミッドの高さだと傾斜路は1.6kmもの長さになり、ナイルの川岸まで伸びてしまうし、傾斜路作成だけでピラミッドと同じ量の石が必要になる。しかもピラミッドから500mのところに石切場があり、この石を運び上げるには大きく迂回して傾斜路に行くことになり、位置的にもなんとも不合理な方法になる。もう一つの説にピラミッドの外側にらせん傾斜路を作って石を運ぶ方法が考えられるが、当時のエジプトは気温が高く、細い傾斜路を通って人が石を運ぶには暑いし転落の危険性が高まる。その上、ピラミッドの角度の測量がらせん道により見通せなくなり非常に難しくなる。ウーダンはピラミッドの周囲にある白い斜めのスジに着目し、80m付近の角にあるくぼみについても疑問に思った。フランスの大学が行った重力調査によると内部に空洞らしい箇所があることが突き止められた。そこを結ぶと周囲をまわる螺旋状のトンネル道ができるという。

 ピラミッド内部の王の間の上には石棺がひとつあり、30畳の部屋の天井には重さ60tの花崗岩が43本積まれている。石棺を守るための重力軽減装置として機能したようだが、これだけの重さの物をどうやって積み上げたのかが大きな疑問として残った。花崗岩はギザから1000km上流にあるアスワンから切り出されたものを船で運んでいる。ナイル川から陸に揚げ、ピラミッドの上部まで運ぶ方法としてつりあい重りを使ったのではないかというのである。エッフェル塔のエレベータが、釣り合い重りでケーブルカーのようにして人を引き上げている。同じように大回廊に釣り合い重りを置き大きな石を引き上げたのだという考えである。らせんトンネルで運べないような大型の60tの花崗岩はこの方法で引き上げた。大回廊は傾斜角度が26度もあり、人が歩くには急勾配過ぎる。釣り合い重りを滑らせる傾斜路として使い、ロープで重い花崗岩と結びつけ上層階へ運ぶというのである。大回廊の横には台車の角があたって付けられたらしい傷跡や、すべりを良くするために流したであろう油の後がある。残された問題は台車の強度とロープの強さであり、これについてもコンピュータ計測企業に依頼した結果、可能だと言うことが分かった。60tの石を引き上げるのに600人必要なところ158人ですむそうである。この説だと機械工学的に説明が可能というのである。1/3は直線傾斜路を使い、残りは内部トンネルと釣り合い重りで石を運んだとするのが、この番組の内容であった。何故に大回廊のような無駄に広い空間がピラミッド内部にあるのか、従来納得のいく説明は無かったが、釣り合い重りの台車路ならばうなずける。積年の疑問に一筋の明かりを差し伸べてくれた番組だった。

 授業で習った頃は鞭を打たれた奴隷たちの手でピラミッド建設が行われたという挿絵を見たことがある。個人的には宗教の力が無いとあの巨石を動かすような統制は不可能では無いかと思っていた。鞭で打てば負傷者が出るし負傷者が出ればバランスが崩れ大事故につながりかねない。来世での幸福という宗教的な展望が約束されていたのではないか。その為に身を捧げるようにしてピラミッド建設に参加したのであろう。単純に考えても鞭だけではあのような大事業は出来ないと思った。鞭打たれても反発して協力的な仕事はできなくなる。そうした集団管理ではピラミッド建設は無理だというのが学生時代考えてた結論であった。最近の遺跡調査ではピラミッド建設に携わった人々の暮らしは結構裕福であったことが分かっている。ピラミッド近くに25000人が住んでおり、労働組合らしい仕組みもあり、高度な文明と科学技術を有すだけでなく人間的な労働環境とビールを飲める生活を送っていたようである。巨石を引き上げた文明は世界各地に残されている。インカ帝国の微塵のスキもない石組みやマヤの密林ピラミッド。山の上やジャングルの中でどうやって石を運んだのか。エジプトのようにロープや台車を使えないところで人力だけで巨石を運ぶ工夫はどんなものだったのであろう。更なる謎解きに挑戦してくれる歴史番組を期待している。

邪馬台国の謎に光が・・・・

2011年01月25日 | Weblog
 NHKスペシャルの「邪馬台国を掘る」をわくわくしながら見入った。歴史物は好きな方だが特に謎だらけの古代史が面白い。邪馬台国も長い間、強力な北九州説・近畿説と両雄相譲らず、遺跡も吉野ヶ里、箸墓墳墓もあり互角の論戦を交えてきた。最近になって奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡周辺の出土品が注目されている。纒向は以前何もなかった三輪山の近くに忽然と現れた卑弥呼時代の遺跡である。番組は纒向遺跡の発掘出土品に焦点をあてたものだった。魏志倭人伝によると卑弥呼は鬼道に通じ衆を惑わすとあり呪術的な祭祀を行い人々の関心を集めたとされる。出土品に備前や四国・関東などからの土器があり、多くの国との交易が既にあったことが推察できる。2700を超える夥しい桃の種も出土しており、桃を供える道教との濃い繋がりを示唆していた。

 中でも興味深いものは銅鐸の破片だった。青銅器で作られた銅鐸は意図的に割られており、それまで信仰されていた銅鐸祭祀を否定し宗教改革を断行したと考えられる。銅鐸文化圏は近畿を中心に広がっており、出雲地方には埋葬500基を超える遺跡もあり、奈良は銅鐸文化圏の中心に位置する。しかし、何故、銅鐸を破壊する必要があったのであろうか。銅鐸に衝撃を加えてもへこむだけで割れない。NHKスタッフは銅鐸を再現し一度加熱した後に衝撃を加え破損までこぎつけた。ここまでして銅鐸を砕いた理由はそれまでの銅鐸信仰の全否定と新たな信仰へという改宗にあったと考えられる。卑弥呼が登場する数年までは大干ばつに見舞われており、卑弥呼以後天候は安定してきたことが遺跡調査で分かっている。邪馬台国の女王は自然の運にも恵まれたようだ。

 後のヤマトの三種の神器は鏡・剣・珠である。卑弥呼は中国から「親魏倭王」の金印と青銅鏡数百枚をもらっている。祭祀には鏡を使ったと思われる。また剣となる銅矛文化圏は北部九州一帯である。珠は魂や霊からきており、曲玉は後世に引き合わされたらしい。天皇という言葉も道教の最高神であり、どうも卑弥呼は天照大神ではないかという説も多い。アマテラスの御神体として八たの鏡が祭られるのも理由があるのだろう。神武天皇が九州から東征して奈良の橿原に降り立ったという神話も史実を反映しているのではないか。神武は必ず宇佐で饗応したともいわれている。宇佐の神事に行幸会というのがあり、ご神体を竜宮に返すためという理由で海に流すと必ず東へと行く。行幸のコースは中津の薦神社かた宇佐市神社へ国東半島の奈多神社に移り6年経ち四国の八幡浜神社へ最後は伊予から畿内へと分霊される。かつて歴史上の事実だったことが忘れられ儀式化した行事や神話として残ってしまう事はよくある話。出雲風土記の国譲り物語は銅鐸文化部族を銅矛文化部族が制圧し服従させた反映とみられる。卑弥呼以後に銅鐸は祭祀から消されてしまったようである。

 北九州の豊津は京都(みやこ)郡という地域にあり、古代において豊前豊後を合わせた豊の国があった。卑弥呼にはトヨという弟がいたが、その人物との関係は分からないが北九州に強大な王国があったことに間違いはない。豊前風土記によると京都郡は古くは「宮処の郡」と呼ばれ天照大神の帝都だったとある。神武の祖母は海神の娘で豊玉姫という説もある。朝鮮半島からの進軍のせいなのか彼らは居所を東へと移していったと考えられる。神武東征を物語る事象として福岡の甘木市付近と奈良の畝傍山付近は地名の類似性が高いことが有名である。甘木市馬田郷から北の方角に三輪があり、北東に長谷山・加美郷があり、東に朝倉郷がある。同様に奈良の橿原を中心に北に三輪郷、北東に長谷山・賀美郷、東に朝倉という地名があって符合する。他にも多くの類似地名があり、神武天皇陵も橿原の中心にある。おそらく何かの理由で九州の地を去り東へと都を移したのであろう。途中、宇佐神宮などにより瀬戸内海沿岸部を点々と移り住んだと思われる。

 卑弥呼がいた247年3月に北部九州で248年9月には隠岐の島から石川県にかけて皆既帯のある日食が重なっている。太陽の神、天照大神が天の岩戸にこもってしまうという神話はこの時の日食現象が伝承されたものなのではないか。アマテラスを外に出させる作戦として儀式を行い踊りや鶏を鳴かせたりしたという記載があるのは日食の時に実際に動物が騒ぐ様子を伝えているとする見方もある。

 卑弥呼の墓は径100余歩と言うから箸墓クラスであり、前方後円墳はヤマト朝廷の象徴でもある。大規模な宮殿を持つ纒向遺跡の発掘により箸墓は卑弥呼の墳墓として有力になったようだ。宮内庁は陵墓という理由で古墳への学術的調査を頑迷に拒んでいる。朝鮮半島との繋がりというあられもない真実が出てしまうことを恐れているのか、日本人そのものは南方系の縄文人と大陸系の弥生人の混血で生まれたものであり、人類皆兄弟なのに、学術研究に消極的な姿勢をとり続けるスタンスは理解しがたい。歴史の真実に光を当てるため(私たちもそう長く生きてはいないので)発掘調査に一刻も早く協力すべきと思う。江戸時代まではまったく荒れ地だった古墳に、どのくらいの価値ある遺跡が眠っているか分からないが、箸墓から親魏倭王の金印出土を期待しつつ、邪馬台国解明の新たな進展を願う。

ダークエネルギー

2011年01月22日 | Weblog
 ジブリ作品の「耳をすませば」で、妖精バロンが呟く・・・遠くのものは大きく近くのものは小さく・・・。暗黒(ダーク)エネルギーは反重力という性質上、遠くの銀河ほど排斥力が強く近くにある銀河には弱く働く。NHKのサイエンスZEROで放送された「宇宙の未来を決める暗黒エネルギー」は衝撃的な内容で溢れていた。番組で分かったことだが、宇宙は銀河や星や星間ガスなど私たちが目で見て知っているものは宇宙総体の4%でしかなく、残り23%が銀河の構造を繋ぎとどめている暗黒物質であり、あとのすべては正体の分からない暗黒エネルギーによって構成されているという。

 アインシュタインの宇宙モデルでは重力による自らの重みで宇宙は縮小してしまう。しかし、当時、宇宙は一定だと思われていたので、アインシュタインは宇宙項という式を挿入して、つじつま合わせを行っていた。彼はやがて宇宙項を取り消し、宇宙項を挿入したことを人生最大の失敗と反省をする。しかし、現在宇宙論では宇宙項に該当する暗黒エネルギーの存在が突き止められ、宇宙項が見直されている。アインシュタインの理論では光が重力により歪められる。遠い銀河を観測すると重力レンズにより銀河が細長く歪められて見える。銀河のまわりに目に見えない暗黒物質(ダークマター)があるからで、暗黒物質の偏りを調べることで暗黒エネルギーの分布も推測できるらしい。

 ホプキンス大学のアダム・リース博士によると50億年前の銀河と76億年前の銀河を比較して宇宙膨張がどうなっているかを調べることで意外な事が分かった。銀河の膨張速度が加速度的に上がっているらしい。宇宙膨張を加速させる原動力がどこかにある。その原動力が暗黒エネルギーということになる。暗黒エネルギーは物と物を引きつける重力と異なり、物と物を引き離す反重力的な性質を持つ。暗黒エネルギーは現在73%であるが、物質の量は一定なので、この先宇宙膨張とともに、80%90%と増加していく。シナリオでは最後には宇宙の終末をきたすビッグリップという宇宙崩壊が起こる。ビッグリップとは銀河が拡散解体していき、太陽系なども外側の惑星から軌道を外れ、最終的には恒星も惑星も粉々に飛び散り、分子・原子・素粒子レベルまで分解されて何もない状態になるという宇宙終末の姿である。パンドラの筺をひっくり返してしまったような気分になったが、1000億年後と聞き少し落ち着いた。

 名古屋大学の杉山直教授は21世紀の宇宙論は暗黒エネルギーの解明が主要な課題となり、構造が解明されれば、地動説・ビッグバン理論に匹敵するくらいの宇宙観の変化をもたらすだろうと語っていた。重力の強い地球上ではリンゴを空中に放っても手のひらに落ちてくる。暗黒エネルギーに支配されている空間でリンゴを放ると空の彼方へ飛び去っていく。宇宙空間では慣性の法則があるからある意味当たり前だが、重力を暗黒エネルギーが超えてしまう世界での現象を説明したのであろう。暗黒エネルギーを解明すればUFOが重力圏を自在に飛び移る様も納得できるであろう。数世紀にわたり頭脳明晰な大科学者が理論を積み上げ今日まで宇宙の解明をしてきた。現在は今までの宇宙理論の実証が行われており、間違いないことが確定的になっている。ならば、ということで新たな謎が提示されてきた。それが、暗黒物質であり暗黒エネルギーである。暗黒エネルギーの存在は否定できないものになっているらしい。ただ、まだ、暗黒エネルギーの理解ができないという謎解きジレンマ状態にある。宇宙はどこまでも謎だらけであるが、人類の叡智で僅かずつでも解明の扉が開かる事を楽しみにしておこう。