ポクポクトーク

木魚たたいて30年、愚僧ポクポクの日々のお話です

おそめ

2009年05月05日 | Weblog
一日に会議があって上京した。
その行き帰りの車中で読む本はないかと探して、たまたま買ったのが『おそめ・伝説の銀座マダム』。
いや、おもしろかった。
東京に着くまでに、一気に読んでしまった。

「おそめ」は源氏名。
この本は、おそめの一生を描いたルポルタージュ作品だ。
大正12年に京都で生まれ、芸妓になり、紆余曲折を経て、京都にバーを開いた。
政治家や経済人、文壇の大御所たち、映画関係者など、キラ星のごとき人々の知遇を得て、銀座に進出。
ついには銀座随一のクラブのオーナーになるが、やがて時代とともに凋落していく……。

波瀾万丈の人生には、ターニングポイントとなる出来事があり、キーマンになる人物がいる。多分、その出来事がなかったら、その人物と出会っていなかったら、おそめの人生は全く違ったものとなったはずだ。

『おそめ』を読み終えると、ボクの人生にも、彼女ほどドラマチックではないにしても、やはりターニングポイントがあった、人との出会いで、いくつかの岐路があったなぁ、と考えた。
あの時、あの道を選んでいたら……と。

ボクにとっては、結婚も大きかったが、それ以上に、大学卒業時、すんなりと決めた職場を蹴って、一年間プータローをしたこと、あれが一番大きな岐路だった。
もしも、あのまま就職していたら、ボクの人生はどうなっていたのだろう。
57歳の今、何をしていたのだろう。

『おそめ』を読んだら、ボクも、少し、人生を振り返りたくなってしまった。
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坊さんと「仕事」

2009年04月30日 | Weblog
3月の末から、何度か、2、3泊の小旅行に行った。その合間に、友人が何組か遊びに来てくれたので、近くの美術館や旧跡を案内して、ぼくもいっしょにブラブラ見て歩いた。そんな風に、この一か月、今までにない調子で過ごしていた。

楽しく過ごしていたためだろう、今になって、「仕事に戻らなくては」と猛烈に焦る自分がいる。
いや、この一か月だって、法事があったり、お葬式があったり。まったく遊び呆けていたわけでもないんだけれど。

それで、ぼくにとって「仕事」って何なのだろうと考えるようになった。
坊さんが仕事をする、一生懸命仕事する。
それってどういうことなんだろう。

毎日、お経回りをして、土曜日、日曜日に法事をする。急なお葬式が入って、そのために、お経回りの段取りを遣り繰りする。そういう「忙しい状態」、どうもそれがぼくの「仕事」のイメージらしい。
そう気づいて、少し情けなくなってしまった。これはどう見ても、「偉いお坊さん」の仕事ぶりではない。

そういえば、「日曜日の朝は、お勤めはしない」と言われたお坊さんがいたなあ。一週間に一日ぐらい、決まった休みが欲しい、という意味なのだろうと思った。
ぼくは日曜日だってお勤めはする。するけれども、ぼくの場合、平日だって、勝手に朝のお勤めをサボる日もあるのだから、このお坊さんは、ぼくより数段偉いと思う。とはいえ、朝のお勤めも「仕事の一環」って感じで勤めているんだろうなあ、と思うと、ちょっと複雑な気分になった。

坊さんたちは、みんな、自分の仕事や生活のこと、どう考えているだろう。

これはただの想像だけれども、現代のお坊さんたちだって、その半数以上は、良寛さんや一休さんに憧れているのではないか。ああいう生き方をしたいと、密かに夢見ているのではないか。そんな気がする。

良寛さんや一休さんにとっては、生きていることが仕事、遊んでいることが生活。
だから、富も名声も地位も望まない。そんなものは、とっくに捨てている。手に入れようと思えばその実力は充分過ぎるほどあるのに、そこにだけは、頑なに近寄らない。
ただ、人間好きだから、決して山奥に籠って修行に専念することはなく、里にいて、子どもと遊び、酒も呑み、恋心もあって……。

うーん、いいなあ。

でも、ぼくには、できない!
そこまで捨てる勇気がないんだよなあ。
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春祭り

2009年04月22日 | Weblog
「お上人、今日の六時からですよね、〇〇さんところの『春祭り』」

そうでした。後輩の坊さんがお寺を開放して近所の子どもたちを集めて「○○春祭り」というイベントをしていると聞き、参考のために見に行こうと、ぼくと同じ歳の檀家さんに声をかけていたのでした。

息子(も坊さんです)も連れて、行ってきました。
すばらしかったんですよ、これが。

小さなお寺なのですが、その本堂は子どもたちで一杯。ちょうど法要が終わったところで、住職が子どもたちにお話をしているところでした。わかりやすい話を短く。
もちろん、子どもたちはその後に配られるお菓子が目当てなんですけど、それでもねえ、これだけの子どもで埋め尽くされたお寺の本堂、感動の風景でした。

境内にはテントが張られて、焼きそば、串焼き、おでん、フランクフルト、ビールやジュースの飲み物、野菜も売っていました。ヨーヨー、輪投げの遊びのテントもありました。
これらがみーんな、お檀家さんや住職の知り合いたちで運営されているんです。

すごいなあ。

実は、一年ほど前、坊さん仲間10人ぐらいで、ある会を作ったんです。「○○宗青少年教化ネットワーク」、ちょっと仰々しい名前なんですけど、要は、お寺で檀家さんの子供たちともっと交流をしようよ、という趣旨の会です。
で、ぼくたち坊さんだけじゃ、いい知恵も浮かばないから、檀家さんも入れて、一緒に会を運営していくことにしました。ぼくが言いだしっぺなので、一応この会の代表なんですが、実際はぼくはまだ何もしていません。
こういう「春祭り」を開いたりしてがんばっている後輩を集めてノウハウを教えてもらおうと思っていたのですが、まあ、最初から素晴らしい収穫をいただきました。
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四月は最高!

2009年04月17日 | Weblog
四月、五月は、誰しも同じなのかもしれないけど、一年で一番好きな季節。なにもないのに、ウキウキしてきますねえ。
四月は、ぼくのお寺はヒマな月です。お経回りもないし、法事も少ない。法事が少ないということは、この月には亡くなった方も少ないということです。いいことです、やはり四月は全てが生まれる月なんですよ。

今のぼくの一番の楽しみは、朝のお勤めをおえて、庭を眺めることができる部屋で、コーヒーを飲みながら産経新聞を読むこと。宣伝するつもりはないけど、産経新聞は主張がはっきりしていて気持ちいいです。当然、右寄りなんですけど。僕は別に右派でも左派でもなく、一応、仏教派ということにしています。

で、小一時間かけてゆっくり新聞を読んだら、庭掃除をします。庭掃除は別に日課ではありません。あまりにも外が気持ちいいから、草を抜いたり、掃き掃除をするのが、これまた楽しいんです。

こう書くと、なんだか、70過ぎの老僧のような生活ぶりみたいですね。でも、この間に、ちゃんとゴルフにも行き、飲みにもでかけております。
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納棺師の話の続き

2009年03月04日 | Weblog
 もちろんボクも、納棺に立ち会ったことはあります。
 父が亡くなったときは、(ボクの家族は坊さんが多く、父親も坊さんだったので)みんなでお経を読み、お棺に納めました。

 納棺の際は、死化粧も施さなければなりませんが、これは専門の方がやってくださいました。
 髭や頭の毛を見事に剃りあげ、亡くなる前に転んで左目の上に黒血ができていたところも、すっかりわからなくなって。唇には、うっすらと赤みさえ……。

 それは、実に素晴らしい技術でした。
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納棺師

2009年03月02日 | Weblog
 映画「おくりびと」が、アカデミー賞(外国語映画賞)を受賞しました。めでたいなぁ!

 ところで、この映画が話題になるまでボクは、葬儀屋さんとは別に、独立した職業として「納棺師」という仕事があることを知りませんでした!
 昔は、納棺のときは必ず坊さんが「納棺経」をあげました(今もそうされているお寺さんはあります)が、うちのお寺の場合、納棺には立ち会いません。だから実のところボクは、納棺の実態にはそれほど通じてはいないのでした。

 葬儀の専門家のように思われている坊さんでさえ知らなかったくらいですから、一般の人にはほとんど知られていなかったのではないでしょうか。
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定額給付金

2009年02月15日 | Weblog
 風邪がなかなか抜けません。寝込むほどではないけれど、スッキリと平常の状態にも戻らないんです。日常の生活には困りはしませんが、産まれたばかりの孫に近づけないのが歯がゆい。マスクをして、1、2メートルほど離れて眺めるばかり。
 まあ、遠くから見ても、赤ちゃんはみな可愛いもの。でも、そんな赤ちゃんたちが、大人になるにつれ、違った個性になっていく。善人にも、極悪人にも成る。人間って不思議です。

 そうそう、今、話題持ちきりの「定額給付金」。2月1日を基準として、国民みんなに給付されるそうですが、わが親族については、母が1月31日死去、孫が2月5日誕生! どちらも給付の対象にはなりません。
 アレレ、何とまあ絶妙なタイミングで……。しかし、孫と母が人生の最初と最後に税金の節約に貢献したのだと考えれば、少し誇らしかったりして。
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母の死

2009年02月08日 | Weblog
 早朝、電話の呼び出し音で目が覚めた。姉からだった。

 「お母さんが息をしていないみたいなの。これからお医者さんに連絡するね」

 一時間後、あらためて「亡くなったよ」と連絡をくれた。
 「朝、気づいたら亡くなっていた、という最期だったらいいよなあ」。兄、姉と、そう話していたのだけれど、ほんとうに、そんな理想的な臨終の時を迎えてくれた。


 二年前、父の死の連絡を受けたときは、ドッと涙が出て止まらなかった。けれども、今回ぼくは、とても冷静に受け入れることができた。
 きっと母のときの方がつらいだろうと想像していたから、この冷静さは自分でも意外だった。
 そして、すぐに、このぼくの反応は、母が一年近く認知症を患っていたせいだと思った。

 数年前まで、母はいつも調整役に徹していた。家族、親戚、お檀家さん。誰が相手で、どんな話のときでも、母は徹底的に聞き役に回っていた。そして、自分の感情を表に出すことはなかった。それが自分の役割だと心得て、一生懸命、担ってきたのだろう。

 しかしこの一年、認知症の母は、そんな役から解放されていた。「おのれを殺して、務めを果たす」のではなく、ただただ、自分のためだけの時間を生きてきた。「母」でもなく、「親戚のおばさん」でもなく、「お寺の奥さん」でもない。母は、素の自分自身として、話し、食べ、笑って、日々を過ごしていた。
 とても人間らしい姿だった、と思う。
 そのおかげで、ひとつの人生を生きたひとりの人間として、ぼくは母のことを少し客観的に見つめ直すことができた。母の最期も、だから、冷静に見送ることができたのだと思うのだ。

 世寿九十歳。ありがとう母さん。



追記

 母の葬儀の日に、ぼくの娘に女の子が産まれた。
 ひとつの命が逝って、またひとつの、新しい命がやってきた!
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火宅

2009年01月18日 | Weblog
 坊さんになると、多くの人々のいろいろな話を聞く機会があります。
 そしてボクは「世の中、問題のない家庭など一軒もない」という事実を知りました。

 仏教には「火宅」という言葉があります。この場合の「宅」は「現世」「世の中」のたとえであって「家庭」を指すわけではありません。しかし「問題のない家庭など一軒もない」と考えさせられるたびに、ボクの脳裏にはいつも、この「火宅」という言葉が浮かぶのです。

 人と人とが出会うことから、とてつもない修羅が生み出されます。お釈迦さまは、だからこそ「犀の角のように独り歩め」と強調されたのでしょう。
 しかし、ほかの何ものにも代え難い感動が生まれるのも、やはり人と人との出会いからです。
 「生きていてよかった、ありがとう!」と心から思える素晴らしい出会いがたくさんありますよね!
(ボクにとって、その最高の形態は「恋愛」です。そう思ってしまうところが、ボクの限界であり、いつまでたっても生臭いゆえんなのですが……)

 それで、吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」の歌詞そのまんまですが、「やっぱりボクは人にもまれて、みんなの中で生きるのさ」と思ってしまうんですね。
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1月、お寺は忙しい

2009年01月10日 | Weblog
 宗派や地方によって違いはありますが、お寺の1月は、12月に続いて忙しい月です。
 例えばボクのお寺では、1月中に、五種類の「紙札」を持って、お檀家さんの家を回ります。
 つまり、この一か月間は、お檀家さん回りを続けながら、並行して紙札を作り続けなければならないのです。そのうちの三種類の紙札はすぐに作れるのですが、問題は残りの二種類。これが大変です。
 作り方を説明しますと……

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●紙札の作り方

 まず、準備作業として、たくさんの奉書を寸法通り切っておきます。

 次に、紙札をコピーします(昔は版木を使って一枚一枚、刷っていました)。
 この紙には余白が多めにとってあって、二つ折りにします(紙札に厚みをもたせる作業です)。
 二つ折りにした内側に、内符を貼り付けます。
 そして紙札の二か所に判を押します。

 それから、この紙札にハオリを着せます。
 ハオリ作りには、紙札の倍の幅の和紙を用います。(文章では伝わりにくいので詳しくは書きませんが)その和紙を五回折って、ハオリにします。

 最後に、金帯をかけます。
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 この方式で作る紙札が二種類ですから、ホント、大変です。とは言え、これはボクの仕事ではありません。ボクの奥さんが作ってくれるのです。ボクの役目は、できあがった紙札にタマシイを入れること。これなしではお札になりません。

 1月は、このお札を持ってお檀家さんを回り、お仏壇かお床か神棚の前でお経を読むわけです。
(「神棚の前でお経を読むなんて、おかしいぞ」と思われる方も当然おありでしょうね。これについては、また日を改めてご説明いたします。)

 え?

 「お札は奥さんが作っているうえ、お檀家さん回りは、去年から坊さんになった息子が手伝ってくれるはず。そんなに忙しくはないだろう」ですって?

 ……ええ、そうなんです。
 お寺としてはメチャクチャ忙しいのですが、ボク自身は、まあ、わりかし、のんびりと、正月を満喫させていただいた、と言いましょうか……。えへへ。
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新年明けましておめでとうございます

2009年01月04日 | Weblog
 穏やかな元旦でした。

 ボクのお寺では、元旦は、朝七時より「元旦祝祷会」。
 まず30分ほどみんなでお経を読み、それから、お屠蘇をいただきました。

 この元旦祝祷会、ボクにとっては、「新しい年が始まったんだ!」と実感する大切な行事なのですが、年々お参りの方が少なくなってきています。
 いや、参加者が減っているのは、お寺の行事だけではありませんね。年末年始のイベントは、全体的にすたれつつあります。調べたわけではありませんが、きっと、この地方だけでなく全国的にそうなんでしょう。

 考えてみれば、今では正月一日からコンビニが開いているから食事の心配はいらない、つまり、おせち料理は必要ない。正月を迎える「伝統的な準備」は、大掃除から始まって30日の飾り付けまで、どれもこれも大変といえば大変です。
 まあ、大変だからこそ、ハレの日というか、非日常的な感じがして、「さあ、いよいよ新年だ」と気持ちが高揚してよかったわけですが、今の世の中、一年中、お祭りかハレの日みたいなもの。「年末年始にハレの気分を味わおう」という意気込みが薄れるのも当然のことかもしれません。

 でも、お寺という、日本の伝統をしっかり受け継いでいる世界で生きているせいでしょうか、年末年始が日付という単なる数字の変化にすぎなくなってしまうのは、ボクはさびしくてたまりません。

(と言いながら、年末は30日、31日とお葬式があって、年内最後の掃除は家族にまかせっきり。さらに、31日に行うのは好ましくないと言われる飾り付けも、30日の夜11時、滑り込みで終えてホッとしていたありさま。「伝統を受け継いでいる」なんて偉そうなことは言えません。)

 ドタバタのうちに暮れた後だけに、いっそう穏やかに感じられたお正月。
 ブログもしっかり書いていこうと心静かに決意しました。

 本年も、どうぞよろしくお願いします。
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餅つき会、開催!

2008年12月26日 | Weblog
 いったい何人ぐらい来てくれるのかと、寝ても覚めても心配し続けた「餅つき会」、ついにその日がやってきました。

 結果は、……大盛況!
 100人とまではいきませんでしたが、実に、70人から80人も集まってくれました。「100人分作ろう!」なんて、なかば勢いで言っていたトン汁ですが、ホントに100人分作って大正解。その場でほとんど平らげて、ほんのちょっぴり残った分は、翌日、ボクと家族がいただいて完食。

 餅つきは力仕事です。そこで、「若者グループ」を結成して、もっぱら彼らの力で乗り切る心づもりをしていました。
 ところが、です。
 いざ始まってみると、おじいちゃん・おばあちゃん世代のパワーが大爆発。驚くやら嬉しいやら。ほんと、頼りになります。
 もちろん、若い人たちもがんばってくれて。おかげで、お寺に若い息吹がふきこまれたと言うか、いつもの行事とは雰囲気が違い、新鮮で楽しかったですねえ。
 境内では、三世代がゴチャゴチャになって、遊んで、笑って。
 夢のようにすてきな光景でした。

 そうそう。おもしろかったのは、餅米を蒸しているとき。
 何人かの子どもが、薪の火をじーっと見つめているんです。近ごろは焚き火なんてほとんどしないから、勢いよく燃え上がる火が珍しかったのでしょうか。それとも、子どもも火を見ると気持ちが落ち着くのでしょうか。
 お年寄りが火の番をしている、そのそばに座り込んで、同じように火を見つめている子どもの姿。なんだか感動的だったなあ。

 蒸し上がった餅米は、臼に移して、つきもついたり、全部で八臼。
 どれも、見事なつき上がりでした。

 三臼分はその場で食べたのですが、つきたての餅の、なんとまあ、うまいこと!
 いろいろな食べ方をしましたが、王道は、やはり大根おろし。ポン酢と七味を少しかけると、もう、絶品!
 それから、準備会のときボクが提案したら、みんなが「ええっ?」と驚いた納豆。ここらへんも最近は納豆を食べる習慣が定着しているのですが、さすがに「餅に納豆」はゲテっぽく感じられたみたい。ところが、これもなかなかの人気だったんですよ。
 あとは定番の餡ときな粉。もちろん、これも二重丸。
 残り五臼の餅は、参加者みんながおみやげに持って帰りました。

 あー、おいしかった、楽しかった、嬉しかった。
 来年もやります!
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テレフォン法話

2008年12月18日 | Weblog
 ボクは地元の坊さんグループに所属しているのですが、そのグループの活動の一環に「テレフォン法話」があります。
 ある番号に電話をかけると、ボクたち坊さんの話が聞ける仕組みで、毎月2話ずつ、一年で24の法話を電話で流しています。

 先日、「テレフォン法話」の収録に行ってきました。来年前期分の法話をプロのナレーターの方に読んでもらい録音するので、ボクが立ち会ったわけです。

 これも「歳末助け合い募金」と同様で、やる側のボクたちは一生懸命なんですが、残念ながら、「大反響!」「聴取者からは、もっと聞きたいの声が殺到!」なんてことには、なっていないんですよねぇ。メルマガを使ったりして告知に励んでいますが、聴取者の数も伸び悩んでいます。

 そのグループの幹事長の話には、よく「費用対効果」が出てきます。費用対効果を真剣に考えると、テレフォン法話は意味がない、中止したほうがいいということになるのかもしれません。

 テレフォン法話の意味……ボクとしては、まあ、ナレーターの女性と一年に二回会えるというだけで、十分、意味があるんですけど。

(……って、そんなボクひとりの「効果」ではいけません! しかし、とにかく、今日は収録が終わったら、忘年会がてら、いっしょに食事してきます。)
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「餅つき会」の準備

2008年12月17日 | Weblog
 今月の23日(天皇誕生日)、お寺で「餅つき会」をすることになり、まず、その準備会を開きました。
 集まってくれたのは、およそ20人。若い人(お寺にとって「若い」とは、30代、40代、50代のことですよ)にも声をかけたら、(いつもいろいろ尽力してくださる「若い」役員さんのほかに)7人も来てくれました。うれしいなあ。

 それにしても、あらためて思いました。お寺は、ほんとに恵まれています。いろいろな人材がいて、みんな、惜しげもなく力を貸してくれる。それも若い人からお年寄りまで、三世代が集まって、協力してくれるんです。

 60代以上の人は餅つきの経験があるので、段取りはすべて承知しています。何を用意したらいいのか、あっと言う間に決まりました。
 餅米は、うどん屋さんと農家の人が持ってきてくれる。ジュース、ウーロン茶、紙コップは、酒屋さんの息子さんが寄付してくれる。トン汁も作ろうということになったけど、その材料も、豚肉とコンニャク以外は、全部誰かが畑から持ってきてくれる。

 一臼(ひとうす)って餅米二升だそうですが、これをつくのはけっこう重労働。餅「つき」とは言いながら、実際は、「つく」というよりは、杵(きね)で「こねる」時間のほうが長いそうです。これにはパワーとタイミングが大切ですが、甲子園に出場したキャッチャーもいるから、だいじょうぶ。

「トン汁は、何人分、作ろうか?」
「100人分くらい、作りましょう!」

 準備会の盛り上がりにまかせて、そんな威勢のいいことを言ったけど、さて、本番では何人ぐらい来てくれるでしょうか。お檀家さんには案内状を出したし、町内の子ども会の役員さんにも声をかけました。

 でも、ふたを開けたら、準備会に集まってくれた人たちだけだった、ということもありえます。
 まあ、それでもいいや、と心の準備も怠りなく、同時に頭の中では、じいちゃん、ばあちゃん、父さん、母さん、そして子どもたちがギャーギャー言いながら境内を走り回っている光景を思い浮かべてます。

 う〜ん、餅つき会の本番まで、期待と不安の日々ですね。
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気をつけなきゃいけないことばかり

2008年12月15日 | Weblog
 山本周五郎の『栄花物語』を読みました。
 田沼意次の話だけど、とても好意的に扱われているのでびっくり。田沼意次は「賄賂で私腹を肥やした悪徳政治家」ってイメージしかなかったからなぁ。

 でも、もしも単なる悪人だったら、この平成の世まで名前が残っているはずないよね。大仕事をしなきゃ名は残らないし、権力をふるって大仕事をすれば、そりゃあ私腹も肥えるわなぁ。

 読み終わったところで、これはイカン、ボクは無知だ、田沼意次について何も知らなかったんだ、と猛反省して、吉川弘文館の『日本史年表』を見直したり、インターネットでいろいろ検索したりして、知識を補充しました。そうしたら、これは田沼意次とは別な話だけれど、もうひとつ、大勘違いをしていたことに気がつきました。

 「明暦の大火」ってあるでしょう。通称「振袖火事」。
 ボクの実家のお寺は、もともと神田岩本町にあったんだけど、この振袖火事で焼けて、今の地に移ってるんです。
 そういう因縁があるので、この振袖火事については、ボクはよ〜く知っているつもりでした。

 ところが、です。

 振袖火事の発端は、「八百屋お七」の放火だと思っていたのに、それ、違うんですね。
 八百屋お七の事件は、振袖火事から二十数年後の、まったく別の話。
 知ってました? 知らなかったのはボクだけ?

 でも、言い訳をすると、この二つの火事の話、そっくりなんです。
 どちらも、15、6歳の少女の恋愛事件。
 そして、どちらも坊さん相手に片思いした末、失恋してるんですよ。

 なんと罪つくりの坊さんか。
 一方的に惚れられてるんだから、その美しさが罪なのか。

 う〜ん、ボクも気をつけなきゃ。

 (と書いたとたん、あたりの空気がシラ〜っとしたのは、なぜ?)
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