最中のブンダン記念日


とりあえずやってみる

記憶

2017-05-17 12:54:34 | 日記
 履歴書と職務経歴書を作り直しております。ですがやってて、ばからしくなると言うか、なにやってるんだろ?って気になります。だってこの年なんだから、結婚離婚しているんだから、職暦だって増えるに決まっておろう?どないせいっちゅうねん?

 そうして耳は相変わらず不調。左右で聞こえ方が全くちがくて、右が聞こえているんだかよく分からない。薬の袋をよく読んでみたら、全部鼻炎の薬でした。wだよね。メニエールって薬で治しようがないって、ビタミン剤しか出せないって、前に言われたことある。

 何が怖いって、じわじわとまた色んな記憶が蘇ってきていること。4歳の時、耳が聞こえなくなったのは、その時の病名もメニエールだった。普通に考えて、4歳児がストレスで耳が聞こえなくなるって言うのは、異常なことだと思う。病院から帰ってきて、うちの話で両親はまたケンカ。

父 「子供のくせにストレスだと?もうちょっと優しくしてやれ?なにバカな事言ってるんだ。ちゃんと遊んでやってるじゃねぇか!オレの子供なんだから、オレのおもちゃなんだよ。オレの好きなようにするんだよ。お前もくだらない事言ってるんじゃねぇよ!」そう言って母も殴られる。
母 「だけど他の病気にもなってるんじゃないかって先生に言われて、この体系はそのためなんじゃないかって。」
父 「そんな事あってたまるか!」

 そう、その頃のうちは、アフリカの飢餓の子供たちとそっくりな体系をしていた。やせ細った体なのにぽっこりとぱんぱんに膨れ上がったお腹。父はそんなうちを見てバカにして笑ってた。「アフリカの子供みたいで、みっともねぇなぁ!なんでそんな腹してんだ?お前みたいなみっともない子供、なかなかいねぇぞ!」って。親戚が来ればそれを話してはみんなで笑いあっていた。ある時はうちが寝ている間にみんなでカルタを作っていて、アフリカの飢餓の子供はいつもお腹をすかせている。と言うカードで、うちの絵が描かれている。わーん!わーん!いつも泣いている甘ったれはだあれ?そこでもうちの絵が描かれている。その札が取られるたびにみんなで大笑い。そっか・・・だから外見に自信が持てないんだ。だから自分が人に見られるのが嫌いなんだ。だから親族もみんな嫌いだったから、付き合いがなくても寂しいなんて思わなかったんだ・・・。
 その後、うちは自家中毒で長いこと入院した。お医者さんの見立て通りだった。

 多分、うちが生まれるまで、似たようなことを姉がやられていたのではないかと思う。だから姉は父が大嫌いな訳で、だから父と私が仲良くしていれば、お前バカなんじゃないの!って、なんか怒ってて、なんでだろ?って思ってたけど、うちは所々記憶がなくなっていたから。記憶が全てあったのなら、それが当たり前の反応だったのではないか?とね。

 父がどう育ったのか、あまり知らない。ただ、貧しくて自分だけ厳しく育てられ、弟たちはみんな甘やかされまくったらしい。まともに働いている弟は一人だけ。わがままで意地悪な祖母は、認知症になってもみんなを最後まで困らせ、目だけぎょろぎょろ動き、運ばれるがまま口を動かして食事をし、そのまま毎日天井を見続け、14年近く生き続けた。だけどそろそろ本当にお別れが間近ですってなった時、みんなで会いに行った。姉は行かなかった。その頃は声をかけても丸で反応もなく、目も全く動かさなくなっていた。だけどね、その祖母が父が声をかけたら反応した。「おい、クソばばあ。せっかく見舞いに来てやったんだから、ちょっとくらい反応したらどうなんだ。まだ生きてんのか?」そんな悪い言葉に、3度目くらいで目を動かして祖母が父を見た。ぎょっとした顔をして、その途端に涙を流して小さな声をあげて泣き始めた。「ごめんなさい」みんなは耳を疑った。「今なんて言った?ごめんなさいって言った?」何度かみんなで聞き返すと、やっぱり「ごめんなさい。」と言う。父が突然切れて掴みかかった。「ごめんなさいだぁ!?お前が今までどれだけみんなに迷惑かけてきたと思ってんだぁ!!!ごめんなさいで許されると思ってんのかぁ!!!早く死にやがれ!クソばばあ!」みんなで父を引き離した。それがその親子の最後だった。父が若くして借金を背負ったのも、祖母のせいだったのだろう。父がどう育ってきたのか、あまり知らない。

 仕事が見つからなくて困った32歳の時、自分に出来ることってなんだろう?得意なことってなんだろう?そう考えてみた。人を笑わせること。全然喋らない人とでも仲良く喋れるようになること。障害のある子とも仲良く遊べること。どれか仕事になる?って考えたが、大卒ではないうちには全く何も出来なかった。通信制の大学も調べたけど、全くどうにもならない金額だった。だからとりあえず、日雇いのバイトと、飲食店のバイトを色々してみることにした。

 とある日雇いのバイトで、春休みの短い期間、子供が遊べるちょっとした無料施設の監視と説明と報告。簡単な仕事だった。毎日子どもがたくさん来た。1日に何度も何度も来る子供もたくさん居た。ほとんどの子が両親ともにいるのだけど、みんな共働きで、みんな元気だけど、親に甘えたいけど甘えれなくてって、そんな子が多かった。だからうちと手を繋ぎたくて奪い合い。w別に聞いていないのだけれど、子供は自ら話し始める。多分その子達の親とうちが同じくらいの年だったのだろう。その中に一人、みんなで仲良く遊んでいる和を乱す男の子が居た。聞いてみると順番を守らないらしい。その子は有名だったらしく、その子が居るってだけで帰ってしまう子もたくさんいた。ちゃんと順番を守らせたら、みんなと仲良く遊べるようになって、全然良い子だった。

 翌日からその子は仲良しの男の子と毎日朝からやってきた。機敏なその子と、仲良しの子はぽわ~っとしたおっとりした喋り方で2人はとっても対象的だった。ぽわ~っとした子が話し始めた。○○ちゃんはね、すごく優しくて良い子なんだよ。みんなに嫌われてるけど、時々ちょっとおかしくなっちゃうだけなんだよ。いつもすごく優しいんだよって。
 機敏なその子は朝一番でやってくる。ゲームがしたい訳ではない。朝一番なら誰も居なくて、仲良しのその子と2人だけだから、うちと手を繋いでいる所も誰にも見られなくてすむから。ただ普通の親子がするように、お母さんにくっついてどうでも良いお喋りをしたかっただけ。

 その子は小1で、一度も朝ごはんを食べたことがないと言う。祖父母と一緒に暮らしているらしい。食事は祖母が作ってくれるけど、一度で良いからお母さんが作ったご飯が食べてみたいと言う。おにぎりで良いんだって。だけど若い母はいつも夜働いてて、帰ってくると疲れて寝てしまうから無理なんだって。時々休みな時は起きているけど、大概疲れて寝ているって。起きていても彼氏とデートに出かけてしまうからって。だけど時々僕も連れて行ってくれるよって。お母さんのおにぎりが食べてみたいんだって。おにぎりで良いんだって。聞いてて泣きそうになった。なにもしてあげられなかったけど。ごめんね。
 姪っ子も小さい時、似たような事言ってた。姉は時々料理してたから、母が無理やりやらせてたから、姪っ子はすごくおいしいって喜んで食べてたよ。うちも食べたけどね。大しておいしくもなかったけどね、味じゃないんだよね。疲れてるけど作ってくれたことが嬉しいんだよね。だからすごくおいしいんだよね。だからまた作ってもらいたいから、おいしいって言っておかわりするんだよね。味とか見た目じゃないんだよね。

 なにがしたい?って考えると、寂しい子供を作りたくない。なにか心が救われれば良い。だけどさ、自分の生活もあるから、どうすれば良いんだろう?なにならやらせてもらえるんだろう?
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