小さい時から、かわいがってくれた叔母が、18日朝、ホームで息を引き取ったと、その夜いとこから電話があった。
母方の姉で、95歳の大往生と言ってもいいと思う。まるで、病気のデパートみたいな人で、最後まで天寿を全うしたと思いたい。
同い年の長男とは、この田舎でも、兄弟の様だといわれた。
妹とは、今でも旦那ともども付き合いが続いている。
とにかく父も、自分の身の親戚はほっておいても、修繕や、草刈りなどは、優先して行った。
連れ合いが亡くなったときは、野焼き(遺体を、畑で、一晩かけて燃やす)にも立ち会って、骨も拾った。
そんな叔母が、まるでサイボーグのように、全身の血液を入れ替え、ほとんど溶けかけていた内臓を直接チューブで補完して、今まで生きていたのは、奇跡に近いと思う。
孫が見舞いに行っても、昇さん、よう来てくれたと喜んでいたという。
自分の体の不調のせいにして、見舞に行けなかったことが今更悔やまれる。
葬式は行わず、身内だけの家族葬で弔うということなので、今日、夜、最後のお別れに行ってきた。死に化粧を施された叔母は、老いの美しさで、毅然として眠っていた。
思わず涙が溢れそうになって、長男や妹の前で泣きそうになった、
辛かっただろうなあ、いろんなしがらみがあって。その愚痴も私には一杯話してくれた。
帰り際には、野菜や菓子をたっぷり持たせてくれた。母に内緒だと、お小遣いまで、こっそりくれた。
せめて安らかに眠ってと祈る。
今夜は、寝る前に少し御経でも唱えることにして見ようか。
合掌・・・
なんとか会えてよかったよ。