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福島県鏡石から避難してきた若い母親の体験とメッセージ。追記あり♪

2011-12-28 01:26:37 | 避難してきたママ「のりちゃん」の体験

*追記:

 この体験を書いてくれたのりちゃんに写真を送ってもらいました。

 コメント欄にも、ほかのママからのメッセージが入ってます。ぜひ、読んで下さい。

 距離を超えて、つながり合うことで、勇気と力が湧いてきます。それがこのネットというツールの素晴らしいところだと思います。

  

先日、縁があって知り合ったた、若いお母さんのりちゃんと子ども達。

彼女の被災体験を少しだけ聞かせてもらって・・・、その体験を文章にしてもらいました。

ぜひ、皆さんにも聴いてほしかったからです。

 

のりちゃんは、私のお願いを快く引き受けてくれました。『文章ヘタだけれど、一生懸命書いてみます』って。

 

これは、福島県の鏡石という町から北海道へ避難してきているお母さん

とびさわのりこさんの体験と心からのメッセージです。読んで下さい。

 

のりちゃんは29歳のシングルマザー。6才の女の子、4才の男の子の二人の子ども達がいます。(可愛い元気なこどもたちです)

【今年のクリスマスのとき】


鏡石は原発から60キロ。
3人は6月9日、北海道にはいりました。以下はのりちゃんの体験です。


【3月11日・・・その日】
私は震災が起きることを感じていました。
あの日、めったなことがない限り休ませることのない子供たちを何故か休ませていました。
そしてあの恐ろしい震災は起きた…
起きたとき、子供2人を両手に抱え震え泣き「神様もーやめて下さい」と空に叫んでいました。
私はコレをきっかけに世の中が破滅へ向かうと悟っていたからです。
外へでるのが怖かった…家を見るのが怖かった…世界滅亡の映画とかでよく見るあの光景が頭をよぎっていたから…
何日も鳴り止まない警報と、揺れ続ける地面に毎日怯えました。
それから避難所生活も経験し、沢山の困難がありました。
なんとかやり抜き、地震が収まってきたころから、放射能の問題が大きくなってきました。
私は自分たち国はどー守ろうと考えてくれているのか、この目で確かめるために文科省に5月末に行きました。
そこで目にしたのは言い逃れする、情けない姿…
私たちを見捨ててる!と気づき、呆れヤジを飛ばす気力もわきませんでした。
その日から私は全力で自分が動くんだ!と決意し、北海道に来る直前まで放射能の危険性を訴えました。
大好きだった知人を家族を敵に回し、理解されず毎日涙をながしながらやりました。
そして、愛する福島を離れ初めての土地(北海道)にきたのです。


【父の死・・・握った手】
北海道に来てすぐに私は沢山の仲間に出会うことになりました。
私を北海道で非難する人はほとんどいません。
私の話を真剣に聞いてくれて、私と子供を精一杯応援してくれます。
どこに行っても必ず仲間が救ってくれました。

そんな大切な仲間に出会って、震災すら感謝できるほどになっていました、

そして私は福島を出るときに仲間に言った「みんなを動かせるほどの大きな人間になって帰ってくる!」を成し遂げたいと考えだし、また沢山の人に支えられながら成長してこれたよーに思います。

そんな中、私の意志を強める出来事が起こりました。
それは父親の死です。
9月24日に母親から連絡があり、父親が15日から入院していたのだが、様態が悪いからできれば帰ってきてほしい…と言うことでした。
私は急いで手配してもらって、26日に子供と帰りました。
予想をはるかに越えて悪い状態の父親の姿に唖然としました。
「きたよ」と手を握るしかできなかった…
父親はその日から日を追うごとに悪化し、本人の誕生日である30日に、濁った色の血を吐いて亡くなりました。
病名は悪性リンパ腫! 白血病の類です。

先生もこんなに早い進行はみたことがない、と言いながら頭を傾げる程度でしたが、私は放射能だ!と疑いませんでした。
仲間のお陰で父親の死も受け入れ、私はみんなより先に見せられたんだ!と直感し、この日「父親の死は絶対に無駄にしない!」と誓いました。


あの出来事を筆頭に数々の健康被害を耳にしてきました。
北海道でもあります。私はみんな救いたい!
大人が責任をもって子供を守るときだ!と強く思います。
1人1人が自分の力で立ち上がってほしい!
誰かのせいにしたり、誰かに命を預けるんではなく、今こそ仲間と繋がり乗り切るときだと思う!
愛を忘れないで下さい
放射能に勝には愛の力なくしては叶いません。
私は今すべきことをします。皆さん勇気をもって動きましょう!

【避難所生活・・・子どもたちの笑顔】
私の家は、あの凄まじい揺れに絶え半壊ですみました。子供たちに準備してきた子供部屋は使えなくなりましたが、隣近所の家は全壊していたので、それだけでも有り難いと思います。

しかしいつまた大きい地震が来るかもわからず全壊する危険のある家にはいれず、父親の兄弟の平屋にお世話になることにしました。
しかし子供のいないその兄弟にとって、子供たちがうるさかった…、一週間しかもちませんでした。
あのとき、家族ってなんの為にあるんだ…今助けあわなくて、いつ助けあうんだ?と嘆き悲しんだ。

この出来事から避難所へいく決心をし、家を出ました。
避難所には見知らぬ人が沢山いました。布団をひくスペースだけが自分たちの生活範囲、いい人もいれば悪い人もいる、みんなの心を乱す人が1人いて、子供たちにとってもツラい生活でした。

ボランティアも被災者です。
自分の家もまだ片付いていない中、一生懸命食事の準備などしてくれました。
私たちの行った避難所には子供はうちの2人だけでした。あとの人は避難所生活の過酷さに耐えきれず出ていきます。
避難所にはまさしく笑顔がなかった…悲しみしかなかった…

その中で子供たちは自分たちにできることを自分で考え、なんとお年寄りにボランティアをしていました。
ずっと戻らない子供たちを探しにいくと、あの子たちが折り紙教室をひらいていたのです。
その部屋には笑顔と希望が溢れていました。
子供は天使だ★と思った瞬間でした。
震災があって沢山の悲しみと困難があったけど、人間として大切な本来の生き方とか、見失いがちなものも沢山学びました。

 【通いなれた故郷の道。震災後です】

 

・・・・ここまでが、のりちゃんの体験とメッセージです。

 ****

読んでいてね、・・・私は涙が出てきました。

私が出逢ったとき、のりちゃんの子ども達は、無邪気に遊んでいました。

この子たちが、どれだけの体験をこの幼い体でしたきたのか・・・。

(子ども達心はね、きっと大人よりもずっと豊かなのね。その笑顔に大人が癒されます)

 

そして、自分のお父さんの急で壮絶な死を・・・のりちゃんはまっすぐに受けとっています。

 

東北の大震災と原発事故が、

あの自然豊かな福島と東北、そして日本に、世界にもたらしたことは

ほんとに大きなことだと・・・・、心底思います。

 

『事実』というのは受けとる人によって、違うものになってしまいます。

『放射能』『被爆』『原発』についても、研究者や専門家さえ見解がちがうので、私たちは情報に

混乱して、翻弄されてしまう。

(でも、それは何をとってもそうなのです。「見解」や「見方」なんて山のようにある!)

 

ただ・・・、『体験したこと』の事実は変わりません。体験が、そこにあるのです。

国が、社会が、認めなくても、・・・私は認めています

原発事故は、多くの生命を『死に至らしめる』という事実を。

 

今日のりちゃんに、私はこんな質問をしました。

『お父さんはどんな仕事をしていたの?

他にものりちゃんのところへ健康被害の情報は届いている?』

のりちゃんは、こう答えてくれました。


「父は土建で働いていましたが、震災前から仕事はあまりなく、頼まれたら行くかんじでした。
震災があってからは、娘の言うことも聞かず、半壊した家の修復作業をマスクをしないでやったり、行政の指示のまま田畑を耕していました。

健康被害は沢山はいってきています・・・
父親と同時期に突然なくなった方が多かったです!
今地元の仲間でも、甲状腺の異常と、体のだるさを感じるなど、「ひろしま」の原爆病とまったく一致する被害がでてきています。
30キロ圏内の中では、髪の毛が抜け落ちる、気力がなくなるなど報告があります。
最後には血を吐いて苦しみ死んでいきます・・・

医者は市民に大丈夫と言いながら小児科を増設しているらしく!無責任な大人によって、沢山の命が失われます・・・
原発の作業員はもちろん、市民でも爆風を浴びた方がいて、避難はしたもののすでに亡くなられています。
作業員は溶けるように亡くなり、遺体はビニールにいれられヘリで運ばれたことも、隠された真実です・・・
一般市民は除染はしてはいけません!
それを知らず子供を思い、無防備にもやってしまった人は、心拍の乱れなどに苦しんでいます。
各地での突然死が言われています!
ボランティアに入られた方でもでています。」

 

福島では急死しても、体調が悪くなっても

『放射能の影響で亡くなったと・・・』とは、決して誰も口にださないそうです

 

・・・それはきっと・・・、出せないのだと思います。

出したくない・・・


自分の故郷が・・、大好きな人が・・、大切な人が・・・、そう考えるとき、フクシマの出来事は、

他人事ではなくて、

自分のことと同じだし、その哀しみと傷みが・・・伝わってきます。

 

今、北海道では苫小牧市がガレキの受け入れを表明しているそうです。

どんなに避難者や原発反対の人たちが声をだしても、多くの地元の人たちが声を出していかないと行政も市長も動きません。

だから、声を出し合いましょう!みんなの声が集まると大きなエネルギーになります。

 

大地と大気を守らないと、子ども達が困るもの・・・。

無邪気な笑顔は、子ども達がお手本。その笑顔を未来にも、つなげたい

 

「もう大丈夫だよ」って、「よく頑張ってきたね」って・・・、のりちゃんたちに、心から言ってあげたいです。

 

のりちゃんは、体験をまとめて書いたことがなかったので、あの頃の情景を思い出して伝えてくれました。

「思い出して涙が出てきました。いろんなことを乗り越えてきたんだなって、改めて思いました」ってメールをくれました。

 

ほんとに、母は強し!です。守りたいものがあるとき・・・、人はほんとに強くなります。 

母の愛も父の愛も、理由なんてなく、あるんだもの! 

 

「みなさんのお力をかしてください!」のりちゃんからのメッセージです。

 

*3月25日追記

原発推進のひとも、脱原発のひとも、無関心のひとも・・・・

「生命」「自然」「未来」を守るために、 これから「どうしたらいいか?」を一緒に、考えていきたいです。

おなじ意見にならなくてもいい。でも認め合わうことも大事だと思うのです。

そこから、何か新しいことが生まれるんじゃないのかなって。

 

マイナスのエネルギーや言葉を大きくすると批判や差別が、生まれます。

それが子ども達や若い人の社会へ伝わります。

 

子ども達が無邪気な笑顔でいられるように・・・。

そしてお母さん達が安心して、子どもを育てられるように・・・、心から願ってます。

 

だから・・・、自分のほんとの気持ちをここで話してください。

『どう・・・思われるかしら?』って思っちゃうけれど、心配はいりません。

きっとね・・・、みんなも、そう思っています。そう思っている人たちもいます。

だから、大丈夫です。今起きてること、体験したことを話してください。


それが今を変えていく大きな力になっていきます。

あなたの想いを・・・わけてください


子ども達と一緒に、この時代を乗り越えていこうね。

 

笑顔と愛を込めて!

みゆき


のりちゃんは、今日鏡石町にいます

 

福島県鏡石町と近隣のママたちへ!24・25日「つながり合う日」・・・のりちゃんより♪


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12 コメント

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ありがとうございます (とびさわのりこ)
2011-12-28 02:20:22
こんなにも、思いを乗せて書いてくれたんですね(;_;)
私は本当に幸せ者です(ρ_;)
こんなに長くても、大まかにしか書けていませんが、初めて文章にしたわりにちゃんと書けてるかもしれません♪
なんかとても嬉しいです(≧∇≦)
皆さんに伝わり、心に届くことを願っています★
はじめまして (keyco)
2011-12-28 17:16:58
のりこさんと同じく福島県の鏡石町に住んでいます。2歳と1歳の子供と今、三人目を妊娠中です。同じ町内で同じ震災を経験し、放射能についてこんなにも考え行動していた方がいたんだと、初めて知り嬉しく思いコメントさせて頂きました。

私は震災後すぐに埼玉の親戚宅に2ヶ月身を寄せ、その後も夏には秋田県に10月まで母子避難をしていました。周囲からは「鏡石は大丈夫なのに」とか「神経質」などと言われたり、避難出来ない近所の方などから白い目で見られたりと現在もつらい思いをしています。
金銭的にも体力的にも、母子避難生活が大変だったため、現在は鏡石町におりますが子供と室内に閉じこもっている生活が続いております。


のりこさんの行動力、勇気すばらしいと思います。北海道の方のやさしさも伝わってきました。私も秋田県でたくさんの方に助けられました。本当に感謝感謝ですよね。

私も福島から避難することは難しいですが、何か出来ることから行動しています。

最近放射能の恐怖が薄れてきているような気がします。子供を守りましょう!北海道の子供をふくしまの子供と同じ思い、経験をさせないように守っていってください。

ありがとうございました。
keycoさんへ (みゆき)
2011-12-28 20:15:40
思い切ってコメントくださってありがとうございます。

辛い思いもたくさんしてきたんだね。大変だったね。

のりちゃんの体験がこうやって、伝わってうれしいです。
のりちゃんへも伝えました。それぞれの思いをつなげていきましょうね。

北海道にいながら被爆をした双子のお父さんがサイトを立ち上げています。http://2011kazu.web.fc2.com/index.html
自分の子ども達を守りたいって、親たちが動いています。

keycoさんも、子ども達と笑顔で過ごしてくださいね。(むずかしい時もあるかもしれないけれど)
ママの笑顔は、子ども達の最大のエネルギーになるから(^^)

ありがとう。

わ~い (とびさわ のりこ)
2011-12-28 23:08:16
(|||▽|||)
すっげー嬉しい(><。
3月に戻った時には必ず会いたい!
勇気が湧いてきた!!
大変な思いされていると思いますが、子供を守る強い思いさえあれば、みんなが助けてくれます。今は頼って、子供を守り抜いて恩返ししたらいいと私は思っています。
支援してくれる方々の思いは、苦しいところから離れ、幸せになってほしいのですから(^v^)
私は北海道にきて、沢山の人に出会い、私たちを思う気持ちを聞いてきました。
そんな幸せを独り占めしてますが(^O^)
私は見たもの全てを福島で伝えようと思っています♪
声を出してくれて嬉しい(*^_^*) (本田 淳子)
2011-12-29 22:47:14
私も鏡石町からの避難者です。札幌から声を上げるためにできる事やっています。
のりちゃんの体験したこと一緒に行動していたにも関わらず改めて読んでみて、壮絶だったなと実感しました。
今日、ついさっきですが郡山市の美容室経営の知人から電話があり、お客さんで40代の方が血液がたくさん作られてしまう病気に突然なってしまった方がいると聞きました。
お父さんも白血病になったようです。
少しずつジワジワと放射能の影響が出てきているようですね。
私も3月にはぜひ、のりちゃんと共に福島でアクションを起こしたいと思います。
淳子さんへ (みゆき)
2011-12-29 23:55:04
メッセージをありがとうございます。
書いてくれたことに感謝します。
心から応援しています!
メッセージ (とびさわのりこ)
2011-12-30 00:20:13
ありがとうございます(o^∀^o)私を常に支えてくれる仲間です♪
結構、自分のこと話してないことのほーが多いのかもしれません。というか、今は常に前向きだからなのかもしれません(⌒~⌒)苦難を学びだと全て受け止めています♪
郡山で白血病がでてしまいましたか…
やはり急がないと間に合わない(ρ_;)
子供を守りましょう (三児の母)
2012-01-16 19:40:04
福島の現状がよくわかりました。
声に出して下さってありがとうございます。
書いてくださったことに感謝します。
私の父も関東在住ですが、放射能に対する防御もしないまま、報道や政府を信じて、マスクもせずゴルフもやり食べたいものを食べ、心臓の病になりました。今まで心臓が悪いことなんてなかった父が。今までにもう2度も。じわじわと広がってきています。うるさくいう私がおかしいと言われています。家族なのに気持ちが通じない。のりちゃん子供たちを守りましょうね。
福島にいる子供たちも。
この気持ちをつなげていきましょう。
コメント (とびさわのりこ)
2012-01-16 22:04:25
ありがとうございます♪
今は北海道で現状を伝え続けています(^ー^)
みゆきサンの繋がりで、私の体の中に沢山の放射能物質があることをまた確認することができました(>_<)
福島でも、これがいいらしいよ!と聞くとなんでも取り入れて、今も体の中から出すために頑張っています(^∀^)
放射能は恐い、けど予防も対策も沢山やれることはあります♪
だから諦めてほしくないんです(^ー^)3月に福島で伝えてきます♪
家族と分かり合えないことほどツラいことはありませんね(;_;)
私も気が狂ってるとか、自分の勝手に子供を巻き込むな!まで言われましたが、自分を曲げる気にはなれませんでした。それはシッカリ放射能を勉強したからです。
理解されないの覚悟で必死に訴えていきます。命を守るために(^∀^)ノ
よろしかったら繋がって下さい★
鏡石 (あづまっかい)
2012-01-17 11:31:01
私は、関東在住です。母が福島県の出身です。
そして鏡石に友人家族が住んでいます。
福島には友人や親戚も住んでいます。

昨年秋、鏡石の友人宅に行きました。
インターすぐのアリーナに立ち寄りましたが、
そこで小学生たちが敷地内の枯葉が集まっているところで枯葉を舞い上げて素手で遊んでいました。
友人に話したら、「うちの子たちも枯葉は素手で触っちゃってるよ」と。。

友人宅には、就学前の子と小学生がいます。
私も、とても心配していますが、あまり積極的に放射能のことを話せません。
福島の友人たちも色々思うことはあるようですが、移住は難しいと判断しているようです。

友人は、せめて子どもの給食に福島産の食材は使わないでほしいのだけど、と言っていました。

どうか、福島の方が声を上げていってください。福島の美しい景色と住んでいる人たちが大好きです。私もできることをやらせていただきたいです。

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