詩の自画像

昨日を書き、今日を書く。明日も書くことだろう。

長い手紙(散文詩)

2017-07-12 11:01:33 | 

長い手紙

 

一日で書き終えることのない長い手紙を書いている、手紙の宛先は後で考えることにした。東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンから、六年が過ぎ七年目に入った。あの日から書き始めた手紙は、落ち着いた場所で書くことはできなかったからなのか、凸凹になった文章の上に視線を置くと躓いたりする。

 

だから手紙の中の文章に心を痛めた時間が多くて、ところどころ空白になっている、そこを埋めようとしても、もう記憶は帰ることを拒んでいるから、少ない字数であってもその日に帰れないのだ。七年目に入っても風評被害はたくさん残っている、目には見えないから手紙はところどころで立ち止まったりする。

 

手紙も古里に帰ろうとしているのだが、風評の種をあちらこちらで蒔く人がいる。その人の気持ちはこの手紙には書けない無情の声なのだ。帰還を進める為に、帰還可能な一年間の蓄積した放射線量も大きく緩めた、それでも古里に帰れるとなると六年も年老いた避難者の緊張していたものがほぐれ出す。古里という言葉は良薬なのだろう。しかし若い人たちは帰らないと言う、帰っても放射線量はまだまだ高く、働く場所がない、すでに新しい場所で新しい生活を始めた。沢山の理由がこの六年間の中に凝縮されてしまった。

 

六年間と言う月日は避難者側から見ると、十年にも二十年にもなる程長いのだ。古里の復興は若い力でと町村の声はあっても、幾つかの条件が揃わなければ帰る事は出来ないだろう。ここにも高齢者と若者との分断が見え隠れしている。これから先の健康不安も消えることが無い。放射線量の影響は健康被害をもたらすに至っていないと言うのだが、それを信じる若い子どもさんを持つ親は少ない。あの黒や青のビニールで隠されたフレコンバッグの山を見れば心が委縮するだろう。あれが現実なのだ。

 

中間貯蔵施設の場所は二つの町村にまたがり、放射能を含んだ汚染土などが三十年も眠る場所が生活する環境のすぐ目の前にある。その場所にあなたは帰れますか? と問われたとき、首を横に振るしかない。三十年が過ぎたとき、行き先のない中間貯蔵施設はどこに行っているのだろうか。がっちりと固定されたままそこに根付いている筈だ。どこの県も手を挙げてはくれないことからも容易に推測は付く。

 

何故、あの時周辺三十キロ圏内を国は買い上げしなかったのか と言う疑問を口にする人もいる。膨大な国民の税金を投入してもまだ終わりが見えない。ここまで書いて長い手紙を読み直してみたが、まだ半分も書いていない。

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