風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

幸福のレシピを捨てる時(上)

2017-07-13 | 自作小説
【一】

 「遥ちゃん、鶏肉が嫌いって言ってたから、入れてないわよ。」
小野寺悠太はその言葉に読んでいた雑誌から目を上げ、ハルカと呼ばれた娘の方を見た。
コの字のカウンター席とテーブル席が3つの店内には、シャンソンが流れモネのレプリカが数点飾ってある。若いころパリに住んでいたという”カフェ サントノレ”のママは、本場仕込みのフランス家庭料理と菓子を得意としていて、かなり美味かった。悠太は日曜日の夕方は、たいていここで食事をする。「ママ、とってもおいしいわ。」スプーンを口に運びながらママと話しているハルカという娘を、悠太は気づかれないように注意しながら観察した。ショートヘアでシンプルな白いシャツ姿が好ましかった。目が離せないでいると瞬間、娘と目が合った。遥は少し怪訝そうに見つめ返してきたが、またすぐに食事に没頭する。”かわいいな”と、悠太は思った。食事を終えた遥は、「ママ、また来ます。」と言って、支払いを済ませ、夕闇に包まれはじめた街に去って行った。
 「ママ、今の娘(こ)常連なの?」「そうね、月に2~3回ほどお見えになるかしら。あらまぁ、小野寺さんったら。」と、ママは横目で可笑しそうに睨む。悠太には、遥のハツラツとした仕草が新鮮に映っていた。

【二】

 遥は喫茶店を出ると、青山通りを表参道に向かって歩いた。雨が上がった街は、夕闇が迫り蒸し暑かった。今夜は劇場のこけら落とし公演でバレエ ”ジゼル”の初日だった。
遥は村娘ジゼルの愛の物語が好きだ。あのことがなければバレリーナとして踊っていたかもしれない自分の運命を思う。ライバルだった美緒のために、化粧前に置く花を買いに花屋に寄った。花粉の濃いものは避けて小さな花籠を注文した。出来上がりを待つ間、遥はさっきの喫茶店でのことを思い出していた。”あの人、私をずっと見ていたけど、どこかで会った人かしら。感じは悪くなかったけど。支払いしてる時、私があの人の横顔見ていたの気がついたかしら。” 遥は男のどこか陰影のある顔を思い出していた。

 化粧前とは楽屋での個人のスペースのことです。鏡の前のおよそ1mほどのスペースを
 割り当てられます。


【三】

 ジゼルは素晴しかった。ソリストに昇格した美緒の踊りには磨きがかかり、将来のプリンシパルも夢ではないと美緒の成長に期待する遥であった。バレリーナを夢見て、ロパートキナの白鳥に憧れていた頃を懐かしく思い出しながら、帰途につく。遥は、都心の住宅街の一角に両親と一緒に住んでいた。父の佐藤亮介は広告会社を経営していて、景気に左右されがちな広告事業であったが、人脈を大事にする亮介の会社はそれなりの業績を維持していた。帰宅した遥を待っていたのは、社員の高木淳也であった。

 プリンシパル・ソリストとは、バレエダンサーの階級を表しています。
 主役を踊る最高位がプリンシパル・準主役級をソリストといいます。
 ウリヤーナ・ロパートキナはロシアのマリインスキー劇場のバレエ団に所属する
 プリンシパルで、『ロシアの至宝』と呼ばれています。
 彼女の白鳥の湖は21世紀 の伝説になると言われています。



ウリヤーナ・ロパートキナの稽古風景まさに白鳥です


To be continued

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