風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

ミステリーはお好き?

2017-06-13 | 自作小説
 世の中には不思議なことってあるんですね。人に話しても信じてもらえないようなこと。あなたはそんな経験、おありですか?
今日は、私が体験した不思議な恋のお話を聞いてください。

 子供時代の私の夢は、バレリーナになることでした。勉強や遊びよりもバレエのレッスンを優先し、高校半ばでイギリスへバレエ留学しました。
その甲斐あって、数年後にはベルギーのバレエ団の入団試験に合格し、晴れてプロバレリーナになることができたのです。
 下積みを経験しながら、プリンシパルを夢見る毎日。そして白鳥の湖にキャスティングされた時は、本当に夢のようでした。
それも第2幕の重要なシーン「白鳥たちの踊り」の4羽の白鳥のひとりに大抜擢されたのです。その時の興奮と感激は昨日のように覚えています。
 前途洋々のスタートで、未来は光り輝いているとその時の私は信じ切っていたのでした。

 休暇の時には、四季折々の美しいパリを訪れました。モンマルトルの丘から眺めるパリ市街が好きでした。
そんなある日、界隈を散策している時、ジョルジュと出会ったのです。ジョルジュは、私のバレエを観たと話しかけてきました。思いがけないことでしたが、ジョルジュは礼儀正しく、清潔な瞳をしていました。私たちが恋に落ち、一緒に暮らし始めるにはそう時間はかかりませんでした。夢のような月日が瞬く間に過ぎたある夜、彼は悲しみに沈む顔で私を見つめ、固く抱きしめたのです。そして、それがジョルジュとの最後になったのでした。

 夢の中でうなされたのか目が覚めました。時計はまもなく6時を指そうとしています。ゆっくりベッドからおり、両開きの窓を開けるとパリの朝の息吹が流れ込んできます。
 サクレクール寺院の西側の坂道を下り、石段を下りた路地の奥の左手に私の住むアパルトマンはありました。食料品店やカフェが軒を並べるモンマルトルは、パリの下町の風情をまだ色濃く残しています。行きつけの店の主人は、顔なじみの私にチーズをカットして味見をさせてくれたりします。
 コンテチーズとバゲットを買い、部屋に戻りエスプレッソを淹れるとたちまちコーヒーのいい香りが漂い、ジョルジュが好きだったパンペルデュを作りテーブルにつきます。そんないつもの朝に、ジョルジュだけがいないのです。
 なぜ彼は出て行ってしまったのか?何度考えても答えは出ません。理由は分からないけれど、ただ、この先待っても彼は戻っては来ないということだけが、なぜかはっきりとわかっていました。バレエへの意欲も萎み喪失感しかなくなった私は、日本に帰って生活をやり直す方がいいかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら日を送る毎日でした。

 突然ドアベルが鳴り、少年がメッセージを預かったと言って封筒を持ってきました。封を開けるとそこには、飛行機のチケットと共に短い手紙が添えてありました。 ”Oh nuit ,mon tresor, la reve ravissant” (オー ニュイ,モントレゾール,ラレーヴラヴィッサン)と、記してあります。
私の呼吸は早くなり、鼓動が早鐘のように打ち始めました。『ジョルジュ!間違いなくジョルジュからのメッセージ!』私は確信しました。
それは、私たちの愛の言葉だったのです。二人っきりの夜、お互いにささやきあったあの首筋にかかる甘い吐息のような言葉。二人しか知らない夜の会話。涙でいっぱいになった私は、すぐに荷造りをして指定された飛行機に乗ったのです。そして、降り立ち案内されたそこは。

 そこには、見たこともない風景が広がっていました。整然と建ち並んだ開放的なビル、縦横無尽に伸びる高速道路。人々は皆楽しげで、思い思いのカラフルな服装をしています。そこは未来都市でした。
 驚きながら眺めていると、人が近づいて来ました。ジョルジュ!私は駆け寄ろうとしましたが、その途端、何かにぶつかって前へ進めないのです。
障害物など何も見えないのに、まるで壁のようなものにぶつかってしまう。ジョルジュはニコニコと嬉しそうに近づいて来てるのに。

「カノン!」 「ジョルジュ!」 二人は目に見えない壁を挟んで呼び合うしかありませんでした。
「ジョルジュ、そっちへ行きたいのに行けないのよ。」
「カノン、そこにはエアーウォールがあるんだ。そこからこっちへ一歩でも入ったら、もうそちらへは戻れないんだ。だから、よく考えてカノン!」
「ジョルジュかまわないわ、あなたのそばへ行きたいの!」
「僕は一年間だけという約束で、そちらの世界を見に行ったんだ、そして君を愛してしまった。こちらの世界は、戦争も破壊もない平和な世界で、ここで共存するためには、人間のエゴを捨てなければ暮らせない世界なんだよ。」 「分かったわ。全て捨てるわ、だからここを開けて!」
 私は入口を探しながら、見えないエアーウォールを壊そうとこぶしで力いっぱい叩き続けました。破壊は通じないということの意味をよく考えもせずに、その時の私はただ必死でした。ジョルジュの澄んだ青い瞳が、みるみる悲しみの色を湛え始めたのもわかりませんでした。

 気がつくと、モンマルトルのいつものアパルトマンの部屋の中にいました。汗びっしょりで座っていたのです。今までジョルジュと向き合って、目に見えないエアーウォールと必死に闘っていたのに。そんなはずはない!確かにあの不思議な未来都市を見た。確かにジョルジュに逢った。声も聞いた。それなのにどうなっているの?あれは夢だったの?そうだ、ジョルジュの手紙!トランクの中にしまっておいた!
 急いでトランクを開けましたが、しかし入れてあったはずの手紙がないのです。荷物をひっくり返して全部探しても見つからない。手紙が…消えてしまっていました。私は何が何だか分からなくなり、混乱した頭で、汗を拭こうと上着のポケットに手を入れました。
 ハンカチと一緒に出てきた一粒のキャンディ。それは、飛行場からジョルジュのところまで案内してくれた女の子が、『お疲れになったでしょ、キャンディいかが。』と言って、もらったあのキャンディでした。
私は息をのみました。手の中のその鮮やかなピンク色のキャンディ。私は呆然といつまでもそのキャンディを凝視していました。

 傷心の私はその後帰国しましたが、あの不思議な体験を忘れることができず、今日もジョルジュのことを懐かしんでいるのです。



(C)Kanon

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