風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

罠(三)

2017-07-17 | 自作小説
 公示日が近づき選挙へのムードが高まっていくにつれ、事務所は殺気立っていく。結果次第で、秘書もスタッフも職を失う可能性があるので、必死になる。
結城自身も選挙区内で行われる後援会へ出席したり、国政報告会の開催や様々な要望や陳情も聞かなければならず、時間に追われながらスケジュールをこなしていた。しかし、頭の中にはいつも麻耶の存在があった。

 麻耶は、よく気が利く少女だった。事務所の掃除やお茶くみを自発的に手伝った。
チラシ折りやポスティングをさせても、現場を混乱させることもなく、即戦力としての仕事をこなす能力を備えていた。
「仕込めば、ゆくゆく秘書としてやっていけるかもしれませんね。」とまで、私設秘書の山瀬が言う。
麻耶が上京して、すでに1カ月が過ぎようとしていた。あの夜以来、聡子に可愛がられそのまま面倒をみてもらっている。
 三つ編みだった髪をショートカットに切り揃え、さっぱりとした服装で働く麻耶は、若々しく清潔で可愛いかった。
しかし結城は、時々ジッと自分を見る麻耶が無気味だった。麻耶は何も言わないが、あの封筒の中身を知っているのだろうか?
 複雑な想いのまま日が経っていく。全ては選挙が終わってからだ、と自分に言い聞かせるが、一抹の不安が拭いきれず、ある疑惑を抱えて日を送っていた。

 結城は政治家を志した当初から拉致問題に力を入れてきた。拉致の問題は、日本の国家主権と国民の生命・安全に関わる重大な問題であり、その解決なくして北朝鮮との国交正常化はありえない。しかし解決が遅々として進まない中、元教育者しての立場から「外国人学校(朝鮮、韓国、中華学校)への補助金問題」にも自らの意見を進んで述べてきた。
「拉致問題とは別の問題」という立場の政治家もいる。しかし結城は、無償化適用を進めないように求める要請書を提出した拉致被害者家族らと歩調を合わせてきた。朝鮮学校への高校無償化適用問題はデリケートな案件である。 インターネットの普及により、結城のところにもEメールで政策に対する質問などが、毎日届く。激励も多くあるが、嫌がらせや脅しのようなものまである。政治家は、時には生命の危険にさえさらされるのだ。

 いよいよ公示日が来た。選挙戦では、ポスターへの落書きやありもしない噂やデマが飛び交うものだ。結城の陣営は、極力誹謗中傷合戦には加わらず、どぶ板作戦とローラー作戦で行くことで結束している。
 そんなある日、遊説を終えて事務所に戻った結城に、麻耶が「お疲れ様です。」と言って、冷たいお茶を運んできた。
「ありがとう。」と飲む結城を、麻耶の瞳がじっと見つめていた。それは、あの日の佳代子の目、そのままであった。


To be continued

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