風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

罠 (一)

2017-07-17 | 自作小説
 その娘がやって来たのは、選挙公示の2ヵ月前であった。
選挙というと、投票日の1週間くらい前から街宣車で立候補者の名前を連呼し、うるさいイメージがある。公職選挙法では、選挙活動が許されるのは公示日から投票日前日までとされ、事前活動は禁止されている。しかし、実際には、公示数ヶ月前からすでに激しい選挙活動が始まっているのだ。
選挙事務所の手配・掲示用ポスター・日程調整・届け出書類の作成などが一斉に行われ、スタッフの熱は、選挙日に向けてヒートアップしていく。
 そんな中、次代を担う若手政治家として将来を有望視され衆議院議員2期目を目指している結城賢治は、永田町と選挙区を往復しながら、スケジュールをこなしていた。




 結城の父親は、学校経営をしている。結城も大学を卒業後、教育者を目指した。
その活動の中で、”人づくりは国づくり。教育で日本を立て直そう”と決意して、地盤も看板も鞄もないところから政治家になった。38歳と若くルックスも良く、変な噂もなく家庭円満な結城は、女性層から圧倒的な支持を得ている。クリーンなイメージは、結城の武器である。

 そんな多忙なある日のことだった。私設第一秘書の山瀬から連絡が入った。
「実は、高木麻耶と名乗る少女が代議士に会いたいと、朝から事務所で待っているのですが、どういたしましょう?」
(議員同士や支持者の場合は、先生と呼ぶが、身内の場合は先生とは呼ばず、代議士と呼ぶ。)
結城には、その名前を聞いても心当たりはなかった。
「要件は?」 「それが、いくら尋ねても言わないのです。ただ、代議士に会わせてほしいと言って、帰ろうとしないのです。」 
「そうか。今から後援会のイベントに顔を出してから、一旦そちらへ戻るので、それまで君の方でよろしく頼むよ。」 

 そうは言ったが、そのまま時間に忙殺され、全ての予定が終わったのは、深夜になっていた。
選挙事務所には帰らずこのまま帰宅しようと、結城は電話をいれた。少女のことはすっかり忘れていた。
「えっ、なに!女の子はまだいるのか?こんな夜更けまで未成年者をそのままにしておくなんて、君たちは一体何をしてるんだ。」 
「すみません。我々も困ってしまっているのですが、帰るところがないというもので。警察に連絡したほうがいいかとも思ったのですが、代議士にどうしても会わせてほしいと涙ぐんで懇願するものですから。」

 結城は、こんな時間まで自分を待っている少女に少し不審を抱きながら、選挙事務所に引き返すことにした。
突然現れたこの見ず知らずの少女が、自分の人生の鍵を握ることになろうとは、その時の結城には、予想だにできないことであった。


To be continued

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