風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

罠(五)

2017-07-18 | 自作小説
 選挙戦も終盤に達していた。結城は疲れが溜まり、眠れない夜が続く。その原因の大半が麻耶にあることは自覚していた。
幼少時、父親を亡くしたという麻耶の話は嘘だった。麻耶は”非嫡出子”であった。
”麻耶は知っているはずだ、封筒の内容を知っている。そして、結城が父親ではないかと疑っている。きっとそうなのだ、きっとそうに違いない。
だがしかし、本当に自分の子なのだろうか?年齢からして辻褄は合う。しかし…たった一度の過ちだった… ”
 最近の結城は、ジッと自分をみつめる麻耶の視線が気になって仕方がない。あの時、黙って見つめていた佳代子に重なり、強迫されているように感じるのだ。負けてはいけない、選挙に勝たなければいけないのだ。考えるのは当選してからだ。全ては終わってからにしよう。自分に言い訳をする。が、もはや麻耶のことが離れなくなってしまっていた。今もどこからか、自分をジッと見ているかもしれないと思うと、神経が病んでいきそうになる。
 新聞では、結城賢治は「当選圏内」と書かれるほど優勢に闘ってきた。選挙は結果がすべて、勝たねばならない。

 明日が投票日という日の夕刻、最後の遊説を終えて戻ると、選挙事務所はごった返していた。選挙カーから降りて、事務所に入ろうとしたその時だった。刃物を持った男が物陰から結城目指して走り出てきた。不意打ちの暴挙に、結城は硬直したまま動けなかった。『やられる!』と思った時、結城の身体にだれかがぶつかり、そのまま崩れ落ちた。麻耶だった。麻耶の脇腹から、血が噴き出している。暴徒の男は、血のついた刃物を持ったまま、その場で取り押さえられた。
あたりは駆けつけたパトカーや救急車や、やじうまで騒然となった。男は、結城の政治理念と異なる極左組織の構成員だったことが後でわかった。
そして結城をかばった麻耶は、救急車の中で息絶えた。

 『私を怨んでいたのではなかったのか?私の罪を断罪しに来たのではなかったのか?麻耶、なぜなんだ?なぜおまえは私をかばったのだ?』
 警察が麻耶の身元を調べ始めた。マスコミも一斉に報道を始める。結城は選挙どころではなかった。自分の過去が明るみにされてしまうのではないか。いや、しらを切りとおせばいい、だれも真実は知らないのだから。だが、麻耶の死が歴然とした事実となって迫ってくる。自分をかばった麻耶の心がわからない。
恨んでいたのではないのか。直面する現実とわが身の保全との間で結城は揺れた。麻耶の亡骸はいったん葬儀社にあずけ、聡子が付き添うこととなった。

 慌ただしい一夜が明け、投票日当日となった。疲れ切った結城を皆が気遣い励ましながら、夜の開票を待っていた時、中山明子と名乗る女性が訪ねてきた。
菅平の旅館の女将であった。結城は、もはや覚悟を決めるしかなかった。16年ぶりに会う女将は、少し老けてはいたが当時の姿そのままの小太りで、人の良さそうな顔は変わっていなかった。報道関係者が旅館に押し掛けてきたらしい。取るものもとりあえず上京したが、本当にあの子は死んでしまったの?麻耶の突然の訃報に泣き崩れる女将の姿を見ながら、結城は、まだ自分の身の保全を考えていた。女将は何をどこまで知っているのだろう?




To be continued

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