風のアダージョ

切なさの向こう側、樹木を渡る風笛が聞こえる

ある男の半生

2017-06-14 | 自作小説
 藤崎純一郎は、まもなく53歳になる。
地方の大学を卒業後、地元の銀行に勤務して、30年余り経つ。地道に働き続けてきた平凡な男である。
 そんな純一郎に2年前、夢でお告げがあった。
『おまえの命は、あと2年である!』突然のことであった。
それ以来ずっとおびえて生きてきた。そして、その2年が今夜なのだ。
自分は健康だ、今日も仕事を終え、自宅でくつろいでいる。今夜これから何かが起こるなど想像もできなかった。
不吉な予言に一人おびえ、家族にも言えないまま今日まできた。
この間、極力、自宅と職場の往復だけし、職場の慰安旅行にも参加しなかった。
 それもあと一時間で無事に過ぎようとしている。テレビがお笑い番組を流している。
真剣に悩んだ自分がバカバカしくもあり可笑しくもあった。
何かから解き放たれたような安堵感で肩の荷が下りて行くのを感じていた。

 「あなた、徹がバスに乗り遅れたそうなの。今、駅にいるらしいから、私ちょっと迎えに行ってきますね。車お借りするわね。」
妻の由紀子がそう言って、キーを取りに来た。
一人息子の徹は、純一郎とは違って活動的で優秀であった。
医師の道を目指した息子は、勤務医として、大学病院で働いていた。
その徹が最近になって国境なき医師団(MSF)に加わって、国際NGOの一員として活動をしたいと言い出した。
高邁な志は理解できても、自分の息子のこととなると親は利己的になるものだ。なんとか、思いとどまらせたかった。

 もう一度、説得してみようと純一郎は思い、「そうか、じゃ、わたしが迎えに行ってこよう。」と立ちあがった。
駅までは車で10分程である。純一郎が出かけて数分後、表通りでサイレンが鳴り響いた。
乗用車とトラックの衝突事故であった。乗用車は純一郎のものであった。
衝突直前、純一郎の頭をよぎった予言。『あの予言はこれだったのか!!』
トラックのヘッドライトが目の奥に突き刺さってきた。




 その一年後、空港にはMSFの海外派遣医として、任地に赴く徹を見送る由紀子の姿があった。
由紀子が愛しそうに押す車椅子には、奇跡的に助かった純一郎が坐っていた。
 純一郎が不吉なお告げを受けた同じ夜、由紀子も不思議な夢を見ていたのだった。
可愛がってくれた由紀子の祖父が夢枕に立ち、『生前おまえに何もしてやれなかったことが、心残りだ。お前の望みを言ってごらん、おじいちゃんが必ず叶えてあげるよ。』
由紀子の望みは、夫と息子の健康と幸福を願うだけであった。祖父は、ニコニコと何度も頷いていた。
目が覚めても、祖父の手の温もりはなかなか消えなかった。

 不思議な夢を見たと由紀子は思ったが、そのことは、純一郎から不思議な予言の話を聞くまですっかり忘れてしまっていたのだ。
リハビリに励みながら、守られていたことをあらためて悟った思いだった。
そして、純一郎は思う、予言を恐れて何もしてこなかった2年間は、生きているとはいえなかったのだと。
徹はたとえ危険に遭遇しようと自分の人生をしっかり生きていくだろう。いつの間にか息子は成長し、自分を追い抜いていたのだ。
 振り返りながら、”行ってきます!”と、いうように、手を上げて笑う徹の姿が、しっかりとした足取りでゲートの奥に消えて行った。




この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係 ありません


(c)Kanon

ジャンル:
小説
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