末期ガンを治す

ガンで苦しむ人がいること自体が不思議です

ガンを治すには、ガン体質を生来の健康体質に転換させればいいのです

卵巣嚢腫、極限までやると・・

2014-07-02 08:26:54 |  卵巣嚢腫、極限までやると・・
人にはやはり、得意不得意というものがあって、ガンを治すにあたっての私にも、それはあるようです。
どんなガンにも効くと思ってずっとやってはいるわけですが、どうも不本意ながら、やっぱり苦手はあります。

たとえば、リンパ腫がそうです。
以前、悪性リンパ腫の方を施術した際、1回の施術での効きがあまりに軽微で、精魂尽きるほどやっても、まるで鈍感な動物がムチをハネ返すような感じで、軽くあしらわれてる印象がありました。
ちょっとおとなしくなり縮小したように見えても、あくる日いらっしゃったときには、もうもとのように活発な状態にもどってしまってました。
たぶんやり方が悪くてそうなるのだろうと思い、いろいろ方法を変えてやってはみたのですが、どうもうまくなかったです。
乳ガンが脇のリンパに転移してる場合でも、ぶどうの房のように大きくなってしまったものに関しては、同様の結果でした。
そうではなくて、まだ小さな腫れの場合は、乳ガン本体が治っていくにつれ、自然併行的に縮小していくのは何度も確認ずみのことではあります。
おそらく、こういうリンパの腫瘍は、その大きさからしてついナメてしまいがちなのですが、そういう思いとは逆に長い時間がかかるのかもしれません。

あと、肝臓などでは顕著にそうですが、同じガンでも、効く人効かない人がはっきりしてしまうことがあります。
いったいなぜそうなってしまうのか、しばしば真剣に考察するわけですが、まだよくわかりません。
ただ、ひとつだけ言えることは、私の術は患者さんの心境によって大きく左右されるということです。
「こんな手力なんかどうせ効かないだろう。でもまあ、せっかく来たんだからやらせてみるか。ダメならすぐ医者に抗ガン剤打ってもらうからいいや。さあやってみな・・」的な感覚をお持ちの、真剣に自力で治す意識の乏しい方の場合、私の無意識がそれに反発してしまって、気力を発するのをやめてしまうのかもしれません。

またそうでなくとも、あまりに性急に結果を求めて口頭でせっつかれたりしますと、私の中に焦りが生じて、術に没入できなくなる場合もあります。遠方からいらっしゃる方は、もちろんよけいそうしたくなるでしょうし、こちらもそれが理解できるので、いよいよそうした焦りのパターンにハマってしまって空回りすることになってしまいます。好成績を期待されるスポーツ選手がよく陥る、スランプのように・・
その点、治った方のご紹介でいらっしゃったような場合は、「受けてれば、そのうち治る」という安心感から、ゆったり受けていただけます。それを無意識にこちらも感知するのでしょう、よりリラックスして没入できるので、案に相違してかんたんに治ってしまう、といったことになるケースが多いようです。



***** 卵巣嚢腫
7センチのボール大だったその方の悪性卵巣嚢腫は、いまはもう指の頭くらいに(検査をまだ受けてないので、そのように感覚的につかんでるだけですが)ちっちゃくなって、この先どう消えていくのか楽しみにしてるところです。
通常、2、3ヶ月も受けていただけば、そういうことにはなるので、特筆することもないわけですが、この方の施術中にあえてワンダラスなサプライズがあったので、そのことを記します。

最初は、お腹が痛くて、鼠蹊部が痛い。脚がしびれるようで、痛く、歩きづらいとのことで、卵巣嚢腫がひどくなった人によく出る、そこそこはっきりした症状がありました。
そのほか、肩から少し胸に入ったところが痛いとのこと。
身体は、ぐあいの悪いところができると、そこをかばって自然にゆがむものですから、そういうヘンなところが痛くなるのも諒解の範囲です。2回めにいらしたときには、その肩の痛みはとれてました。

さて、サプライズというのは、たしか3回めか4回めのときだったと思います。
患部を手あてしていると、ふいにググッと卵巣+嚢腫が持ち上がったのです。
そして、持ち上がった部分にあった水(間質液)が、いままで卵巣+嚢腫のあった場所に流れこむのを感じ、その水が移動するゴボゴボッという音まで聞こえたような気さえしました。
そしてさらに、持ち上がってきたその子は、なんと私の手のひらのくぼみにぴたっとくっついてしまったのです。
これには驚きました。そんな経験はむろんはじめてですし、くっついてきた子をいったいどうすればいいのかもわかりませんでした。
ただただびっくりして戸惑っていたというのが、正直なところです。
「あ、いま動きました!」
そんな患者さんの声が聞こえましたが、遠かったように思います。
「うん・・、いまひっついてんの・・」
そう応えるのがやっとでした。ほとんどつぶやいていたんだろうと思います。
私は一気にシンドイ状態になっていました。
寒気がしてゾクゾクして、なんか泣き出しそうになってたのです。
心臓もけっこうきつい狭心症的な状態になってたみたいで(なったことないのではっきりそうとはいえませんけど)、血流が極端に細くなった感がありました。
それをこらえて懸命に、とりあえずそのひっついた子を子宮のほうへ誘導しようとしました。卵巣嚢腫が子宮を通って排出されたというような記事をネットのどこかで読んだことがあったものですから、そうなってくれればと思い、そうしたわけです。
しかし、それは思うようにはいきませんでした。そっちのほうまではひっついてきてくれませんでした。
そのうち、寒気がひどくなり、手先足先が冷たくなり、脳ミソまでしびれてうつろな感じになってきたので、とうとうかんべんしてもらって手を離し、しばし休みをとらせてもらいました。
どっと座りこんだ私は、泣き出しそうというより、涙ぐんでいて、
「いますごかったね・・、マイっちゃった・・」
そういう声が、か細く、ふるえてました。

そのあと5分くらいしてから施術再開したわけですが、さすがにもう同じことは起きませんでした。
もう、意力、精力の限界に達してたからだろうと思います。

その後、次の施術のときも同じことが起きました、というより、起きそうになりました。
もうすでに卵巣+嚢腫は周囲の臓器から乖離したままになっていたようで、くっつくことはわりとかんたんにくっついてくれたわけです。
相変わらず私は子宮のほうへと誘導を試みましたが、やはりそれはうまくいきませんでした。
このときもやはりつらくなりました。
しかし、これは新たな開眼だという認識があったので、つらくなりきる手前で止めて、その状態を維持するよう図っていました。
それが、まだあまりうまくいかず、またどっと座りこむハメになって、
「ごめんなさい、ごめんなさい、私のためにそんなになるまでやってもらっちゃって・・」
と今度は患者さんを涙ぐませてしまい、たいへん申し訳なかったです。

当然、それではいけないのであって、以降、私はその状態に至る心的、精神的動作をくり返し、それを術として得ました。そして、その術を多用しつつ、寒気がしはじめる手前、涙が出る手前で寸止めするよう練習したわけです。
その結果、いまでは、すべての患者さんに同じ術を用いて施術し、効きの深化を覚えるようになりました。
(もちろん、この術というのは私の内部動作についてのものであって、必ずしもガンが私の手にひっつくといった物理現象的なことは意味しませんので、勘違いなさいませんように)



*****
私は、この仕事をしている自分について、誰もいない荒野で、地図も設計図もなく、ただ思いつくままにひとりで道をつくり、ひとりでそこをのろのろ歩いていく、亀みたいに遅い旅人のように感じております。
これは私自身にとっては進化の旅・・
こういう言い方をすると患者さん方には申し訳ないのですが、その旅の途次、すばらしく「面白いイベント」が、自分ひとりにしか感知し得ないステージで、日々起きている、あるいは起こしていると感じています。
ときには上記のようなサプライズもあることですし、興味はつきず、いま夢中です・・

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