記録~母のこと~

母が大腸がんと、転移性の肝がんだと言われました。
母のことを記録していきます。

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父と母のこと

2011-04-15 05:52:08 | 日記
何故、母が病気になったのか思うと辛い。
大声あげて泣いていたいがそれができない。泣いてはいけない。

父にずっと尽くしてきて、自分の身体には気が回らなかったのなら…

体調が良いからと検診は受けないままだったか…

娘として、もっと無理やり検診を受けさせれば良かったと、後悔している。

父は身体に不自由があり、それは、仕事での怪我が元で…でも何でも出来る人で私はファザコンと言われるほど、父が好き。

身体に加えて糖尿病があり母は40年間、父といつも一緒で…尽くしてた。

頑固な父のことを、時々私に愚痴ってくるけど、
最終的には一番大事。

食事も、三度三度、バランスとボリューム、見た目の美しさまで、完璧に作って父に出していた母。

その父が、
二年前の早朝、トイレで倒れていて…

母が救急車を呼び、私に電話してきた。

私と旦那が駆け付けると、救急隊員の方が
「心臓も呼吸も停止しています。病院に運びます」
と。

救急車の中でも、病院でも心臓マッサージを懸命にして下さった。

でも、父は旅立っていきました。
大動脈解離による心タンポナーデ。

「お父さんは、突然のことで、痛みを感じる間もなく倒れられたと思われます、私たち医師がそばにいても助けることは無理だったかと…」

すぐに気づいてやればと、自分を責める母に、救いの言葉が。ありがたかった。

父が亡くなり、
しかし私が同居、というのはかなわず…

正直、その話をするたびに母とも旦那とももめるから辛くて、逃げていた。

もう少ししてからでも良いのでは?と…思うこともあった。

そうしているうちに、母が髄膜腫であることがわかり手術を受ける。

10時間にも及ぶ大手術。
見事に手術は成功し、麻痺などの後遺症は全く無く、術後半年もしないうちに、車の運転も再開。

退院後しばらく私の家で生活してくれていたが、貸家の生活は音などで疲れるらしく、
「自分の家があるから、帰る」と、帰ってしまった。

母が手術を受ける頃、私は妹の「私も受けるから、お姉ちゃんも検診うけて」の言葉に導かれるように…自分の胸にあるしこりに気が付く。

妹は不思議な能力があるのかな。

母の髄膜腫と、私の乳がんはまた後で詳しく記録しようと思う。

私に乳がんが見つかり、
母に話す。

今度は私を助けてほしい、入院中子どもたちの面倒を見てほしい、と。

母は術後とは思われないほどにやってくれた
ありがとうを何回言っても足りないよ、お母さん。

母が42才の時に子宮筋腫の手術を受けたが、その一ヶ月後に私が盲腸で入院。

今度は髄膜腫と乳がん。

そして高度異形成と…

「私たち、変な親子だね、代わりばんこにね…」と母が言う。

代わりばんこしないで、
元気でいてよ。

ようやく落ち着き、一緒にどこか遊びに行こうと思っていたんだから。

どうして、もっと早く見つけられなかったか…
不安は募る。
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