『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

反戦文学としての『星の王子さま』

2017-11-20 14:00:43 | 講演会・勉強


先日(ってこれまた既に1週間以上たってますが)、子どもの本専門店・BOOK HOUSE CAFEでの文学うさぎの研究所に参加してみました~。

第一回目の登壇者は、千葉大学大学院人文科学研究院教授の土田知則氏『現代思想のなかのプルースト』(法政大学出版局)刊行記念講演会として、~児童文学は可能か~というテーマでした。プルーストとかちんぷんかんぷんだけれど、児童文学とどうかかわってくるのか、興味津々だったのです。

何に驚いたって、私以外は、みなさん教授仲間か生徒さんだったってこと。超絶アウェイ感・・・チーン。文学系のイベントって、大体いつも内輪なんだな~。だから、敷居が高くなっちゃうんじゃないかな、広まらないんじゃないかな、と感じます。

さて、土田先生ご自身は、お話も面白く、気さくでとっても魅力的な方でした!
児童文学とはなんぞや、ということを『ピーターパン』『ピノキオ』『星の王子さま』などを取り上げながら、また、プルーストの話も入れながらお話しされました。

中でも興味深かったのは、『星の王子さま』



‟これ、子どもの頃読んで面白かったという人いる?(いないよねえ)”


お一人いらっしゃいましたが、実は、私もそれほどは・・・と思ってた一人。読んだのは小3だったかな。岩波書店の内藤濯訳のもの。カラーの挿絵が嬉しくて、面白くないわけじゃないけれど・・・、周りが騒ぐほど自分には刺さらなかった、という感じだったかな。で、土田先生はいうわけです。

‟これ、大人が読んでも非常に難しい。これは児童文学なのだろうか”

って。そもそも、フランスには児童文学という表現はないそうです。確かに、フランスの児童文学って『みどりのゆび』『家なき子』『タラ・ダンカン』くらいしか思いつかない。↓



でね、『星の王子さま』に関しては、プルーストより難しいって土田先生はおっしゃいます。児童文学という概念はいまだに先生自身ワカラナイそうですが、子ども向けのものには必ず家族が出てくるということが切り離せないと。しかし、『星の王子さま』には家族が出てこない。これは、子ども向けなのか?さらに、なぜフランスではなく、アメリカで出版されたのか?

それは、ナチス批判を書いたものだということが、分かってしまうから。
戦争の話が色濃くまとわりついている寓話と明らかだから。


頼れるWikipedia(笑)によると、通説と異説が書かれていて(リンクはコチラ)、私は異説派かな。献辞にあるサン・テグジュペリの親友レオン・ヴェルトはユダヤ人で、彼に捧げられた物語。バオバブのような大きいものが小さいモノを飲み込むのは、非常に暴力的で、ナチュズムを象徴している、と。

そして、サン・テグジュペリはパイロットだったけれど、本当は飛行機なんて壊れてしまえばいいと思っていたのでは?とも。なぜなら、戦争に使われてしまうから。だから、物語の舞台に砂漠を選んだ。砂漠は、戦争が起こらない場の象徴。飛行機が飛べないときに、平和が訪れる。ならば、飛行機は壊れたほうがいいとしたのでは?と。

そんな風に、これが反戦文学という前提のうえで読むと、それぞれが何を象徴しているのかが見えてくる。しかし、一つワカラナイところがあるそうです。それは、キツネの言葉。王子さまとキツネが出会う場面でキツネはこう言います。

・「なんなら……おれと仲よくしておくれよ」(岩波少年文庫 内藤濯訳)

・「お願いだ……おれを飼い慣らしてくれ!」(集英社文庫 池澤夏樹訳)

・「おねがい……なつかせて!」(新潮文庫 河野万里子訳)


原文に一番忠実なのはどれでしょう?


私はフランス語は全然ワカラナイのですが、仲良くの部分、原文ではアプリボワゼ(apprivoiser)というそうです。一番忠実なのは池澤夏樹訳で‟飼いならしてよ”という意味。ほとんどが‟友だちになってよ”に意訳されているけれど、なぜわざわざこんな表現を使ったのか。そこが、土田先生はひっかかるそうです。
また、フランスではキツネのイメージは悪で、りんごの木の下にいたってことは、聖書的にはヘビの役割を半分以上キツネが担っているということ。
なぜ、アプリボワゼという言葉を使ったのか、そこをついている論文はフランスのものでもまだ見かけてないそう。フランス文学関連で卒論書こうとしてる方、これいかがでしょう(笑)?

そのほか、児童文学というジャンルを作ることで、現状の研究の形が狭い範囲に閉じ込められている、などジャンル論について述べられていました。
これには、賛成!児童文学って読めば読むほど、カテゴリーが分からないなあと日々実感しているし、このジャンルさえなければもっと大人にも読んでもらえるのでは?と思うのです。
これからは、横断的な、壁を作らないで分析することが面白い。例えば、ミッシェル・フーコーの中に、思春期(児童文学)を読み解く、こういう人が出てくると面白い、そんな話で幕を閉じました。




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