皮膚呼吸しか知らない蛙

なんの役にも立ちそうにないことをのんびり綴っていきます。

行動は主体的に

2011-12-20 23:00:08 | かえるの泳ぎ方

どういうことでもそうなのですが、「ヒトに言われたから」とか、「仕方なしに」とかという動機を伴った行動というのは、かなりしんどい。

「やりたくねーな」とかいう思いも、モチベーションっていうのですか?そういうのとは真逆の方向に走ってしまっているし、何より心身共に相当のエネルギーを消耗する。

こういうことを続けていると、ほんともうヤバイくらいに摩耗しちゃって、結局自分のバランサーが壊れてしまったり、踏んだり蹴ったりだよなあ。と改めて思う。ワタシみたいなへなちょこチキンちゃんは、これの積み重ねで折れる、というお粗末な結果を残していることが多い。


ヒトって自分で選んでるんだよね。
迷ったり、悩んだり、相談したり、頼ったり・・・
そうして進んだり止まったりしながらも、行動を起こすのはやっぱり“主体性”。

世の中、特定の例外を除いては、自分で決めることができるんだよね。
もちろん様々な枠組みの中で、色んな制限を受けた中ではあるけれど、その中で“自分はこうする”という意志決定は、やっぱり自分で行うモノ。

制限がイヤだ、耐えられない。そういう場合もあるだろうし、それに対して「No」ということもあり。
それに対するリスク等もふまえた上であれば。利益・不利益を考えるのも大いに結構。


ワタシ、何かを「やらされている」と思ってしまったときに、すこぶるよろしくないコトが内部で起こっていることをよく感じます。
“行動する”という変わらないアクションにおいて、「やる」と「やらされている」にはとんでも無い差が出ている。

もともとあまり心情的には“できればやりたくない”と思ってしまうことも、『何』がやりたくないのか、やりたくない部分に分岐点を設けて少し迂回した後にある程度既定の路線に押し戻す、というのもあり。


「やりたくない」から「やらない」。というのは問題外。
要は、あまり「やりたくねーな」という意識を持たない(というかこれこうしたら面白くなるんじゃねーの、って)方向を模索し、行動する。
これが一つの要点だよな、と初老にして思う(遅い?うん遅いよ)。


『意識の持ち方』と言ったら、表現的にはわりかし近しい言葉なのかなあ。
凝り固まってしまったら難しいんですけどね。

なーんて小難しいコト書きながら、ワタシ的には「単にやらされるというのはめっちゃ疲れるのでイヤ」という単純なことなんですけどね。


主体的な行動は、何かや誰かの“せい”にすることもないですし。


行動を起こすには、自己管理、自己管理。
『耳順』なんて境地には、到底及ばないにしても、ヒト様の言葉もありがたく拝聴できるだけの身体的・精神的余裕をもてるような自分であるように。


自分が「やる」か「やらない」か。それだけ。

半歩の行動を継続しよう。

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