かくれて咲く花

~凛として~

毀誉は他人の主張

2010-10-24 22:56:21 | Weblog


フィギュアNHK杯

新しい真央ちゃんのプログラムが楽しみで、ドキドキしていた
SPの黒い蝶々のような衣装も、フリーでの背中の大きく開いた薄いパープルの衣装も、昨年のマスカレード&鐘と違って、エレガントな印象。スピンもスパイラルも美しく、ステップも難しそうなのを簡単にやってるように見えたけど、目下矯正中というジャンプへの迷いが、素人目にも分かるほど。結果、真央ちゃんのジャンプが決まらない、「真央惨敗」8位に終わるということにスポットが当てられ、そして村上佳奈子ちゃんという新星誕生という、なんとなく予想していた取り上げられ方に。もちろん佳奈子ちゃんもかわいらしいし、フリーはちょっと緊張していたようで残念だったけど、シニアデビュー戦で3位という結果が出たことは嬉しいし、これからが楽しみな選手。だけど、試合後の真央ちゃんの表情を見ていると、ファンとしては真央ちゃんに対する心ない批判が起きることに、やはり胸の痛みを禁じえない。

よければ絶賛され、悪ければ叩かれる。
プロとはそんなものなのかもしれないけど、だけどこの世間の毀誉褒貶に付き合わざるを得ない運命にあるすべての人たちに、心からの尊敬と、エールを送りたいと思う。

本当に人は、他人のことについて、無責任に、好き勝手なことを言うものだ。
フィギュアは素人の私でも、キレイだなとか優雅だなとか、そういう自分が「美しい」と感じる基準というのはある。新体操を見てもシンクロを見ても同じことを思うのだけど、小顔で手足が長くて、すらっとした体型で、体がやわらかくて高い技術を持っていて、上品かつダイナミックな演技をする選手を私は美しいと思う傾向にあるようだ。真央ちゃんにひとめぼれしたのも、あの体のやわらかさをいかした、素晴らしく美しいスピンやスパイラル、そして氷の上で軽やかに舞うようなステップ。それだけで十分魅了されたというのに、さらにすっごいジャンプもできてしまううえ、明るく頑張り屋さんで・・・というのにますます感動してファンになった。だけどうちの母などは真央ちゃんをあまり評価しなくて、スキニー体型を「針金みたい」と評したりするのだけど、母はもっと肉感的な方が好みであるので、それは美的感覚の違いだから仕方ない(→感情的なケンカに発展したこともあるほど)。だけどそういうのも含めて、もう本当に見ている側は好き勝手なことを言う。ジャンプが矯正中であることについても、いまさら基礎から見直すのは遅すぎるだとか、佐藤コーチで大丈夫なのか等々、いろんなことが批判のタネになり、ああでもないこうでもないといろんな言説が流れる。どれが本当なのか私にはわからないけど、結果が出なければ厳しい批判を受け、結果が出たら持ち上げられ、周囲の雑音もかまびすしい。試合はもちろん、試合以外のことについてもいろいろ言われる。私なんて、想像しただけでも神経がやられそうなのに・・・絶不調といわれたシーズン当初から、課題を乗り越え、修正して、さまざまな批判(心ない中傷も含めて)と金メダルを期待する周囲のプレッシャーを、あの細い肩にすべて背負いながら、オリンピックに向けて練習に練習を重ねて、SPでもトリプルアクセル2回成功、フリーでは少しミスはあったけど素晴らしい「鐘」を披露して銀メダルという結果を出した。真央ちゃんの努力と精神力に、改めて尊敬の念を深くする。

最近は私も、ちょっと言われたくらいでへこむことは少なくなったけど。
だけどやっぱり、悪意を向けられるのは気分のいいことではない。こっちに非があったとしても、こっちに非がなかったとしても、とにかく人はいろんなことに難癖を付け、気に入らないとワルクチを言い、うっとおしいことこのうえない人種が世の中には存在する。だけどまったく誰の批判も受けないという人生は存在しない。引きこもって、自分の存在を消してしまわないかぎり、外に出れば誰かに会い、気に入ったり気に入られたり、気に入らなかったり気に入られなかったりするものだ。だから、自分が気に入らない人から「あんたのことが気に入らない」と言われても、ああ自分はこれでいいんだなと安心するようにしている。自分が好きな人からそう言われたら考えるけど、こっちから見て好ましくない人の一方的な要請にこたえることはない。そう思えるようになっても、「ああ私、よく思われてないんだな」と思うところに身を置くと、やっぱり多少はしょんぼりとするものだ。

先日、苦手なプレゼンをやらなければいけなくて、人前でしゃべることが苦手なうえ、うまく考えもまとめきれなくて自分でも「ヘタクソだな」と思い、考え方が違う人たちが多いことも分かって孤立感を味わったけど、尊敬する方が「レポート、よかったよ」とほめてくださったことで、すごく救われたということがあった。多くの人が分かってくれなくてもいい。分かってくれる人が分かってくれている方がずっとうれしい。そして私はやはりしゃべるより書く方が向いているんだ。そんな前向きな気持ちを取り戻し、ちょっと心が温まって、弾んだ気持ちで帰路についた。

真央ちゃんにも、そして多くの尊敬する立場にある人にも、そういうクッションになるような言葉を贈りたいと思う。応援の気持ちを送ることで、無責任な刃物のような言葉や悪意を跳ね返したり、衝撃を和らげることができるといいな。どんな強そうに見えても、誹謗中傷を受けて傷つかない人なんて、世の中にはいないと思うから。


真央ちゃんへ。
試合ごとに完成度が高まり、そして真央ちゃんのベストが出せますように。真央ちゃんの目指す「パーフェクトな演技」を楽しみにしています


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