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う~ん、応仁の乱…♪

2017-06-29 10:34:28 | Weblog
中公新書の『応仁の乱』を読んでいるのですが、なかなか進みません。
資料に基づいた事実が淡々と書き記されている文章は読みやすいのですが、物語や小説のようにリズムやノリで一気にというわけにはいきません。
まぁ、応仁の乱といわれて知っていることといえば…。
登場人物として、足利義政、日野富子、義政の弟、義政の息子、細川勝元、山名宗全、畠山ナントカ、斯波ナントカ、くらいのものですなぁ
10年くらい続いた。
細川氏vs山名氏。
細川方は東に布陣し山名方は西に布陣、その山名方の陣があったところがかの西陣。
中公新書『応仁の乱』は、乱が勃発する5~60年前の奈良の状況から話がはじまる。
そこに興福寺という一大勢力があったことがわかる。
この興福寺のなかにさらに大乗院と一乗院という勢力があってね…と…。
それぞれの勢力に加担する武家がまたあってさ…と…。
そうした勢力の内紛やらお家騒動やら、将軍継嗣問題やら、畠山氏の家督相続問題やらが絡み合ったり解けたり、あっちへ行ったりこっちに揺れたりして、とうとう
1467年5月25日(…でいいのかなぁ…)戦いの火ぶたが切って落とされた
ってことになるようですね…。
とにかく、なかなか読み進められない。
いったい何人の人物名が出てくることやら…。
あ、こいつは前にも出てきたよねって思うたびにページを戻すものだからなおさら進まない。
やっと1467年5月25日までたどり着いたわけですが…。
魅力的な人物がひとりもいない…
こいつ、ほんっっっとに悪いヤツだなぁって思うほどの悪党もいない…
こう歌舞伎でいうところの色悪的な人物がいないのね…
ほら、ちょっと後の時代に現れる松永弾正みたいなさ、ああいう迫力のある人物がいない…
後の武田信玄とか織田信長みたいに視野の広い、“天下”という視点で現実を見た人物はいないのよね。
なんというのかなぁ…、室町御所とか京都市中とか、そうねぇ、箱庭の中で争ってるって感じかなぁ…。
実際には地方へも戦火は飛び火して広がっていってるんだけどね。
そしてもちろん当事者たちにとっては大問題、大事件、命がけの戦いではあるんだけど。
ん~、不適切な表現かもしれないが“ちっちぇぇぇ~…”って感じ…
ただ、筒井とか武田とか朝倉とかの名前が出てくると、後の戦国時代に頭角を現す武将たちの御先祖なんでしょうなぁと思う
伊勢氏の名が出てきたときには、お、もしかして伊勢新九郎(後の北条早雲)もいずれ出て来るかなぁと思った。
応仁の乱ってさ、細川vs山名でもなければ、将軍家の後継争いでもなく、もしかしたら興福寺の坊さまの勢力争いってのが本当のところだったのかもなぁぁ…。
坊さまは世のため人のために祈ってりゃいいものを…ねぇ…。
コメント
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