地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

『 涙をこえて 』  シング アウト 

2013-09-24 21:30:49 |  メモリー 
こんばんは~、こちらあやかし@。

広島の実家に帰省しとりました。
1日目は夕方の飛行機にて帰省 
< お・で・か・け 2日目 >
1、父のお墓まいり
2、ジャパンの産土神社まいり( うぶすなじんじゃ )
3、祖母のお墓まいり
4、本家のおじさまとおばさまのお見舞い( 夫婦で老人ホームにいる。おじさまは96歳 )おじさまたちは大層喜んでくださった。

< だ・ん・ら・ん 3日目 >
姉の息子家族が会いににてくれる。姉さんの孫は 1歳前 とととと 歩く。( とことこじゃあありません。)
かわいい。( う~ん、こんな時代があったんだ~よね~ )

< 母や姉のこと >
母は元気でワタシ以上によくしゃべる。父の生存中は意見すらいうことは出来なかった。逆らったりすることなどもってのほか。。。あり得ない。( 感じ。。。)

『 母の遺言 』・・・
母は新聞の広告の裏に遺言を書いていた。( 下書き )
1、いりこの粉をご飯に振りかけて食べる。 ここワタシタチにやるように!という意味。
2、桜エビを食べる。
3、もうひとつ、何だっけ? ”みみたこ”って言う割にはわすれてしまった。
 こういうのって、遺言っていうんですかね?
ワタシたちが健康に過ごせるように!という意味なんですけどね。

姉はずい分前から?家の中の整理整頓をしている。うちは、7LDKあるのでかなり広い。ここがすっきりと何もない。( いえ、母の目の届く場所はびみょうだけど・・・。)

ワタシは実家に、ワタシの大学時代までのアルバムや賞状、成績表などを置かせてもらっている。これを今回整理することになった。
写真をみていたら、中学生のときに大好きだった、 SING OUT の写真がでてきた。( 懐かしい~ )

いや~このバンドの 『 涙をこえて 』という曲に救われたんですよ~。
アルバムを開いてみたら、高校生の時に親友のすももちゃんに書いた手紙がでてきた。

父に ギターなんか弾いていないで勉強しろ!と怒られたみたいだ。そんなにギターを弾いていたと言う記憶はないのだけれどな、当時、大学受験が相当なプレッシャーであった事は間違いない。

兎に角 大手を振って?家を出るためにどこ( 大学 )でもいいから、国立大学に合格しなくては・・・。と悲壮な思いで受験勉強をしていたことを思いだす。
ワタシはそんなに勉強ができるわけじゃあない。むりくり やっていただけだ。 高校三年生の時の体重は 確か?38キロだった。
Q,今ですか~? ちょいと前、お菓子工場で働いていた時は プラス20キロ近く太っていたわね。( おほほっ )

親友のすももちゃんとワタシは当時憧れていた オノコ達( 2こ上 )が九州地方の大学を受験する事を知り、各々、九州地方の大学を目指し勉強を開始した。

地元の大学は 4教科型の受験だったが、ワタシは5教科 すももちゃんは、6教科の勉強を開始することになったんだ。アーメン。







写真の男性は ピコというあだ名の樋口康雄さん、今も音楽業界で御活躍だと思う。
女性は 名前を忘れてしまったけれど、エミさんというあだ名の方、この時、婚約指輪をしていらしたから、そのことをお聞きしたら、?の和田さんと言う方とのご結婚が決まっていたみたいだった。

ワンツーおじさんの 和田さんではないらしかった。

何時だったか? この方(エミさん)について調べていたら、どこかでケーキ屋さん?を営んでいらっしゃることがわかった。 いつか行きたいな~。

< 目標 >
「 涙をこえて 」の曲、 最新式のカラオケで 95点をとる。やるぞッ!
『 涙をこえて 』 
このレコード 買ったんだよね。嬉しかったな~。
http://www.youtube.com/watch?v=duTZ4KZTGDo



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阪神淡路大震災から 15年

2010-01-17 18:41:24 |  メモリー 
阪神淡路大震災から15年経った。
昨晩、TVで、当時、地元神戸の神戸新聞に携わったいろいろな方々のドキュメンタリータッチのドラマを観た。

災害時、ライフラインの途絶えた地域で、生きるための情報を人々に伝えるという使命、そのことのためにまさに”いのちがけ”で闘った新聞社の記者達の姿に感動した。まさかの時にこそ、ひとの、本当の、生きる姿勢というのは試されるのだろう。

今まさに”いのち”が消えていく瞬間を目の当たりにするということは一体どういうことなのか?ちょっと前に「 行ってきま~す。」と元気に出かけて行った ”ひと”がいなくなるということはどういうことなのか?

歴史の一コマをカメラに収めることの難しさ、特に、いま まさに死にゆくひとを写すといった仕事は、より高次元の精神を持っていなくては到底できないことだと思う。
 ものかげに隠れてシャッターを押す。
 泣きながら シャッターを押す。
 車のライトをたよりに むくろを写す。

戦争体験者にせよ、地震の被災者にせよ、実際にその出来事に遭遇したひとにしか、そのことを”わかる”ことなど到底できない。安全な対岸にいて、その火事を何のかんのと批判することなどできないことだ。
 あるものは なぜ 生き、 
  あるものは なぜ 逝く。 

その生死をわかつものが 一体なんであるのか?ということが いつもワタシの疑問なのだ。
 < 声は するのか?> 
災害時に誰を優先的に助けるのか?もちろん、それは今生きている人だ。
何かは切り捨て、何かを拾う。それはどんな場面においてもその通りなんだろう。建物は捨てて、人命をとる。もっと厳しいことを言えば、足を切り落として いのちをとる。

人の命も、すでに亡くなっていると想像できる場合は、そちらは後回しにして、今生きているであろう人を助けることをする。
但し、人情では、わが父を、我が子を、先に! と思わない人はいないだろう。
< ヒバクシャ >
ワタシの恩師がヒバクシャであることは、ご存知の通り。 著書 「 忘れ水物語 」の中にこういう場面がある。
テントに移されると、甲斐々々しく働く看護婦ではあったが、もうこなしきれない被爆者の数に麻痺したせいであろう、被爆者は、とりつく島もないような無口に、固い無表情さの前に、焼け焦げた体をさらした。すると、看護婦の手の先の刷毛が、食用油を含ませて、被爆者の傷口の上を、ざあっと一撫でして、次へ移る。その間、看護婦は、目をそむけることもなければ、患者の容態を気遣う様子も示さなかった。被爆者は患者ではなかった。すでに物体というより、襤褸布であり、看護婦は、この襤褸布に油を染み込ませる工夫しかしなかった。
 この単純作業が一しきり終ったところで、この空気に耐えられなくなった私は、一言その看護婦に口を利いた。
 「あのー、油がすぐ乾いてしまったんだけど、もう一度塗ってくれませんか。」
 言った途端、その看護婦は、くるりと首をすげかえるように、ふりかえりざま、私を見据えた。ろくに、私の傷も見ないで、
 「いくら塗っても、無駄でしょう。」
と、平然と答えた。
どうしたら、ああいうふうに、気持ちと声が切り離せて物が言えるようになるのだろう。それに引き換え、何と哀願じみたことを私は言ってしまったものかと後悔した。
 あれほど、絶対に痛いとは言うまいと心に誓ってきたのに、この看護婦は私を未練臆病者とみたのではないかと思うと、私はたまらなく口惜しかった。高熱のせいもあろう。急に頭ががんがん鳴った。私は、金時の火事場見舞いのように真赤で、しかも火傷に爛れた無念の形相で、その看護婦を睨み据えたにちがいない。
 「看護婦さん!」
さすがに、看護婦は黙って、真直ぐに私の傍に来た。
 「あなたは、いま、幾ら塗っても無駄でしょうと言った。では質問だが、いくら塗ってもということは、二度以上は効果がないということか。一度は効果があるのか。それとも一度も効果はないということか。」
 看護婦は、私の声の響きに驚いたか、真剣に聞いていた。「私は、軍医の指示に従っているのです。」
今度は、いわゆる性根を入れて答えた。
 「よし、それでは、二度以上は患者に塗ってはならないことになっているのか!」
言いながら、そんな権威主義に私は負けるものかと思った。
看護婦は答えられなかった。
私は畳み込むように、
「いくら塗っても無駄でしょうというのは、やはりあなたの判断ではないか。その判断の根拠を聞かしてほしいのだ。」
私はまだこの言葉のあとの用意さえあった。ここでも、看護婦は、口ごもってしまうと思っていた。口ごもれば、私は、
 「いま、生死の境にいる人間を、あなたは扱っている。あなたとの言葉のやりとりを最後に、この世と別れる者たちかもしれないではないか。私は決して、あなたに優しくしてくれとは言わない。(いや、本心はそうなのかもしれないのだけれども、まさかそこまで言う必要はない。なぜなら、この看護婦をとっちめることが目的なのだから)しかし、あなたによって、死に赴く者たちの、この世の最後の印象が作られていることを、あなたが人間である限り、考えるべきではなかったのか。」弁舌さわやかとまでいかなくとも、せめて人と人との生別、死別の時の作法だけは、看護婦である以上、知らしめる必要がある。私は本気でそう考えていた。
 ところが、実際は、私の方が二の句が継げなくなってしまった。
 私の質問に、その看護婦は、いとも簡単に、しかもあざやかに、間髪を容れずに回答したからであった。
 「私の判断ですから、まちがっているかもしれませんけど、多分、あなたの両足は、第二関節から  以下、切断しなければならなくなるでしょう。」
  私は、何とか動じないふりをして、言葉を探した。
 「よく分かりました。それならば、私の脚に塗って頂く分の油は、無駄ではない他の患者に回して上げて下さい。」
 まるで、中学生の英訳のような言葉が私の口から出ていた。
 私は完全に敗北者であった。どうして言わなくてもよいことまで言うのだろう。
 死に際を美しくするなど、生易しいことではなかった。


被爆当時、恩師は18歳だった。このように流暢な言葉で会話をしたかどうかは定かではないけれど、これに近しい言葉はおっしゃったに違いないと思う。
結局のところ、両足は切り落とすことにはならず、師は剣道六段の腕前であったし、警察大学で剣道の指導もした、と聞いている。

 時代は急速に移り変わっていく。ワタシは、すでにこの時の師の年齢の三倍も生きている。自分なりのちょっとだけ地獄は経験したけれど、自分の生き様のお粗末さにわれながら呆れかえる。これでは、わけわからん若者を批判することはできないなと思う。

それでも、今、いのちを戴いているのであるから、やっぱり 今日の一日を感謝をもって生きたいものだと思った。

>写真は、3年前に出かけた、NISHINOMIYA。大学時代ワタシが住んでいた下宿の近くにある記念碑。
切り立った崖の所にあった男子学生用の下宿屋は跡形もなく、更地のままだった。
                        合掌
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/

@@@@  @@@@@
延々 ブログにお付き合いくださって どうも ありがとう!
今週も、お仕事がんばるわ!






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家族旅行って・・・どうよ?

2009-03-26 12:51:15 |  メモリー 
こんにちは~本日も、ようお越し。(らっしゃい)
こちら横浜、お天気晴れ。やらなくてはいけないことは山のようにあるけれど、ちょっとお疲れ気味なので、無理をしないことにした。( ぼちぼち いくべ )

明日から一泊二日で、家族旅行にでかけることになった。ちょっと乗り気じゃあないのは、金・土と、自分の好きなイベント( 絵手紙の会[→月1(つきいち)開かれる]&猪股タケシさんのライブ[→この何か月か全然行けてない。])があるから・・・。

ですが、家族で旅行なんて、この先何年できるかわからないし・・・。
おら(=姫)のお財布から、銭こ出て行くわけじゃあないんで( 結構、せこいおばはん。気質、関西人。 )まあ、行ってもいいかな?って思ったわけです。

とはいえ、その準備、バーベキューの準備とか、お米用意する。とか、ペットにお茶入れて とか やらなくちゃあいけないでしょ。材料費は全部、ワタクシ持ちなわけでね・・・。あとららこさんの道具、ららこさんのえさ、などなど用意して出かけるのって、ちょっとめんどくさい。

同じく帰ったら、お洗濯ものの山、後片付け・・・などなど考えると、そ~~んなに(わくわく)行きたいってわけじゃあない。
 < 家族旅行 >
思い出 さかのぼる・・・
幼いころの家族旅行は、楽しかった記憶じゃあない。記憶はちょっと怪しいのだけれど、小学生中学年ころだったのかな?

忙しい商売の合間をぬって、四国と九州に連れて行ってもらった。当時の仕事用の車で出かけたのだろうが、どうしても思いだせない。延々、車の中。そりゃあそうだ。だって着いた先が鹿児島 桜島。

父「 おい、次 行くぞ!」 延々 車。「 おい、次 行くぞ。」そんな印象が残る旅。
恐らく、1泊2日、もしくは 2泊3日。

広島から、ず~~っと父の運転する車に、ひたすら乗っているだけ。当然 がたがた道。カーナビなんてない時代。父は地図を見てでかけたのだろうか?迷い道。夜、鹿児島 到着。

宿泊先は決めていない。とびこみ。遍路みたいな感じ。しかしながら、宿は満員御礼状態。

それでも、宿の人のはからいで、泊めてもらえることになった。大広間の宴会会場。ついたての裏。(こんな所で寝たくない。)

賑やかなよっぱらい達の声。( だからなのかな? 宴会 って嫌いなんだよね。)大体ね、おんなとおとこが、お酒飲んだ勢いで、で~れでれ、だ~れだれ してるの見ると、げ~~~んなりするんだ。( しっかり しやがれ!)

注)とはいえ、人生、お酒で1度失敗しているので偉そうにはいえない。つまり、お酒を、ちゃんぽんして飲み、足がたたなくなった。
( ほっといてくれ!)みたいな感じで、トイレを占領し、居座ってたことがある。( 和式でっせ。狭いトイレ内、床にこしかけ。スカートはいてました。おほほっ。 )
女「 (どんどん)大丈夫? 」( ぅる せえな~)とは、言ってないけど。

 おなごは、何度も失敗をするものではありません。

ワタシは、少人数制、気のおけない人々と一緒に語るのが好き。水があれば、お料理なんてなくたっていい、おつまみ程度で十分。延々のおしゃべりが好き。ず~~~っと24時間(仮眠つき)OK!かも?

>場面元に戻る・・・
真夜中近くになって、宴会場じゃあ気の毒だってことで、オーナーさんの特別室に移動した。ベッドのあるお部屋。
嬉しいような、嬉しくないような・・・。何故だかわからないのだけれど、(やっほ~~~!!やったね!))っていう心持ちじゃあなかった。
仲居さんたちの鹿児島弁が全くわからず、随分と心細かったのを思いだす。
>>>>>  >>>>>
「 仕事を 追いかけろ!」 
というのが、父が、父の商売を手伝った姉に伝えた言葉だったらしい。
母も姉も、そのような父の元でずっと暮らしたから、それが習い性(ならいしょう)になっていると思う。
同じく、少しはワタシもそういう所がある。

何だか疲れる性格だよね。
「 あんたあ ○○やったかね?はよう(=早く)しんさい。(やれば?)」
「 これ、やっちょかんにゃあいけまあ。(=これをやっておかなくてはいけないでしょう。)

(は~~~ぁ) 

晩年、生きていて、金銭に余裕があって、時間にも余裕があったら、南の島での~~んびりしてみたい。寝たまま ”ころっ”ていうか、”す~ぅ”っと、あの世に出かけられたら、こんな素晴らしいことはないな。と思う。
>写真は、広島市現代美術館 ~ 一泊した、コートホテル( 朝食がとてもおいしかった。和・洋のバイキング )へ続く道。IN HIROSHIMA。




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生かされるということ

2009-01-17 19:16:31 |  メモリー 

                  

13年前の今日阪神淡路大震災があった。
 母校の先生や学生さん達が大勢亡くなった。
時がずれていれば、恐らくワタシはこの世にはいない。
ワタシが住んでいたところは、みなではないが貧しい学生たちが多かった。

何年か前、ワタシがその地を訪れたとき、崩れ落ちたがけはまだそのままだった。
                                 
                                          

+++++  +++++
実は 思うところあって、学生時代お世話になっていた恩師に年賀状をずっと出せずにいたのだけれど、やっと成人の日に届くようにだすことができた。

お手紙が返ってきた。

予期しないことだったのだけれど、恩師はワタシに米寿のお祝いに御自身がお造りになってご自分用にとっておかれた
最後の一枚の栞(しおり)と絵はがき「 マルタとマリアの家のキリスト 」を下さった。
栞の言葉「 しかし、必要なことはただ一つだけである 」
< お手紙の抜粋 >( 特別に 皆様に・・・)
マルタ(姉)マリア(妹)の家へイエス様が来て下さるというので二人は大喜びでイエス様を歓迎しました。
話を始めるとマリアはイエス様の脚元に笑ってその話をきいておりましたが、マルタはイエス様のために台所で御馳走を作りました。しかしマルタは気が気ではありません。
「私だってお話がききたいが、マリアはお台所を手伝ってもくれない。イエス様はどう思いますか?」
「 しかし必要なことはただ一つですよ。マリアはそのよい方を選んだ。」 
+++++  +++++

多くのことがらの中から、自分が選びとれることはただ一つ。
自分が選んだ限りにおいては、愚痴だの文句だのは極力さけて行きたい。
この日、この時は二度とないのだ。 
「 いつお迎えがきてもいいように、こころを定めて生きなくてはいけないのだろう。」と思う。
それが、どこか生き残りしものの勤めのように思うんだ。

                         

                                写真はグアム島 横井庄一さんの記念館前にあるマリア像。
                                       題 『 祈り 』

                           

            

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あやかし姫@旅人  IN 江津  ( その3 )  

2008-11-14 05:39:36 |  メモリー 

11月8日 朝は予定を変更して( = 出雲の石見銀山 探訪は中止 )神在祭の儀式に参列。神迎えの儀式等のお話は後日。

出雲大社駅から一畑電車に乗って、出雲まで行く。写真は2両編成の電車。

          

車内は、出雲の祭りに参加した人々で結構込んでいた。若い女性たちも多かった。

          

JR出雲駅~江津に行くための特急に乗り込む。車窓から写した日本海。自分が生まれ育った瀬戸内海とは随分印象が違う。はてしない。

男性的。透明。漂流。水しぶき。・・・ こういう海を毎日見て育ったら、きっと逞しい人になるんじゃあないだろうか?

口先だけ立派で、なかなか実態が伴わないワタクシを思う。

@@@@@   木馬で 一休み その後  そのさんと 江津探訪   @@@@@

                     

ツバキ山の中に見える 観音さま   と   色づいた山

                    

柿本人麿呂の奥さんと 歌。 意味はわからず?( 今度会えるのはいつですかね? って言う感じですかね? ) そのさんに聞いてみてください。

                         

 

柿本人麿呂と 歌。 丁度 万葉に親しむおばさまたちに出くわして、解説していたおじさんの話を小耳にはさんだのだけれど、 どうやら 別れの時に詠んだ歌のようで、人麻呂が 奥さんをもう一度見たいので、”どうか この山よ どいておくれ。”というような説明だったと思う。( あやしいけど・・・?)

台座に乗った奥さんの像は、人麻呂が、ず~~っと手を振っているにも関わらず、くるくると回転をしてしらんぷりすることがある。

                             

ブログのお友達の @てつ兄さんの通った小学校。いちょうがちょっと色づいていた。「 @てつ兄さ~~ん、そのさんがおいしいコーヒーいれてくれるよ。一度 木馬に いらっしゃ~~い。」

                    

元 天領の町並み・・・この立派な屋根瓦で江津市は有名らしい。 おうちに入るこの橋は、うちとそと、あの世とこの世を現しているように思う。

                     

石垣・土塀  懐かしい感じがした。        石灯籠の彫りが出雲らしい。八雲たつ・・・。 

                     

歴史を感じる神社。    @向島さんが子供のころ泳いだという、江の川。小さくみえるのは、カヤック。そのさんによれば、これでも水の量は少ないらしい。        

コメント (6)
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あやかし姫@旅人  IN  江津  ( その2 )

2008-11-12 15:40:48 |  メモリー 

そのさんちのブログに飛んで びっくり それはね・・・
こんなのありました~。

-----------切り取り線-------------

 実は あやかしさんの行動力に感心している。
私は女性一人ではここに(江津)にそれも見も知らない土地に 絶対にこれないと思っていた。というか無理だと思っていた。
その理由として交通の便が悪すぎる。
JRしかなくてそれも一時間に一本くらい、バスだって午前中に何便か、数えるほどしかないのだ。
私なら不安で、独りでこんなところに来ない。
だから あやかしさんに木馬の近くに旅館がありますか?と聞かれたとき、「民宿すらありません。」と答えたのだ。これで江津行きはあきらめてくれるだろう。
でもあやかしさんはネットで江津の旅館を予約されたのだ。もう逃げられない、それなら歓待してあげなくちゃ 気持ちよく帰っていただこうそう思った。

あやかしさんのこの行動力と好奇心、そして女学生ののような冒険心、私は駄目だなぁ。
黒か白か、丁か半か、とにかくどちらかにキッパリと決められない、多分あやかしさんはキッパリと決められる方だと思う。

私は子供の頃からいい加減な人間だった、誰にもいい顔したくて、誰にも嫌われたくなくて、そして新聞読んでいてもこちらの意見を聞けば、そうか、と納得し、またこちらの意見を聞けば そういうこともあるかもと思う。
好きかといわれれば好きでない、なら嫌いかといわれればそうでもない。好きでいて嫌い、嫌いなくせに好き。
自分の確固とした人格がないのだ。
この年まで生きてきても、やはり曖昧でいい加減な生き方は変えられそうにないなぁ。情けないけど・・・

@@@@@  あやかし姫  登場   @@@@@

姫 「 切り取り線 ?? よっしゃ!」 ( これは 切り取ってもって行ってよろし。ってこどすねっ。) とばかりにそのさんちから 記事を頂いてきました。

>ワタシは・・・
自分でも呆れるほどに、な~~んも考えずに行動することがあるんだ。そのさんがおっしゃっているようにワタシの 「 行動力 」 は持って生まれたものなのだと思う。
なぜならば、星占いでいくと、ワタシには 真ん中( 主星 )が「 軍人 の星」(=行動の星)だから、それを発揮することは 実は持っていない人に比べれば簡単にできることなのだ。白・黒をはっきりつけたがるのも、そのことの故。

しかしながら、それを行うときに困った問題が発生する。それは頭が働かないところ、っていうか怠けるところ。島根県の大体どのあたりに位置するのか?地図ではちゃんと見たのだけれど・・・。出雲~石見銀山~江津 は とてつもなく遠く、 主として電車・バス・徒歩便じゃあ はっきり無理でした。

普通なら 時刻表とかをちゃ~~んと見て計画をたてますよね?そういうことやるのが面倒、というか膨大な時間を要する。ゆえにやらない。
( 何とか なんべさぁ~? ) 
計画立てても まずそういう風に行ったためしがないしね。・・・ おそらく 四国88ヵ所の遍路をしたあたりから 実にいい加減な人間になって行ったのだと思う。

お四国 発心の道場。(徳島県) 確か、バスは 半日に1本 なんていうところもあったような~~?? 暗闇の中 なすすべなく、 一人ぽつねんと とうちゃんのお助け車がやって来るのまったこともあったっけ?( 寒いのぅ~ ぶるぶる。)

「 旅は道ずれ 世は情け。」 情けにばっかり ずがりまくりで 生きているワタクシなのであります。つまりは できない部分に関して 他人さま、もしくは家人に ごっそりと迷惑をかけてしまうことがあるんだ。

その ( もう逃げられない ) 

姫「 そのさん、その思いは 確かに正解です。流石に 喫茶店 『 木馬 』 経営 3●年の女あるじであります。人を見る目があります。」

姫が お楽ちんをした分、実はそのさん関連 ピープルが難儀をしたのであります。

ちょっと ブレイク・・・ 「 木馬 」 の サイフォンでいれた コーヒーをどうぞ!

               

正直申せば・・・

ワタシは子供のころから、ずっと一人ぼっちで生きてきた。( という印象 ) ものを言わない子供だった。ものを言わないのではない。ものが言えない状況だったのだ。それはおそらく二つ上の姉もそうだったのだろうと思う。

父は元陸軍の軍人だったから、白のものも父が白だといえば、例え黒であると思っても、白といわねばならなかった。

はじけ飛んだのは、大学生の時だけ、あとは殆ど暗い人生、無明の人生。どちらかというと我慢の人生だった。自分の居場所を確保するために、自分らしくない自分を演じつづけてきたようにも思う。 

この何年間かだ。( まてよ、いつまで生きていられるかわからないぞ?)って思うようになったんだ。 

自分のやりたいことも同時進行させなければ、絶対あの世旅立ちコースに足を突っ込んだときに後悔する。この世に恨みを残す。そうは なりたくない。

恐らく、これが只今のワタシを動かしているものなんだと思う。今まで、諦めてきたもの、こと、の いろいろ・・・。
世の中にはもっともっと自分を豊かにしてくれるものが存在するというのに・・・。それは子供たちに対してもそう。

何でもブータン王国?の偉いおぼうさんが言ってたんだ。ひとに生まれ変われるのって 500年に一回なんだ。だとしたら自分の人生、もう少し自分らしく生きてもいいんじゃあないだろうか?

”女学生の冒険心”そのさんって、言い当てていて妙。下手すると、ワタシの冒険心は小学生のそれであるかも知れないけれど・・。

江津・・・

楽しかったな~。 あの列車降りるときのワクワク感たらなかったな~。多分だけど、ワタシは人生の陽のあたる部分を取り返しているんだと思う。

@@@@@   そのさんの おみやげ  @@@@@

                             

そのさんの手料理、冷凍して持たせてくださった。 牛肉のしぐれ煮。切干大根の煮物。炒りどうふ。干し柿。 器に盛ってあるのが その干し柿。どれも大層おいしかった。家族で関心しながら 食べた。 

マ 「 そのさんのオットになりたい。」 料理にうるさいマンマミーヤが言った。

                                

このほかに サンドイッチ。 もう1本 あわびの蒲鉾。 この”赤てん”はまだ食べてない。どんな味なのか わくわくしている。

そのさ~~ん たくさんのおみやげ 本当にありがとうございました。

コメント (2)
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あやかし姫@旅人  IN 江津 ( その1 )

2008-11-10 14:30:47 |  メモリー 
ブログ内 ず~~っと憧れていた、喫茶店 『 木馬 』の女あるじ、そのさんにお目もじが叶った。

そのさんは、ブログ内最初のお友達→ mayumiさんのブログ友達。
つまりワタシは”友達の~友達は~友達で~♪”といつものお軽いノリでずうずうしく島根県、江津市のそのさんの経営する喫茶店『 木馬 』押しかけたのだ。

そのさんは”歓迎の、人探しうちわ”まで作ってくださりお出迎えくださった。写真と記事はこちら・・・

http://blog.goo.ne.jp/oua1125/e/88bb32e7a7bd24a3cefce23367bb5650

そのさんが、ワタシの印象が違ったとおっしゃったように、ワタシのブログ内で勝手にイメージしていたそのさんも違った。

関連記事はこちら・・・

http://blog.goo.ne.jp/oua1125/e/5ed05337731ff263f09d0309f7bbbccc

ワタシはもっと、田舎のおばちゃんぽい人を想像していたんだ。
だがしかし・・・ワタクシの見たそのさんは・・・

< 容姿 >・・・はっきり言ってスタイルはGOO!。5月より始められたというウオーキングによりすっきりとした体形。とてもワタシのようにだらしない感じで脂肪がついていない。( おなか回りとか )

< お顔 >・・・美人、昔の金井克子( 金井さんはちょっと冷たい感じがするけど )さんとピンクの電話のみやこちゃんを足して二で割ったような 暖かい・明るい感じの美人。

@@@@@  江津の町へくりだす @@@@@

お勉強の苦手な、( 特に国語、主として文学 )ワタクシは、いつもそのさんのブログを読みながら ( へへ~~ィ)とひれ伏したくなるような、恥ずかしさを覚えていたのだけれど・・・。

ご一緒のところ発見いたしました~。それはね、迷子になると・こ・ろ。( うふっ)そのさ~~ん、お仲間 お仲間・・・。

木馬を相方のイリコさんにお任せして、(イリコさ~~ん、ありがとうございました~~。)江津の町案内。

あれっ?こっちじゃあない。 あれっ?こっちでもない。 おやっ?変だな?

ってな感じでそのさん車、スイッチバック走行。
それでも、
あこがれの星高山をみることができたし、江の川もみることが出来たし、ツバキの山の観音さんも見れたし、柿本人麻呂の記念公園にもたどり着いたし、天領の町並みも見れたし@てつ兄さんの遊び場所も見たし・・・。

楽しかったな~

@@@@@ 木馬 @@@@@

『 木馬 』のそのさんといえば・・・ワタクシのあこがれの一つはそのさんの手料理。いつも写真をながめながら( うまそうじゃのぅ~ )

これがね思った通りのおいしさだったんですよ。( ほ~~らね、あ・た・り! )
>初日・・・まめご飯のおにぎり。と 卵焼き。 おいしい!!!石見銀山用に作ってくださっていた。

>お土産・・・実は そのさんは、手料理を冷凍してワタクシ目に持たせてくださったんですよ。これが大層おいしかった。写真ではおいしいそう、でとどまるしかないんだけれど・・・

ブログを読んでいらっしゃる皆様、ごめんなさい、ワタクシ食べました。あこがれの手料理、今朝ほど食べました。( サンドイッチは昨日)子供らと食べました。

どうして、おいしいのか?おそらくちゃんとお出しを取っていらっしゃるからじゃあないかと思います。あとはいろいろな材料を使っていらっしゃるところ。( なんじゃあないかな? ワタクシ、インスタントのだしの素使用者の、素人料理人なのでわからない。)

三人 異口同音に 「 おいしいね~。」( 満足 満足 )
夜はとうちゃんに食べさせてあげようと思います。とうちゃん、本日胃のバリウム検査。まちがいなく 牛肉のしぐれ煮には舌鼓を打つでしょう。

木馬の一押しは、「 ハート フル 」なところだと思う。

それはちょこっと聞いただけだからわからないけれど、
そのさんはご結婚をされてから、ご主人さまのお母様の介護。子育て。30年以上も続く喫茶店「 木馬 」の経営。ご主人さまを看取る。などなど沢山の人生の山河を乗り越えてきた。
ハートフルであることは、そのさんの沢山のご苦労があってのことなのだと思う。

そのどれ一つをとってもワタシは卒業をしていないんだ。

只今、喫茶店 『 木馬 』は おじさま( おにいさんも含む )やおばさまたちの憩いの場であり、こころを癒すサロンだ。

木馬のコーヒーはおいしい。サイフォンで入れる。

都会の、秒刻み、コンクリート生活の中で、ワタシは思い切ってずうずうしくもお出かけしてよかったなと、こころから思う。

>イリコさ~~ん、東京マラソン 落選しました~~。
>トンボさ~~ん、時間をやりくりしてお顔みせてくださってありがとう!
>しもちゃ~~ん、いろいろ勉強 がんばってくださ~~い。きっと何かが花開くと思いま~~す。
>アユ釣り名人の Hさ~~ん、いつか天然アユ 釣りたいで~~す。

>サンコー観光の社長さ~~ん、ワタシのために、車 ありがとうございました~~。
>サンコー観光社長夫人さま~~カーナビより確かな カーナビげーションありがとうございました~~。
>あんみつ姫さま~~遠く空港までい付き合いくださいまして ありがとうございました~。

>そのさ~~ん がんばって 主婦する気になりました~~。

>@てつ さん、江津 UPするんでお楽しみに~~。( ちょいとお時間 いただきますが・・・。)
 
追伸・・・「 神迎えの儀式 」では神様より笹の葉を頂きました。それは「 とりゃ~。」という争いの精神によってではなく、分かち合いのこころによって。
儀式についても、出会った人々についても何とか時間をとって話したいです。

>写真は三つに増えたそのさん手作りの品。
裏返してみたところ。裏にも美しい布が使ってあって、そのさんのセンスとこころ配りを感じる。小さな小銭入れには五円だまが入っていた。(ご縁がありますように!)




コメント (6)
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最後まで あきらめるな!

2008-07-28 03:37:08 |  メモリー 
子供たちには言ってきましたさぁ~。試験でも何でも、最後の一分一秒まで戦え!って。

大体ワタシは子供達に喧嘩を売ることが多い。ジャパンがノルマなし、都合のつく日だけでOK!のマネキンの仕事を三日でやめたときにも、

姫「 三日でやめるとは何事だ!」と怒り
ジ「 じゃあ お母さんやってみなよ!」って言われて・・・
姫「 あ~ やってやろうじゃないの!」って

やりましたわな~マネキンのお仕事。年齢制限ぎりぎりのラインで滑り込んで・・・。

ま、 確か 3ヶ月くらい続いたんで、とりあえず面目躍如ってことにしときたいけど・・。

実はその前にもジャパンに喧嘩を売ったことがある。ジャパンが大学4年のときだっけかな?
社会学?かなにかの単位を取る時・・・、

1、世界の切手ショー、みたいなのに売り子さん?として1日参加すれば、A+(=つまりは一番よい点数)がつく。

ジャパン 不参加。
( ばっかだね~ そんなおいしい話に乗らないって手はないだろ?。何で行かなかったのよ)

2、とりあえず授業に真面目に出席したものには、C がつく。

ジ「 Cでいいや。」
これにカチンときたんだな。

姫『「 Cでいいや。」とは何事だ!(「で」が気に入らない)』

すったもんだした後、ワタシがこのレポートを請け負う形になってしまい・・・
A を 取ったら 3000円。
B を 取ったら 2000円。バイト代から頂戴する約束で・・。

姫「 やってやろうじゃない!」
ホント自分でも、馬鹿じゃないかと思うけれど・・・。請け負ったのはワ・タ・シ。

この大学教授の書いた何だかわけわからん?中東あたりの?切手のご著書を読み、おまとめしただけじゃあ点はあげません。とか書いてあったけれど、とりあえずは読むしかないじゃん。と思い読む。

しかしながら・・・学問なんぞには、と~~っくの昔から、っていうか全く親しんでいない、そこいらのおばはんには、この課題は大変な重荷となった。

たった1冊の本を読むのに、自分で辞書を作った。つまりは1章に書かれていたこの言葉の意味は 
( 何でしたかしらん? )状態なわけ。
ex,「 シオニズム 」・・・ほにゃらら・・。ほにゃらら・・・。ほにゃらら・・・。

大体 皆様信じられないでしょうが、中東がどこにあるのか?そんなことも知らないんですよ、ワタシ。( → 自慢にならないけど )

ねばること、確か7日間くらい、睡眠一日3~4時間程度?だっけ?

神武天皇の切手~フィリピンで作られた日本軍による切手やらなんやらを貼り付け、なんじゃらかんじゃやら・・・。述べて・・・。

間違いなく、ワタクシは最後の1分、1秒まで戦いました~~!

結果発表・・・ジャパンから3000円せしめたけど、二度とやらない。二度とやらない。と誓った日でありました。

喧嘩売ると、ろくなことないのよね。
一昨晩もわけわからん化粧品の処分、廃棄のことで喧嘩になる。ジャパンとの喧嘩は珍しいんだけど・・・。

おそらく、なかなか片付かないゴミ箱ハウスに、ワタシがいらついているんだと思う。
>写真は先日の川崎大師の風鈴市でみつけた青銅の風鈴。涼やかな音色。来年は買い求めたい。こころにゆとりは必要よね。
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続編  オールウェーズ  三丁目の夕日は・・・

2008-01-03 03:25:46 |  メモリー 
 お一日、家族4人そろって、おばあちゃん(=主人の母)のうちの近く、ロビンソンの映画館で、オールウェイズ三丁目の夕日の続編を見る。泣きっぱなし。だから映画館で見るの やなんだよね。映画館から出てくるときが困る。ふりかけ屋さんが前ご紹介下さったことのある「ROBOT」という会社の作品らしい。

最後の唄が好きだった。前回の作品の最後の唄も好きだった。
これってストリート・ミュージシャンの作品なのかな?なんかそんな感じがしたけど?

映画の世界はやはり虚構の世界ではあるけれど、だからこそ夢が持てるんだし、「よし!がんばろう!」って気にもなるんだよね。”夢でも食ってなきゃあ やってらんない、今の世の中”。
映画館を一歩外に出たら現実が待っているのは事実だけどね。

修理工場の社長が、戦友の夢をみる場面はどうしたって泣ける。自分の父のことを思いだすからね。満州から帰還するのは並たいていのことではなかったらしい。一体何人の部下を失ない、何人の人を殺したのだろう?このことが私にとっては父に絶対に聞けない質問であり、禁句だった。

何にもわからずに、高校生の頃、民主主義をふりかざして、こころの中で父のことを批判ばかりしていた自分が今となってはとっても恥ずかしいんだ。
>犬は・・・
私は小学生の頃、丁度この映画に出てきたような野良犬を拾ってきたことがあった。父に怒られすぐに捨てに行ったけどね。とっても悲しかったなぁ。多分それ以降私は犬が嫌いになったのだと思う。

犬に関していうならば母と犬との記憶もあるんだ。
母は私が幼稚園のころ、なぜか、白い大きな野良犬の蚤を取ってやっていたことがあった。仕事と家事と休む暇なく働いている、時間のない母がなぜそのようなことしていたのか今だに疑問なんだけれど、その場面だけが目に焼きついてはなれないんだ。

父と母の犬に対する姿勢、様、その違いが子供心にどうしたって理解不能だった。
私はなんで父は犬が嫌いなのかを考えた。で 出した結論はというと・・・
”父は子年生まれだ。ねずみ年だからネコも犬もきらいなんだろう”ということだった。

大人になってから、ひょっとしたら満州で犬やネコを食べたことがあったのかも知れない。と思ったことがあったけれど、

まあ 今考えると自分達の口をまかなうのも大変な時代に、動物を飼うなんてことはありえない選択だったかもしれない。
>蛍は・・・
戦友の夢とともに現れたあの蛍は、私はあの世からの使者だと思うんだ。こころ淋しいとき、悲しんでいる時、誰かのことを思うとき、花鳥風月 自然の中の美しきもの達はその姿をかりて 人々を励まし、慰め、力づけてくれるのだと思う。

今 自分の目に映るものは 自分が見ているのではなくて 見せていただいているんだ。そこにあるメッセージを受け取れる自分にならなくてはならないと思う。
>とはいえ・・・
ジンカン(=人間)で生きることってホント大変。お仕事するのも大変だし、主人の実家で嫁もどきするのも大変だし、子育てするのも大変だし、ご飯一食つくることだって大変だし・・・。きりなく繰り返されるわね。

さあ~今日も一日 がんばらなくっちゃ!昨晩疲れて爆睡。だけど 病気の時のこと思い出すと て・ん・ご・く かも?

>写真は以前のもの ・・・ うちから見える 夕日 富士を望む




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再び  シンデレラ  happy 空間 へ

2007-12-13 08:21:22 |  メモリー 
おはよう こちら 横浜自宅

とうちゃん ご出勤。ジャパン ご出勤。只今 6:40分。
とうちゃんはこの1~2週間家庭教師もやる。体にいいかどうかはわからないけれどリポビタン飲みまくり。

普段全くといっていいほどお勉強をやらないマンマミーヤの卒業&進学をかけて やるっきゃないでしょ、勉強。

ひそかに 今度あんさんの番よ!(けけけっ 大変だからね!)って感じで夫婦バトンタッチしながら・・・卒業試験終了!(かんかんかん! これ終了のゴングね!)

とうちゃんはじっと耐えること、努力することができる星の持ち主。故にこういうこと(マンマミーヤの家庭教師)が可能(なんだと思う)。じゃなきゃあ 封建制度むちゃくちゃ残りまくりの会社でここまで生き残れなかったと思う。

TO kaisha.

若かりし頃の姫「 うちのとうちゃん 殺す気かぁ~~~~!!!」
ちょっと前の姫「 使っていいわよ~~ん。どんぞ どんぞ!」・・・。

>それにしても 親の私がいうのなんなんだけど、マンマミーヤはむちゃくちゃ理数系ができる。とうちゃんの説明一発でわかるし問題回答、競争したらとうちゃん顔まけ。数学もさることながら物理だのなんだの、作図なんぞもきっちりかけるし・・・。その故か何かわからないけれど国語の漢字が昔から何度言ってもみょうちきりんな書き順をするんだ。

ご本人さまも星が流れて頭の星にとまるんで決して馬鹿じゃあないんだよな~。しかし日々努力を重ねるなんていう感じではないわね。わたしそっくり。

>巷では学力が低下したとかで、公立の中学校に、イチョウ村界隈旗振りおじさん所属の、大手進学塾の塾の先生が出張授業にくるとかいう試みが実験的に?始まるなんちゅうニュースやってた。

その塾の若い先生「儲けは度外視して やりますから・・・。」

悪いけど、自信満々のその塾の先生にむかついた。(儲けだと~?)

なんでも塾にかかる費用の1/2の授業料をはらえば、夜間の補習を学校でやってくれるんだそうな。

(違うだろ!?)つまりはそれは単に学力を伸ばすってことで、人間としての生きる力をつけるって事じゃあないと思うんだよね。

むかついて向けるべき矛先は この塾の先生じゃあなくてこういう発想しかできない教育委員会?審議会?だと思うけれどね。(どこですか?たぬき先生~~。)

私立学校の場合は多分これを学校内でやってるんだと思う。(追試、補講、追っかけ)しかもこの上に塾がついてくるんだよね。これは何もうちのマンマミーヤの学校に限らず他の私立もそれなりみたい。膨大な時間をいわゆる受験勉強みたいな学習に注いでいるんだ。

私立も公立も み~~んなで寄ってたかって子供達に知識つめこんで事たれり!なんてしてたらホントどうなるんだろ?これからの日本。

まあ みんなで落っこちていくしかないわね。おっこちてハタと気づいて取り返しつかないところまできて み~~んなで引きこもりして、にっちもさっちもいかないところまで行くしかないわね。

引きこもりになる若者 + 働けない若者 + 昭和一桁 老人 + 昭和二桁仕事ないおじ様たち + 介護必要な人々 

を~

勝ち組とか言われる若者 + それでも働ける若者 + 昭和 一桁 二桁 とりあえず体元気組み 老人 おじ様 おば様 が~ 支えるちゅうんでどうでっしゃろ?

今 イチョウ村のパートおばさんやってるわけだけどやっとこ仕事になれてきた。

あのうどんやで働いていた時に怒られた、悪夢のような 全国デパート共通券(取り扱い知らないでしくじった) それだって な~~んだ簡単ジャンって感じ。

但し 品物を作るのは至難の技。3g違いでだめだしが出る。瞬間芸にも近い職人技なんでここはがんばるしかない。これができるようになったら随分自信がつくだろうな~。

パートで生計をたてることなんてことはまずできない。今の世の中で パートで働いて、女手一つで、子供を育てあげることなんて不可能に近いんじゃあないだろうか?

そういう状況にある子供にこそ、そして学ぶ意欲のあるものにこそ、学習の機会を与えてあげることこそが大切なんだろうと思うけれど・・・。

自分になにができるのか?なんて考えても何もできないな~~。(とここでマンマミーヤ起床。)

@@@ 昨晩 「スター」 最後のコンサートライブ @@@
マンマミーヤとでかける。むちゃくちゃ ハッピーな時間 空間
この幸せな思い出が これからも私を支えてくれると思う。


>写真は 尊敬する唄の神様「スター」の最後の路上写真。本当に ありがとう!って言いたい。病気克服できたのはこの人たちの唄に励まされたからなんだ。

>今から家 そして イチョウ村に帰って仕事。がんばるさぁ~
今日は 聖ルチアの生誕の日  闇の中に光が輝きだすことを祈りたい

>聖ルチア 関連記事 
http://www.ffortune.net/calen/xmas/saint/lucia.htm

>てつさん ご紹介ありがとうございました。 







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