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国際法違反で建設された普天間基地は即刻、無条件で返還されるべき

2016年06月28日 | 日本を思う

6月23日は「慰霊の日」で、未だ国民の休日ではありませんが、沖縄県ならびに沖縄県内の自治体は休日条例で休日と定めているため、沖縄県では国が運営するもの以外の役所などの公共機関も沖縄県では休みとなります。

沖縄県は大東亜戦争において唯一、悲惨な本土決戦が行われた場所です。

(1945年)8月15日にポツダム宣言を受諾したため、結果として本土決戦が行われず、沖縄だけが捨石にされた という表現を耳にしますが、そもそも本土とは、日本の離島以外の場所を示すもので、北海道、本州、四国、九州のみを指すものではなく、沖縄本島も含めて本土 を意味するため、 失礼極まりない 表現です。

4月1日にアメリカ合衆国を中心とする連合国が沖縄への上陸作戦を開始しました。(沖縄戦には、グレートブリテン・北アイルランド連合王国、通称、イギリス軍も参戦しています)

(6月22日説もありますが)6月23日には沖縄の日本軍が壊滅して組織的な戦闘が終わったため、この日が 慰霊の日 とされています。


4月1日の上陸から始まる連合軍の侵攻の様子が上の地図で日付入りで示されています。

沖縄本島を分断するように上陸した連合軍ですが、12万人弱だったと言われる日本軍には、沖縄全島を防衛する力がないことが解っていたため、その戦力の殆どを島の南部に集結させていました。

よって、上に示した地図でも解る通り、上陸から2週間ほどに連合軍は沖縄本島の北端まで侵攻していますが、島の南部は日本軍の3~4倍の兵力の50万人を超える兵力を要する連合軍と日本軍の死闘が繰り広げられました。

嘉数の戦い(嘉数高地における戦い)や首里の戦いの奮戦も虚しく、日本軍は最南端の摩文仁に撤退しましたが、既に兵力の殆どが消滅してしまった日本軍は6月20日頃には、組織的な戦闘を行うことが出来なくなったと言われます。


ただし、その2日前の6月18日に、この写真の人物、連合軍最高指揮官のバックナー中将は前線視察中に日本兵の攻撃を受けて戦死しています。

既にバックナー中将の顔を把握していた日本陸軍の砲兵は、一般兵用のヘルメットを着用してカムフラージュしていたバックナー中将に向けて 九六式十五糎榴弾砲 を撃ちました。


尚、過去の戦争で大敗したことのないアメリカ合衆国は、その歴史の中で、戦死した軍人の最高位は中将だそうで、その人物はバックナー氏だけだそうです。


バックナー中将の戦死から5日後、日本軍の組織的な戦闘が停止した3日後の6月23日には、日本軍の司令官の牛島中将も自決(割腹自殺)しています。

更なる悲劇は、日本軍の司令部は壊滅時に、戦闘を終了する命令を発しなかったため、負けを知らずに戦い続けて命を失ってしまった兵士が9月頃までいたとの報告があり、それにより尊い命が失われたと思うと悲しくなります。


上の地図の赤い場所が示す通り、ご存知の通り、沖縄県の土地の約18%、沖縄県本島に限れば約10%の土地が米軍基地で占められ、未だに 日米地位協定が存在 するなど、様々な問題が山積しています。

しかし、同時に、東シナ海への中国の進出により、多くの周辺諸国と同様に日本も尖閣諸島などへの厳重な警戒が必要なだけでなく、油断して隙を見せれば沖縄までも奪われる危険さえある危険な国際環境下にあり、何の見込みもなく、米軍に出て行けとは言えない状況なことも事実です。

日本の国土全体の1%にも満たない沖縄県に在日米軍の 約74% が集中している問題も避けて通れませんが、申し訳ありませんが、これらの沖縄への不平等の議論は、このBLOG記事では、いったん、置かせて先に進ませて下さい。


三沢、横手、厚木、横須賀、岩国、佐世保、嘉手納など、国内の主だった米軍基地は、元々の日本の帝国陸軍か帝国海軍の基地だった場所で、敗戦により軍隊を保持しなくなった日本の防衛のために、米軍が代わりに旧日本軍の基地に駐在しているのだという理屈も成り立ちます。

しかし、普天間基地 は、沖縄戦の戦闘中に、連合国軍が占領した畑に飛行機を建設(終戦後も建設が続けられて軍事基地は完成)したもので、旧日本軍の基地ではありません。

つまり米兵が沖縄の日本人の土地を勝手に奪って軍事飛行場基地を建設したので、ハッキリ言えば、 盗人 行為により作られたものです。


地図上に印をした場所が普天間で、連合国軍が上陸した地点に近い、戦闘初期の占領地域で、ここにプロペラ機用の飛行場としては破格に大きな2400mに及ぶ滑走路を有する軍事基地を建設しました。

終戦後の冷戦開始から朝鮮戦争の勃発に至り、沖縄在住の日本人の土地所有者に普天間基地が返還されることがないばかりか、基地の恒久化のために進駐軍は1950年(昭和25年)に占領下の琉球政府に対して、米軍が占領した民有地の借料に支払い を命令しました。

有無を言わせずに民間人の土地を奪っておいて、(私の力が及ばず、借料が相場的に十分な額だったかまで調べきれませんでしたが)後から安価な借料を払えば文句を言わせないというやり方は、卑劣極まりない ものです。

旧日本軍も同様に、特に戦争中盤以降に、祖国防衛‥‥という名の下に、強引に民有地に軍事施設をいくつも建設しているではないか! との反論をされる方がいるかもしれませんが、自国により防衛施設が構築されたのと、侵略軍により攻撃拠点陣地が建設されたのでは、意味合いが大きく異なります。

朝鮮戦争が停戦した1953年には、普天間の滑走路は2800mに拡張され、この時も、ブルドーザーと拳銃 により、沖縄の日本人住民の土地が奪われています。

既に大東亜戦争の時には日本もアメリカ合衆国も加わっていた民間人を戦争に巻き込むことを禁止している ハーグ陸戦条約 の第23条に、ハッキリと禁止が規定されています。

ハーグ陸戦条約の第23条の内容を要約すると

戦争遂行にて、止むを得ない場合を除いて、相手国の財産の破壊や押収は禁ずる

アメリカ合衆国は、ハーグ陸戦条約の第23条の の部分を抽出して、普天間基地の存在・存続の正当性を主張していますが、屁理屈極まりないことは、子供でも解ります。

ヨーロッパ戦線でもイタリアの歴史的建造物だったモンテカッシーノ修道院をドイツ軍が軍事拠点化しているだろうと思った連合国軍が空爆により、建物を破壊してしまっています。


空爆される前のモンテカッシーノ修道院です。


空爆により破壊されてしまいましたが、実際にはドイツ軍は修道院を軍事基地化していなかったそうで、連合国側がハーグ陸戦条約の第23条の 止むをない という部分を拡大解釈して、人類の偉大な歴史的な建造物が破壊されてしまった酷い事件でした。

モンテカッシーノ寺院のように、建造物なので、建物内に何が入っていたか判らなかったから攻撃をした ‥‥ というのであれば、まだしも、普天間のように何もない畑だった場所を奪い、未だに基地を存続させていることが、戦争遂行にて、止むを得ない場合を除いた相手国の財産の押収 に該当するのでセーフだとは、到底、思えません。

明らかな国際法違反 が70年以上も続けられているのです。


沖縄戦開始前の、軍事基地など全くない普天間の航空写真です。


ほぼ同じ向きに回転させた現在の上空からの写真を見れば、滑走路が確認できます。

誤解していただきたくないのは、私は、現在の沖縄を含む、中国による人工島建設に代表される東シナ海周辺各国への驚異に対抗するための抑止力として、在日米軍や自衛隊は必要であり、可能ならば中国を刺激して実際の戦争とならない範囲内で、むしろ強化した方が良いとの意見を持っています。


爆撃機も発着可能な3000m級の滑走路を備えていると言われる中国の人工島です。

国際法を無視するような中国の勢力拡大を、断固として認めず、毅然とした態度を貫き通す必要があると思っています。

だからこそ、現在は軍事同盟国だとはいえ、大東亜戦争中から現在まで継続されているアメリカ合衆国の普天間不法占領には、No を表明し、即刻、返還させ、その上で、新たな拠点の構築を行うべきだと主張させていただきます。


尖閣諸島(外務省パンフレットより)

軍事や土木建設の専門ではないので、このような話をすると、全くな無知な意見だと笑われてしまうかもしれませんが、沖縄本島と尖閣諸島の間の洋上に人工島を建設して、日米合同の大軍事基地を作って中国に対抗するのが良いのではないかとさえ思いますが、この最後の部分は、私の思いつきの戯言なので、軽く流していただければ幸いです。


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沖縄を駆け抜けた聖火ランナーたちに沿道で禁止されていた日の丸が振られて声援が送られた日

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アメリカ合衆国に軍事占領下に置かれていた時代の沖縄県民の皆さんの涙なしでは語れない話です。




( 続く )





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2 コメント

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戦後70年の総括が必要ですね。 (can no)
2016-06-28 21:51:48
敗戦直後ならまだしも、戦後70年が経過したにもかかわらず、現状維持でいい訳はありません。
何もアメリカに恐る必要もなく普天間基地がすぐな返還されなくても、アメリカと同盟関係を維持しつつも議論する事が重要だと思います。
その方がアメリカとの信頼関係も強化され本当のパートナーシップが築けると思います。
追随する事が重要である筈がありません、言うべき事は言う!
「言わなくても分かる」日本社会では通用しても国際社会では絶対に通用しませんし、尊敬もされなせれ信用もされません。
真のパートナーシップ構築 (BLOG掲載者本人)
2016-06-29 08:56:53
can no さん、コメントありがとうございます。
 
お書き下さった通り、本当の意味でのパートナーシップを築く意味でも、合衆国へ言うことは言わなかれば、結局は、対日クレーム3ヶ国に足元を見透かされて、いいように馬鹿にされ、国民の利益が失われる結果になってしまうと私は思います。

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