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~オーラソーマと出会い、夢だったプラクティショナーを通り抜け、今また新たな扉へと突き進む★pinoco★の心の記録~

3ヶ月を越えて

2011-06-14 15:16:04 | 【3】震災後の日々→復興中


3ヶ月が過ぎた。


地震の日
連絡がつかなかった私を心配するあまり
どれほどの精神的ストレスがかかったのだろう、
母が心筋梗塞手前の症状になり入院した。

知ってのとおり、うちの父は
人工透析に通っており、
実家には今年98歳になる祖母もいる。


地震に襲われたのは
仙台に住んでいる私たちなのに、
左隣のさらに上の県にある
私の実家の方が大変な状況。

やっとつながった父からの電話。
私への心配はそっちのけで
母が入院したことを知らされた。

すぐに母の元へ駆けつけたかったが
ライフラインはストップし
ガソリンも買えず、結局
私が駆けつけるよりも
母が元気になる方が早かった。



そんなこんなで
3月末が仕事の更新月だった私は、
ギリギリまでさんざん悩み抜いて
やっとのことで「あと半年は続けよう」と
決心したにもかかわらず、
地震後に会社に行くことができず
結局4月からの契約更新を
見合わせることにした。

“見合わせる”とは言っても
もう戻れる気はしていなかった。





地震の日は
ちょうど入稿日で忙しく
いつもより遅い昼食となった。

私と同僚は
その日めずらしく外に食べに行かずに
コンビニでおにぎりなどを買い
社内で食べていた。
食べ終わって、しばしの休憩中。
同僚が「ちょっと電話かけてきますね」と
廊下へ出ていき、ひとりになった私は
ぼ~っと寛いでいただろうか・・

そのとき、あの地震がきた。




信じられないような揺れの中、思ったのは
「こんなところで死にたくない」ということ。

その日は仕事が休みで家にいるはずの
夫のことばかり考えた。



たぶん、そのときにはっきりと
心のどこかで
「もう、好きでもない会社にきて
納得のいかない仕事をしながら
死ぬのなんていやだ」と思ったのだ。


やりたいことをやって
それが厳しくて苦しい道でも
自分が納得できることを「仕事」としたい。





あの揺れの中
さすがにちょっと死ぬかもと思いながら
あらためて「このまま、こんな人生のまま
死ぬなんていやだ」と思ったのに、
そして仕事も辞めてしまったのに、

「3ヶ月」といわれても
まったくピンとこない時間を越えて
今ここにいる私は
まだ何もはじめられずにいる。



いくら
「私にもチャンスがほしい」と願っても、
行動していない人のところには
チャンスは転がってこないだろう。

わかってる。


失うものなんて何もないのだからと
臆病な心に問いかける。
問いかけ続ける。


わかってる。
とにかく行動しないことには、
自分の目の前の現実を
動かしていかないことには、
な~~~んにも変わらないのだと。





今朝、起きながらつぶやいたこと。
「不死鳥は何度死んでも灰の中から蘇る」


あぁ・・、5月の私から1ヶ月経つのに
結局なにも変わらないまま
同じところを
グルグル回ってるだけのような気がする。

それでも、同じように見えても、
少しずつ
回りながら上昇していると思いたい。

自分を信じたい。





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